春休みを使い、伊豆へ行くことにした。

0.序
幼少期は電車での外出というと、信越線の新津~新潟間だった、という話を以前したと思う。だが、これ以外の路線となると、記憶の限りでは上越新幹線、その次は羽越線(新津~水原)とこの伊豆旅行と、どちらが先だっただろう。例えば磐越西線や長岡方面、あとは北越やくびき野という列車に乗るのは、もう少し後の話だったと思う。
地元の路線や列車を差し置いて、確か年中の時にスーパービュー踊り子に乗った。記憶はほぼないが、アルバムにはデビュー当初のシルバーを纏った251系と、東京駅で収めた一枚が残っている。あとは熱川のワニ園でレッサーパンダを見た。あとは……なんか船に乗った。
それから約17?年後。大学卒業を控えた僕のスマートフォンに、こんな報が入ってきた。

≪「スーパービュー踊り子」251系、2020年春の改正で全車引退へ≫
1日目
再び時は流れ、今は2020年2月末。
卒論を書き上げ、あとは(再々再履の中国語の結果次第だが)卒業するまでの期間、遊んだり寛いだり名残りを惜しむだけとなった。
……正確には嘘で、そんな余裕をぶっこいている場合では実は全くない。だが当時の僕は、悠々自適、といえば聞こえはいいが、バイトとたまに徘徊する以外は抜け殻同然。卒論と期末試験という難関を潜ったことで、一気に火が消えたような、風船みたく萎んだような、そんな状態になっていた。誰か空気を入れて飛ばして。他人に依存し、処方箋を希望しているだけである。
そんな目も当てられない状態にも関わらず、当時の僕はのうのうと、
「卒業旅行行くか」
と言って、もっと他に探すべきものを放り出して、旅の準備を始めた。
東京駅
というわけで、

東京駅から旅を始める。
乗りたい列車の都合上、前の晩に山梨を脱し、渋谷のネットカフェに泊まった。……ちょうど始発が動き出したくらいのタイミングで目が覚めたと思う。起きるのも早すぎたし、改札に入るのも早すぎた。しかしこれに関しては、当時下宿の最寄りは東京方面の始発が6時10分とかだったので、(頑張れば当日移動も可能だったのかもしれないが)安全策を取ったと言える。

ところで、いつぞやのように充電が足りないなんてことはないが、東京に出るついでにブックオフで本を売ろうとして右往左往したり、マックを探して右往左往するくだりはあった。ちなみに売る本をそこそこ大量に抱えてきてしまったために、一度に売るのは何か気が引けるので、ロッカーに預けておいて翌日再度売る、ということをした。旅費の捻出の為だったのかもしれないが、引き換えにロッカー代が犠牲になったので、頭がおかしかったといえる。
必要なものを揃えたら、ホームに出る。ちなみに当時は世間がナントカ禍で騒ぎ始めているタイミングで、除菌ティッシュの類が売り切れ続出になっていたのを覚えている。
東京(9:00発)→伊豆熱川(11:15?着)/特急踊り子105号
さて本日のお目当ては、


種別・行先の表示は電光ではなく幕になっている。概ね現代のものとは思えない、車両の重厚感。これが令和2年の今、東京駅のホームに君臨している。
というわけで確か9時ちょうどに東京を発車。
国鉄の叫び・新時代への抵抗
オルゴールの鉄道唱歌は掠れて今にも消えそうで、内装も所々傷んでいる。それもこの車両が時代の風雪に耐え、歴史を重ねてきた車両であることの証だろうと思った。何より、
ヴォアアアアアアーーーーン!!!!
モーターが悲鳴のような唸りを上げている。もう限界だ、という訴えなのか、それともおれはまだ走れるのだ、という抵抗か。
もっともデビュー当初からこんな感じで叫び続けていたのかもしれないが、共に走ってきたであろう同胞たちは次々とこの世を去っている。新幹線でいえば、300系はこの8年前に引退*1し、500系も東海道からは姿を消し*2た。そしてこの春、251系も最期を告げられたわけである。
185系はなおも叫びながら、 東海道本線を横浜・小田原方面へと進んでいく。110~120kmくらい出していたような気がする。線形が良いのと駅間が開いているのもあるだろうが、どこか迫る新時代からの逃走、あるいは抵抗にも思えた。後ろからは快速や各駅停車すら、全速力で追いかけてくる。時代が令和へと号を改めた今、昭和に、国鉄に、しがみつくような走りだった。
そんな必死の叫びを聞きながら、

