2歳魚にあるクイズをしてみたのだが、皆様もやってみてほしい。では早速。
「電車の中で古文単語を4つ覚える」←これの意味を答えなさい。
いかがだったであろうか?
しかし僕の相棒は実に賢い。親バカならぬ兄バカで申し訳ないが、本当にこの子は賢くて、いろいろなことを知っていて、利口である。誰だったかに「お前が逆にお世話されないように気を付けろよ」と言われたことがないのだが、残念、既にされている側だ。
……話を戻そう。では弟よ、正解をどうぞ。
「無理難題、全くもって不都合であること~」
よくできたね!えらい。
そう。電車の中で単語帳なんて、覚えられるわけないじゃないか。
僕が”スキマ時間”という言葉を知ったのは、高校入学直後。
所属した学級はいわゆる進学クラスで、僕らの組ともう2クラスが合同でオリエンテーション(と、早々の合宿)を行った。その中で、
「授業間の休み、全部足したら50分になるよ。んね?」
「昼休み、弁当5分で食ってあと予習に当てたら30分とれるよね?」
「電車の中、バスの中。スマホいじってる時間で、単語帳開けるんじゃないの?」
「スキマ時間使えるかで、人生変わるよ。んね?」
んね?が多いなこの先生。
営業マンらしい*1、客を一方的に押し切らんとする勢いのトーク力と、圧倒的な”眼”力。カリスマ性とでも言うべきものを秘めた彼に、強く惹かれる生徒は多かったであろう。
僕もまあ、彼を盲信してしまった一人だった。鬼カリスマ営業教師の言うことは、どんな難題だろうと、
「なるほどスキマ時間か!確かにもったいないなあ」
と思ってしまったのだから。
では早速、時間を有効に使って勉強していこう。
まず目を付けたのは、行きのスクールバス。学校から各地域まで、直接送り迎えしてくれるのはありがたい。地元の乗降場から学校まで、途中何度か停車して生徒を拾いながら、40~50分の道のり。これだけ時間がかかると、勉強もはかどるというものだ……と思っていたら。
「……おい起きろ、学校着いたぞ」
「うわあ、今日も寝ちゃったよ……」
一緒に通学していた同級生に起こしてもらい、気付くと学校の校舎が目の前にある。ある時は窓を枕にし、ある時は自分のカバンに突っ伏して、寝落ち。そこそこ満員な車内は暖房が効きすぎることも多く、大きい荷物が邪魔で参考書を取り出すのも苦労した。何より。
「眠っむ……」
スクールバスの出発は朝7時20分。
ところで、送迎の停留所から自宅までは、自転車で12~3分かかる。早朝、叩き起こした(というか起こしてもらった)身体にはペダルを漕ぐ力が中々入らない。幸い雨の日は両親が車を出してくれることもあったものの、やはり家を出るリミットには気を遣わざるを得なかった。
やっとの思いで停留所に辿り着く。眠い。とにかく眠かった。朝日はこれから開始される長時間の拷問を予感させるし、夏場は重いカバンと制服が一層邪魔だし、冬は……寒かった。おまけに。
「なんか草のにおいすげえな」
停留所の近くには植込みがあった。種別はわからないが、とにかくそのにおいが鼻を衝いて実に鬱陶しい。どうもそれが、眠気に堪えるのだ。
ともあれバスには間に合った。余裕をもって到着したし、今度こそ勉強するぞ。次の英単語テストに備えて勉強しないと。集中、集中……。
「……無理じゃね?」
兎角僕は朝に弱かった。年を重ねるにつれて、寝ようとしても夜は眠れなくなった。バスでの通学時間は専ら「スキマ睡眠時間」として、ある意味では三年間有効活用されたのである。
集中できなければ仕方ない。次の場所を探そう。
「今日も居残って、帰りは電車かな」
復路もスクールバスは出ている。だが、生徒会の活動があるときは居残ったり、そうでなくても僕のクラスメイト達は完全下校まで粘り、よく教室で談笑していた。学習に使うこともあったが多くは、
「ベランダで乾杯しようぜ」
「今日も力水だな」「これの為に生きてるわ」
ジュースで乾杯し、一日を労い合っていた。クラスの方向性や関係性にまつわる、真剣な話をすることもあった。居残る面々は時々、入れ替わる。色々なクラスメイトとの時間の共有。完全下校の18時半になるのは、いつもあっという間。
さて、18時半ともなると各地域へのスクールバスは出ていない。仕方なく学校すぐ近くの停留所から新潟交通のバスに乗り、新潟駅で下車、そこから電車で帰宅することにした。……ん?
