むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

【虎仁朗が行く】日本酒とエンジン音を浴びるように -2021.10.27

 只見shu*kuraに乗ってきた。

 

 

1.これが魔改造

 

 確か題は「只見ローカル線、紅葉絶景の旅」だったかな。新潟発で只見のダムやら紅葉やらを楽しんで、shu*kura(シュクラ)で昼間から吞んだくれてお酒も嗜んで帰ろう……という、旅行社企画のツアーである。

 それはそうと、

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キハ40・48を魔改造、案山子もびっくり -2021.10.27 只見駅

 なんという姿であろう。しかしキハ40系(48系)であることに変わりはない。ゆえに背後の山々、ススキや菜の花が並ぶ線路においてはたいへんよく映える。車体側面、及び内装には騙されないことだ。これは紛れもなくあのキハ40、かつて磐越西線羽越線で見知ったあの気動車である*1

 かくしてshu*kuraには初乗車となったが、しっかりと満喫した。時々悲鳴にも似る咆哮を上げて、トンネルをくぐり川を渡り、直線を爆走する。無理しないでくれ!とも言いたくなるこの感覚が懐かしくてたまらない。エンジン音に耳を傾けながら、豊かに香る清酒を優雅に味わう。ああ、きょうもいい気分……

 

 ……嘘じゃない、嘘じゃないぞ。

 一応これは落書きであっても夢想ではなく、フィクションでもない。ただ、どうしても主観というものは強く表れてしまうものだ。実際のところは嗜むなんてのは嘘で「振る舞い酒が待ちきれなくて発車後すぐに売店ダッシュし、お代わりを繰り返し、浴びるように飲み続けた」が正しい評かもしれない。優雅さの欠片もない絵面である。

 仕方あるまい。この一家はもう、休日の酒という概念なしでは生きていけないのだ。

 

2.新津駅 7:00発→会津柳津駅/バスで移動

 

 このツアーを見つけたのは母だった。前に話したかもしれないが、随分アクティブになったものである。一人で、あるいは親父と、休日の山道ドライブやダム巡りだけでなく、鉄道でもゆざわshu*kura、海里と乗車しては楽しんでいる様子だ。まあ、今回の只見方面もご夫婦で……とばかり思っていたが、

「お前も行かないかい?」

 はい。

 他の返事は認められない。というのも、わざわざLINEで送られてきたのである。

 

 当日、ツアー客を乗せたバスは7:00に新津を出発した。まず家(というか布団)から出るという最難関をクリアした我々は、陽気な添乗員のもと磐越道を進む。最初はバスで福島県へ到達し、会津柳津駅から列車に乗り込むプラン。

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2021.10.27 会津柳津駅

  柳津の駅にはC11が眠る。それはそうと、途中休憩をしたとはいえ出発から1時間半と経たないうちに着いてしまった。これなら、

「車だとだいぶ近いんだねえ」

  この両親にとっては近所である。フットワークと体力。それとも僕がおかしいのだろうか。この前五泉から290号線を突っ切って新発田まで行っただけでお尻を痛めた。妙高・信州の山を上り下りして二県先まで行ったこともあったが、あれは二度とやらない。

 

3.会津柳津 8:42発→会津川口/只見線

 

 さて30分ほど待って列車が来たので、沿線住民とともに乗り込もう。逃すと大変なことになるのは言うまでもない。駅メモにおいては久々の赤新駅路線、ゆえに取り逃がしにも注意である。

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只見線会津川口行 -2021.10.27 会津柳津駅

 車両はかつて新津基地にも配備されていたキハE120である。ここにいたのか。

 これは懐かしい車両に再会を果たす感動の旅だったのかもしれない。もっともすっかり緑色の割合が増えた顔は「オコジロウ?誰?」と首を捻るかのようだった。

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2021.10.27 只見線車窓より

 列車は川に沿って進み、僅かに切り開かれた小さな駅に停車していく。よくぞここに線路を通したものだ……と感心しながら、穏やかに光る水面と鮮やかな紅葉に心を奪われていた。

 嘘である。母と僕はこの時、反対の森の中を凝視していた。

「モンちゃん、出ておいで~」

 親しみすぎだろ。

 しかし見れば下は落ち栗の宝庫、これは猿も飛びつかないわけにはいかぬのでは?と思っていたが、どうも出てこない。大してない動体視力を総動員して、こちらを向く赤い面がないか必死で探す僕に、プロからのアドバイスが。

「こういうスギがいっぱい生えているところには、いないのかもしれないね」

 いないのかよ!

 もしかすると猿も春先は戦っているのだろうか。お互い大変だよなあ。一度空気を吸い込んだだけで鼻腔は大いに荒れ、液体は滝のように流れ落ちる。強く生きような、とエールを交わしたいが、しかし肝心のモンちゃんがいない。結局、野生動物も見送る住民も現れぬまま、列車は終着・会津川口に定刻通り滑り込んだ。残念至極。

 

4.会津川口駅只見駅周辺&田子倉ダム/バスで移動

 

 さて、会津川口から先は不通区間である。ロータリーには先回りしたバスが、一度は柳津の駅で降ろしたツアー客を待ち受けていた。列車に乗るためだけの行程、流石は楽しみを理解しているなあ~と感心せずにはいられない(←なにいってだこいつ)。