僕は朝食を頂く。実に優雅なもんである。それとも、呑気と言った方が適切だろうか。
そら(冬やし)そう(曇りとか雨とか雪になる)よ
東海道線という路線自体は1年半ぶりに乗る。あの時は豪雨だったと記憶しているが、今日も同じような空の色をしている。幸い、向こうでも傘をさすか迷うレベルの降り方だったので、観光に支障はなかった。まあ、冬だしなあ。山梨で初めての冬を迎えたとき「何で冬なのにこんなに晴れてんだ?」「何で外でキャッチボールなんかできるんだ?」なんて、不思議に思ったものだ。ドカ雪になって「おれ雪初めて見た!」と友達が言ったとき、ああ、日本は広いのだ、おれにはまだ知らない世界がありすぎるのだ……と思った。
列車は熱海に差しかかった。1年半前はこの1つ先・来宮を降りたところでゼミ合宿があって、1日目は宿でひたすら先輩の発表を(半分寝ていたが)聞いて、その後飲んで、ほんで2日目は土砂降りだった。つまり熱海の観光はほぼしていない。

東海道線内の爆走ぶりはどこへやら。単線になったので、通過駅でも列車交換のために停車したりする。重厚なモーターの唸りはすっかり大人しくなり、長閑な風景を、ローカル線の古い車両でのんびり行く、という様相に変わった。
このまま下田まで乗りたい気持ちは山々だったが、この185系の旅は途中・伊豆熱川で降りることにしている。

実に良い2時間弱(多分)だった。語彙力は卒論で使い果たしたつもりである。
熱川
駅の改札を出ると、ここも温泉地なのだろう、湯気が立っている。駅のすぐ近くにあった足湯に入ってみた。

熱川に来ました
— トモヒロ(シラユキコジロー) (@tomo16tsurage) 2020年2月26日
湯煙と黒船電車 pic.twitter.com/Cnx3LmKeNa
後続の黒船電車が通り過ぎて行ったのを見届けて、本命の場所に向かう。記録上ではここは2度目の訪問ということになっている。勿論だが、どの道を通って、どこから入るのか、さっぱり記憶はない。
熱川といえば、

レッサーパンダがいる。
施設の名称からするに主役はバナナとワニのはずだが、僕はレッサーパンダを見たという事実しか記憶していなかった。そのおかげかワニ達は薄情な元少年の相手なんかはしてくれず、寝ているかたまに動くかくらいで目は合わせてくれなかった(まあ、合ったら怖いんだけど)。他にも、

亀とか、

マナティーがいる。
他にもバナナや熱帯植物などがある。あとはバナナパフェがわりとうまかった。
— トモヒロ(シラユキコジロー) (@tomo16tsurage) 2020年2月26日
挨拶練習中だってのに痴話喧嘩に夢中で相手してくれない pic.twitter.com/rqogrVBgWb
— トモヒロ(シラユキコジロー) (@tomo16tsurage) 2020年2月26日
挨拶練習中な鳥のカップルは痴話喧嘩中で相手にしてくれなかったが、しかし楽しかった。
河津(→蓮台寺(宿泊))
熱川から普通列車で移動し、4駅先の河津で降りる。