「これ立派な隙間学習じゃん」
足すと50分近くの移動時間。バス待ち・電車待ちの時間もある。よし、この時間を使うぞ……。
……無理である。
まず新潟駅に向かうバスでは、やはり寝ていた。あるいは、駅まで方向を同じくするクラスメイトと談笑の続きだ。そこそこな乗車率のバスで、どのみち静かに勉強することは不可能に等しかった。
そもそも、談笑といっても一応は勉強していた。高校の学習は分からなさ過ぎて、分からない分からないと言いながら、クラスメイトに教えを請い、また相談しながら取り組んでいたのだ。どうしても集中したい時は自習室を使ったが、基本的に多少の会話があるとかえって捗る。これが不思議だった。
ということでわざわざ居残ったのだから、帰り道では何もする気は起きない。おまけに。
「腹減ったなあ……」
高校の頃、僕は常にお腹が空いていた。それはクラスメイトも同じだったらしく、
「俺駅そば食って帰る。お前どうする?」
「俺も行こうとしてた」
今は亡き新潟駅一番線ホームの、立ち食いそば屋。帰宅後に夕飯を控えていても、しょっちゅう立ち寄った。もちろん、帰るころにはまた空腹となっている。新津まで20分電車に乗り、さらに15分チャリを漕ぐのだから。ちなみにそばの気分でない時は、ローソンなりマックなり、高校生の帰宅に使うエネルギーを補充してくれるお店は沢山あった。
新津へ向かう列車は19時25分とか45分とかに設定されていた。ホームの待ち時間でようやく参考書を開いてみるが、全然頭には入らない。そして時間になって、白新線のE127系と信越線の115系が、タイミングを合わせてやってくる。
「俺白新線だから、じゃあな。ちゃんと勉強しろよ」
そっちこそな。それぞれ8番線・9番線に入った列車に乗り込んで、別れる。この時ばかりはオールロングシートで軽快なE127系が羨ましかった。重厚なボックスを備えた115系は、混雑時は地獄絵図である。……が。
「電車かっこいいなあやっぱり」
案の定である。仮にE127やキハ110、キハ120、キハ40、キハ47のいずれに当たっても、どのみち勉強はしない。……今考えてみるとバラエティ豊かだったな新潟地区。
20分の乗車で新津に到着。
この後は反対側の会津若松から到着したキハ110や、長岡方面から下ってきた485系特急「北越」*2を眺めながら、しばしホームでまったりと過ごす。20時ごろようやく帰宅した後は夕飯をかき込むと、申し訳程度に予習と日記を済ませ、2時くらいまで呆けるのだった。
よく「スキマ時間でササっとお仕事」なんていう文言を目にする。だがその中に、
なんていうワードが出ると、出来るか!と思わずにはいられない。よく新幹線の車内でPCを使い仕事している人を見かけ*3、かっこいいなあと憧れるものだが、僕には無理だ。絶対無理である。窓の外が気になってしょうがないだろうし、広げるのはPCじゃなくて駅弁になるはずだ。
いやどうだろう。Twitterは見るし、必要ならLINEも打つし、何より駅メモにチェックインもできる。ううむ。
「やる気次第、か……」
おかげで先生にはよく怒られた。しかし人間、限界があるのだ。