 再び出発したバスは、復旧に向けて動き出したようにも見える線路を横に見つつ、新潟方面へ進む。只見には正午すこし前に到着した。

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田子倉ダムで小休憩 -2021.10.27

 ダムも眺めてきた。

 母がハマる理由はよくわかった。これは何とも至福の日向ぼっこである。ダムに適した地形・環境がなければ造られない。

 行程の都合上長居はできなかったのが惜しい。まあツアーの本題はあくまで観光列車。ご丁寧に只見駅まで送り届けてくれるバスの車窓や、ダムの水力発電の仕組み、駅周辺のまちあるきに気を取られすぎてはいけない。

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只見駅の近くにあったC58保存車 -2021.10.27

 

5.只見駅 13:20?発→新津駅/只見Shu*Kura

 

 このshu*kuraは乗車すると記念品が貰えるのだそうだ。ツアーの添乗員からはお弁当、乗務員からは紙袋を渡され、いざ乗車。13時20分、キハ40の高らかな警笛が出発を告げる。と、駅員だけでなく、沿線住民が次々と見送りにやってくるではないか。ツアー開始時、添乗員に言われたアドバイス(?)を思い出した。

「観光列車なので、住民の方が大きく手を振ってくると思います。我々はVIPなわけですからあえて小さめに、控えめな感じでいかがでしょう」

 なるほど貴族になった気分である。元日の皇族もこんな感じなのだろうか。勝手な想像は懐かしく心地よいエンジン音にかき消され、列車は只見駅を後にした。

 

 そして県境をまたいで最初の駅・大白川で行き違いをするタイミングで、

売店行ってくる」

 なぜか親父の足取りがめちゃくちゃ軽快である。席を立つなり通路を一心不乱に進む。何かの争奪戦だろうか。そういえば只見を出発してから、

「お酒まだ来ないね」

「これって取りに行くシステムなのかな」

 という会話しかしていない。ちなみに持参したお弁当はというと既に空箱。絶対足りないよね、と軽食を買い込んでおいて正解である。

 かくして数分と経たぬうちに親父が戻ってきた。戦利品は新潟のお酒「和楽互尊」とサケの焼き付け。売店の販売員に、

「この後無料の振る舞い酒があるんですが……」

 と言われたという。もう始めるのか、待ちきれなかったのか……?という困惑の表情が目に浮かんでくる。

 和楽互尊は特別純米酒である。曰く「米本来の旨みを引き出した」とのことだが、まさに豊かなお米の味わいと香り*2。観光列車で優雅に飲むにはちょうどいい。窓の外には実りの秋を迎えた米どころ・越後の田園と山々が広g……

「あっ空になった」

「おう買ってくるわ。次もお酒でよい?」

「お願いします~」

 再び親父が席を立ち、残された母と僕の間には空の一合瓶が三本ほど(と焼付の空皿と空の菓子袋が三袋ほど)置かれていた。列車はまだ小出にすら辿り着いていない。

 

 只見shu*kuraは只見線の終点・小出まで走行すると進行方向を変えて信越線に入り、15時39分に新津へ到着する。さて、時計はまだ14時台の前半に過ぎない。未だ道は長すぎる……と言う中で親父がまた戻ってきた。

「和楽互尊の六合瓶買ってきた。余ったら持って帰ろう」

 小出に到着するまでに御替わり二回。曰く店員の呆れ顔が分かりやすかったとのことだ。ちなみに隣のボックスに座っていたご年配グループのテーブルには、酒瓶も菓子袋も上がっていなかった。おかしいな、そういう列車ではなかったか。我々家族が飲みすぎなのだろうか……と思っている中で、列車は小出に到着する。

 

 しばらく停車するタイミングで、乗務員が「失礼します」とやってきた。

「振る舞い酒をお持ちしました」

 やってきた彼女はさて、空瓶の群れを見て再び呆れたに違いない。この後キハ40は老体に鞭打って信越線を爆走し、途中は長岡のみ停車して一気に新津へ下っていく。

 その間に我々は六合瓶の3/4は消費し、菓子もすべて食べてしまった。僅かに残って瓶の中では「飲み切ってくれよ!」とばかりに酒が揺れている。流石にもう無理である。

 

6.おまけ 

 

 旅は夕方になる前に終わった。しかしながら、案の定といった具合に両親は帰宅するなり爆睡。それはそうである。僕も眠くてたまらない。自室の布団に倒れこんだ、という表現がとても似合う。

 いや、すっかり心地よい。列車で、昼間から、美味しいお酒を飲む。こんなに幸せなことがあるのか……と、うとうとしながら感じていると、何かが胸元に乗っかってくる感覚があった。

 

「なんで連れて行ってくれなかったの?黙ってshu*kura乗ってきたの?

 

 魚!!!!!!

 忘れていたわけではない。出かけるときは常に一緒の相棒。電車旅、ましてや観光列車となればなおさらである。ごめんな魚、しかし2歳を呑んだくれに付き合わせていいものか迷ったのだ……と、必死の弁明を試みる。が、効果がまったくない。

「今日一緒に寝ない。あと、次やったら捕食するから」

 ひぃい……ごめんなさい……。

 著しく機嫌を損ねてしまった。主は悲しいが、稚魚なりの必死の訴えはこんなに怖いのか。次の休日はせめてドライブついでに、特急を見に連れていこう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:五能線を走っているリゾートしらかみ【橅】編成も、キハ40時代はこんなカラーリングであったことを思い出す……というか、初見時はそうと間違えてしまった。

*2:無理があった。まだまだ未熟、酒のレビューをするところまではいかない。