ちょうど桜まつりの最中で、駅周辺は露店があってわりと賑わっていたように思う。空腹だったので、鯖の寿司を買った。わりとうまかったが、おやつのつもりで食ったら地味に満腹になってしまったのを書きながら思い出した。調整が難しい。
河津桜の見ごろは2月上旬から3月上旬。この日には既に大半が葉桜だったが、残った花が背景の山や雲、小さな町の中で確かな彩を主張している。ちょうどよい、なんて書いたのはよくよく考えたらとんでもなく失礼な話である。
というのも、こんな感じの町を4年半ほど前に歩いたなあ、と思い出したのだ。あの町は海が無く、山と山のわずかな間に建物を集めたようにできていた。季節は違ったが、いい感じの蒸し暑さ(?)の中に、髪をやや湿らせる程度の雨が舞っていた。霧なのか雲なのかが、背景に聳える深緑をより圧倒的なものに仕立てていて、その麓に母校となる古びた校舎があった。後になってやれ魔境だ牢獄だなんだと言われるのもまあ、分かる気はした(というより、僕自身もそう呼んでいた)。だが一方では「ここだな」と思った。半年後—地元を出て新たな住処とした日も、雨だった。
そういうノスタルジーに浸りながら、知らないはずの町を歩いた。185系がやってきた。賑わいこそありながらも静かな町に、ゴトン、ゴトンと鉄の音が響く。8000系やキンメ電車もやってきて、みな鉄橋を歩くように慎重に渡る。
— トモヒロ(シラユキコジロー) (@tomo16tsurage) 2020年2月26日
やっぱりむずかしい
— トモヒロ(シラユキコジロー) (@tomo16tsurage) 2020年2月26日
この光景も最初で最後 pic.twitter.com/g0LAg4je6p
東京方面から251系もやってきた。どう抜き足・差し足をしようにも、鉄橋が「お通りだぞ」と言わんばかりに、重厚な鉄の音を町に響かせる。10両編成となるとその時間も長くなる。宴か祭りか、はたまた戦か、何かが始まることを祝って奏でられる太鼓と音楽のようである。頭がおかしくなったようなので、宿へ向かうことにする。
この日は蓮台寺に宿を取ったのだが、かなりよかった。温泉は露天と内風呂がそれぞれ貸切になっていて、僕以外に客は1人だけ(小さいお宿で部屋数もそんなにない)だったので、静かに寛ぐことができた。料理も非常に美味しかったが、つくづく酒嫌いを拗らせていた当時が勿体なかったなあ、と思うのである。
2日目
下田
明けて2日目。
この日は下田を訪れることにしていた。

水族館へ行ってみる。駅からは結構距離があるので、バスを使う。ペンギンのショー的なものを観たのと、エイかマンタがかわいかったのと、あとカメに餌をあげたりして癒された。
中心部へ戻り、ペリーロードを歩いた後、昼に美味しい魚料理を食べた。あとはケーブルカーで寝姿山にのぼり、メジロっぽい鳥を見つけて癒された。なんかカフェがオープンする(当時既に開始していたのかもしれないが)らしく、案内を渡された。
伊豆急下田(16:00?発)→新宿(?着)/特急スーパービュー踊り子
そうこうしているうちに、電車の時間になる。

記念に足湯を満喫して、駅に戻る。伊豆は至る所に湯が沸いているのがいいなと思った。

熱川でも見かけたが、黒船を模した2100系に遭遇。「リゾート21」の別名がある通り、いかにも観光列車か優等列車という出で立ちだが、これは普通列車。駅の案内なんかを見ても「普通列車 ○○行き」としか案内はされない。幼少期の僕は案の定、図鑑や教育用ビデオで知ったこの車両愛称を列車名だと勘違い*3したまま、数年間を過ごすことになる。
優雅
程なくして、乗る列車がやってきた。


251系。こちらは列車名が「スーパービュー踊り子」となっている。何号だったか忘れてしまったが、当時上り方面の同列車としては最終列車だった。下田発は確か16時ちょうど。観光色の強い路線なので、特急の終電は早めになっているのだろう。
各乗車口にアテンダントの方が立っていて、切符の確認を求められる。豪華列車っぽくて、なんだか貴族にでもなった気分である。
踊り子は海岸線をゆく。

名前の通り、ハイデッカー構造&窓が大きいので、広がる海をゆったり眺めることが出来た。
僕が乗ったのは確か9号車か8号車くらい。先頭車両に乗れば前面展望も可能となる。伊豆方は前2両がグリーン車だったのに対し、東京方(10号車)は普通車だったから、先頭を指定することもできた。普通に混んでいて諦めたのか、まあ先頭じゃなくてもいいや、と思って外したのかは、わからない。
ちなみに10号車の1階部分は、子供向けのプレイルームになっている。前回乗車時は多分入ったんだろう。かれこれ17~8年経ったが、精神年齢は6、7歳くらいで止まったままここに来た。今でも、キャッキャッ、と遊べる自信がある。……いや、6、7歳はどちらかというと、変な反抗心や大人ぶりたい心が芽生え始めて、そういうものを拒否してしまう年代かもしれない。で、結局22歳10カ月の僕は入り口の前で立ち止まり、そこから先へ入ることはしなかった。そもそも注意書き的なものに止められたのかもしれない。
売店とラウンジ的なものがついているので、寄ってみた。といっても、お菓子と数種類のソフトドリンクが置いてあるだけで、酒はあったのかわからないが弁当類はなかった。時代が進むにつれて縮小傾向になっていったのかもしれない。ちょうど飲み物が切れてしまったので、コーヒーを買って戻った。
エモい海岸線
それにしても、

