むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

『学生時代にやらなくてもいい20のこと』と是非飲み交わしたい

今週のお題「読書の秋」

 

 昨年7月、短期のアルバイトとして面接に出向いた時のことである。

 そもそもアルバイトや短期限定での採用となると、履歴書や面接も行わないところも多いのではないだろうか。そう考えるとここはきっちりしているんだなあ、と感心はするが、着ている私服のせいだろうか、会場への道を歩いていても緊張はしてこない*1。どうせ簡単な確認事項と雑談、あとは制服のサイズ合わせくらいだろう……と高を括っていた僕は、担当職員のこの質問により、合否の危機を迎えることになってしまった。

 

「休日は何をしていますか?」

 

 記憶ではこの後うまく聞き取れなかったフリをして「……えっ?」と間抜けな声を発する。日常会話で都合が悪い展開になったときにこれをやると、運が良ければ「もういいや、なんでもない」と相手に諦めてもらうこともできるテクニック。多用をおすすめできないことは、言うまでもない。

 そして面接においては何の効果もない。当時は文字通りの無職引きこもりな僕に、無慈悲にも繰り返し質問がなされる。

「……休日は何をしていますか?」

 困ってしまう。同じ手は二度使うわけにはいかない。紛れもなく面接官は、他には仕事をしておらず常時暇な23歳(当時)の身の上を明かそうとしている。これは信用に関わる問題だろう、故に嘘は付けない。

「ええと、以前は散歩や近場の小旅行などによく出かけていたほか、草野球をすることもありました」

「ほう、野球やってたんですか!」

 うまくいった。嘘は言っていない*2。実際、例の騒ぎのせいでできなくなったところは大きく、それを暗に示すことにも成功した(と思う)。ところが。

「他にやっていることはありませんか?」

 どれだけ気になるんだよ。心の中で突っ込まずにはいられなかった。まあ、応募でやりとりをする中で素性なんぞ開示しているようなものである。ええい、どうにでもなれ。

「そうですねえ……あとは他に何もすることはないものですから、図書館で本を借りてきて読むくらいなものでしょうか」

 

 この面接で採用されたばかりか、満期になっても契約更新されてしまったのだから、人生いろいろあるんだなあと思わずにはいられない。しかし採用されて働き始めてみたらスタイルだって変わろうに、この質問の意図は何なのだろうか。

 

 そして相も変わらず、休日にすることといえば散歩か読書である。

 付け加えると、図書館を経由した散歩と、図書館あるいは本屋で表紙を眺めること。今年1月くらいにようやく貸し出しカードを作り、以来借りてきては3週間後に返しまた借りる……というサイクルが構築された。ついこの前も、目についた三冊を借りて自宅に持ち帰ってきた。しかし問題がある。

「わっかんね」

 まず一冊は臨床心理学の本。カラー図解でいかにも初心者向け・入門編という見た目である。早速目次を見ると、第1章の基礎を学ぶ○○から、第5章の実践的な解決を目指す的なそれまで流れが書かれている。最初に目次を読んである程度の把握に努めるのが読書のコツである、と何かで見た。

「目次に何が書いてあるかわからん」

 スタート前に躓く。中身を捲ってみると確かに図解付きでイラストも多いのだが、イラストの方を追ったらかえって分からないという現象になった。無論だが悪いのはこの本ではなく、何故かいきなりこの分野に手を出した僕の方である。

 次いで二冊目にはエッセイの書き方講座的な本。先の心理学図解と違いこちらはオール文字で中身は白黒である。もうここまでくれば、

「活字で見づらいな」

 案の定である。お前それでも国文学科か!という罵声が飛んできたが、人違いだろう。今は違うのだ。しかし思うのは、挿絵や図解は不可欠ということもないが、字送りや文字の大きさ・空白などは本において重要な要素だなあ、ということだ。辞書と比べてみるとわかりやすい。

 

 さて三冊目、こちらは作家のエッセイ集である。基本的に図書館で最初に手に取るのは作家のエッセイ棚か紀行文の棚だが、その作家のフィクション作品は何も知らない、ということも少なくない。

 しかしこのジャンルはどれも面白く好きである。

 今回手に取ったのは『桐島、部活やめるってよ*3で有名な朝井リョウ氏の本。いわく『学生時代にやらなくてもいい20のこと』*4。題を一目見て「読みたい」ではなく「話を聞きたい」という印象を受ける本だった。

 その内容も、やれ100キロを歩くだの、500キロを自転車で走破するだの、おマック(←便宜上こう呼ばなくてはいけない)で謎すぎるおじさんに絡まれるだの……という、ユニーク、波乱万丈、時にクレイジー……という印象である。

 タイトル通り学生時代の話とあって、一定の親近感は沸く。だが、各題に書かれているのは圧倒的な非日常である。OB訪問もグループでのドキュメンタリー制作も、自分にはまったくの未知の世界。非日常。それなのに親近感がある。かと思えば「他学科の授業を受ける」という、それ自体は珍しくもないような題から、また圧倒的な非日常感を生む文章が綴られる。

私たちは「わからないわからない」と唱えつつもどうにか混乱の時代を生き抜き、ついに講義の最終回を迎えた。

(中略)

試験内容はどこからどう見ても分からなかったのだ。「何これー!」である。ナニコレ珍百景である。(中略)せっかくならもっと劇的な場面で初絶句をしてみたかったものだが、いかんせん「期末試験の内容がわからなさすぎて絶句」であるためなんとも情けない。

-朝井リョウ『学生時代にやらなくてもいい20のこと』うち章【勃興】中「他学科の授業で絶望する」より

 冷静に想像すると、専門外で全く授業も試験も解読不能に陥る風景が浮かぶ。自分もこれは他学科どころか国文学の必修科目ですら経験し*5、最近になってやはり解読できるはずがない臨床心理学の本で絶望を味わったばかりである。こういう時は絶望というより、間の抜けた笑いを溢す方が合っている。

 ある種の「大学生らしい」風景を取り上げながらも、授業内容を「どうにか混乱の時代を~」、試験への絶望は「せっかくならもっと劇的な場面~なんとも情けない」と描くセンスには、ただ魅了されるばかりであった。

 

 それはそうと、ナントカ禍だからといって、分かるはずもない学問の図書に手を出すことは、シラユキコジロー的「おうち時間でやらなくてもいいこと」に書き加えたい項目だ。ましてやワで始まるアレの副反応で寝ぼけた頭では、なおさらである。

 

 

 

 

 

 

 

*1:実家から徒歩25分で行けて、幼少期から通い慣れた施設であったというのもある。

*2:ちなみに現チームに加入したのはほぼ同時期で、面接も初合流&初試合を翌々週くらいに控えたタイミングであった。

*3:集英社/2012年4月

*4:文藝春秋/2012年6月

*5:面白いのは「わからないわからない」と言いながら適当に書いた試験には及第し、手ごたえのあった授業は落とされたことである。