むしょくとうめいのらくがき

電車乗ってお酒飲んではしゃぐ4歳魚と25歳児 水曜日夜に更新 

取り憑かれたように旋律を

 家を出て一曲歌ったら、もう働かなくてはいけない。

 

 車5分以下、という通勤時間は実に考えものである。踏切の先に続く農道をひたすらまっすぐ、という経路でも、歩けば25分かかっていた。頼もしい相棒のおかげで睡眠と朝の準備を確保できるようになったはいいが、代償を支払うことになってしまった。120曲ある「お気に入り」のプレイリストのうち、片道通勤時に聴く一曲を厳選しなくてはいけないのである。車内は独り言やヒトカラをするのに実に都合がいいので、なおのこともどかしいのだ。

 

 今日はASIAN KUNG-FU GENERATIONの「或る町の群青」を選んだ。なにぶん7時30分からの労働に向けた移動中、というシチュエーションが邪魔をして、いづれの雲も誰の顔も浮かばなかったのが悲しい。大学の軽音時代に同級生がコピーしていたのを聴いて、のち退部してから「あの曲なんだっけな」と思い出して辿り着いた一曲だったと思う。

 思えばアジカンのみならず、それこそVELTPUNCHART-SCHOOLも、バンドをやめてから聴き始めたんだったか。ここで「在部中にもっと吸収しておけばうまくやれたんじゃないか」みたいなツッコミを入れてしまうと、諸事情につき色々と台無しになるからやめる。

 踏切を越えて田んぼのど真ん中を突っ切って、職場の駐車場に入ると同時に「或る町の群青」も終わり、都会の駅が賑わい始めていた。例えば大型ビジョンに天気予報が移るようなところではないから、高層ビル群とモノレールを見上げるような街を歩きながら聴くほうが正解なのかもしれない。

 

 今日は一日歌っていた。歌いながらでも働けたので、あながち悪くなかったかもしれない。三十度前後の猛暑は時期不相応なダメージをもたらしたが、事務所のあらゆる業務より僕は草刈が好きなのだ。雑草と戦うという内容だけで社会保険もろもろがつき、そこそこ安定して雇ってくれるならこんなにいいことはないし、こういう使い方をしてくれるなら一生正社なんかならなくていいや

 

 作業中は小・中学の合唱曲が頭の中をぐるぐるまわっていた。緑の茂みをばた、ばたと薙ぎ倒し進みながら「COSMOS」を口ずさむのは考えてみると中々狂気であるが、敷地内で草原に高々と命を燃やされても困るのだ。

 僕の中学校でも謎行事・合唱コンクールなるものがあった。 1年次、一個上のどこかのクラスがこの曲を歌っているのを初めて聞いて、切ない旋律に危うく涙するところだったのは忘れられない。しかし冷静になると、あの時こそ狂っていた。朝学活前は早出で合唱、昼休憩は惜しんで合唱、音楽の授業では教科担任全面協力で合唱、放課後は合唱。誰がどう見ても狂っている。しかし放課後に関して言えば、おかげで合法的に部活の時間が短くなったので嬉しかった。

 それなりに合唱曲の定番でありながら、結局三年間で機会に恵まれなかったので、思い出したときにこっそり口ずさんでみている。何だかんだで歌うのは好きである。カラオケなんかは一人でもよく行っていたし、バンド時代は自分のバンマスに限りコーラスだってやった。それに、歌う行為が嫌いであれば外野スタンドなんか行くまい。もちろん「COSMOS」を歌うわけではないが……。

 歌うのは好きである。合唱コンだって、それ自体は部活がどうのこうのの事情を差し引いても嫌ではなかった。

 

 しかし、合唱コン以外でも行事と名のつくところで、まるで何かに取り憑かれたかのように合唱練習をしまくるのは止めて欲しかった以外に感想がない。

 卒業式で国家・校歌以外に4曲も練習するのが理解できないし、2年次の校外学習にラジカセをもっていって、公園のど真ん中で合唱を披露したことだってあった。修学旅行では美術館の展示場内。中坊ながらに「迷惑とはなにか」を改めて考えさせられ、良い勉強となった(白目)。公立の中学なのに合唱で他校との差別化を押し付けられても困るのに、これでは「合唱の○○中」はほとんどが悪評になるような気がするのだが。

 

 うむ、歌うのは好きでも、あんな公開処刑みたいな行事には賛同しかねる。まあ個人的なことも併せて、中学には基本的に悪い思い出しかない身としてはわりとどうでもいい。似合ってたまるか、の精神ではないが、制服から卒アルまで関係するものは全て処分した。

 そういうことがあったから、先日(正直話は全然分からなかったけど意味わからんなりに最高に激熱だった)『SSSS.DYNAZENON』において飛鳥川ちせ(cv.安済知佳)が踏み出した一歩を見て、とてもホッとしたものである。後日談において、悪く言えば上手く誤魔化され、良く言えばページの先でも主人公たちが歩んでいくのを美しく予感させられた。

 学園生活での一幕で部活動の掛け声・音がBGMとして用いられるのはよくある手法だと思うけれど、ダイナゼノンといいグリッドマンといい、楽器より合唱の音が響いてくるのは特徴的である。といってもそれ自体に意図があるかは知らないが、僕的には特撮の血の騒ぎと同等に、狂気じみた苦き日の思い出を想起したことで、二作品ともよりリアリティを感じながら視聴できたかもしれない。それはさておいて、実写・アニメとも激熱な円谷の、次なる戦いが待ち遠しいものだ。