優雅だな、と思った。同時に、エモい、と思った。
努めて感傷的になろうとしていた節もある。だが、旅の終わり、夕暮れ、海に加えて、大学生活の最終章といえる時間を、幼少期に乗った電車で過ごすというシチュエーションが、まあ、そうならないわけがないのだ。仮にも大学4年間で国文学をやっておきながら、結局卒業旅行の感想が、今や何にでも使える三文字の現代語。これに関して1ミリたりとも「情けない」などとは思わない。両親には大変申し訳ないけれど、僕はたぶん学科以前に、学生そのものに向いていなかったのかもしれない。
東海道線に入ったが、こちらはあまり叫ぶことはしなかったと記憶している。速度自体そこまで出さなかったのか、はたまた僕が眠かっただけだろうか。気付けば夕暮れの海岸線は漆黒の闇に呑み込まれ、かと思えば東京都心のビル群や繁華街が夜に抗っている。間もなく新宿に到着する、とアナウンスがあった。この電車は池袋行きだが、その手前で降りることにしている。

旅が終わるのは確かに寂しい。だが、必要以上に惜しむこともやめようと思った。
10両編成の車体が、海らしいブルーの帯を引き連れて悠然と去っていく。良い旅をありがとう、と別れを告げて、反対側のホームにいた色を塗り替えられた253系に遭遇して、僕は学生生活に幕を下ろすべく帰路にt……。
帰路(&その後)
就きたかったが、その前に預けっぱなしにしていた荷物を回収しないといけなかった。伊豆に旅行に行ったのに、お土産が「売ろうと思って持ってきた古本とかCD」なのは、なんとも情けない。これが結局売れたのか、はたまた売れずに持ち帰ったのか記憶があいまいだが、ともあれ旅行、それも仮にも「卒業旅行」と題している最中に、何をしていたんだろうか。
あとは謎のおばあさんに呼びとめられて、電車賃がないから貸してくれ、と言われて断った。どうやって返すつもりなのかも分からないが、いずれにせよ咄嗟に放った「金がない」は逃げ文句ではなく本心に近かった。

そう、でなければ古本等を売るべく旅行に持ち出して、売り切れなかったから近くのロッカーに預けて、結局ロッカー代を無駄にするなんてことはするわけがないのだ。つまり本当に何をしていたのか。多分当時の僕も溜息をついていたこととは思うが、


何時だったかのあずさ(かいじ?)で優雅に寛ぎながら、帰った。
旅が終わった。僕の大学生活も終わろうとしていた。また新しい春が来る。河津の桜が咲いて散ったので、つまり春の隣だったのだ。社会情勢がどうなろうが、オープン戦が中止になろうが、知ったことではない。そこにあったのは希望だけではなかったけれど、努めて前を向こう―この時は、そう思った。
さて、この旅の1カ月後―3月のダイヤ改正で、1990年から続いた特急「スーパービュー踊り子」の名前は幕を閉じた。251系という車両も、その全てが保存されることなく姿を消した。185系に関しても、定期運用からは退き、2024年12月には完全に引退(ソースはwiki)。


現在伊豆方面の特急列車は、 改造を受けたE257系がその任に就いている。また、E261系というとんでもなく豪華な電車が誕生し、「サフィール踊り子」として走っている。
実はE257系には中央線特急を退いて以来、一度も乗ったことがない。何かの拍子にこの旅のことや、キャッキャッとはしゃいでいた幼少期のこと、あの4年間のこと、その後のこと―色々なことを思い出しながら、今度は吞みながら乗りたいと思った。
おまけ
インスタ
うちの子(レッサーパンダのマッシュ)のご紹介
時々全員集合シーンで登場する大きい子について。

大きい体格もあって、やれたぬきだあらいぐまだと間違えられている(というかたぬきにしか見えない)が、レッサーパンダである。というのも、初めて伊豆に行ったときに熱川から迎え入れたことになっているからだ。以来実は名無しのレッサー(?)として20年以上を過ごしていたのだが、
【マッシュ】
という。


皆さん可愛がってください。くれぐれもたぬきって言わないように!
*1:2012年3月16日にさよなら運転を実施。→100系・300系新幹線営業運転終了に伴うイベントの開催について:JR西日本
*2:2010年2月をもって撤退。→500系「のぞみ」今月引退 東海道新幹線から姿消す - 47NEWS(よんななニュース)