気付いたらもうすぐ6月じゃん。もうすぐ8・9番線とお別れじゃん。
新潟駅の話である。これができた当初は特急専用ホームにでもするのかと思いきや、従来のホームが7番線*1から順に(?)閉鎖・撤去され始め、その時になって初めて高架化の構想を知った。……それももう10年以上前の話になる。1・2・6・7が不自然に欠番になる新潟駅ホーム事情も、もうあとわずかだ。
あっという間、でこそなかったが、5月も終盤だ。状況が変わっていないもどかしさもさることながら、何も頭の中に言葉が沸いてくる感覚がない。思考が暑さで蒸発しているものと思うことにする。徒然なるままに、日暮し机に向かひて、ってなもんだが、大してキーボードには集中できておらず、血流だけが悪くなっている。まさに「草」で草。草しか生えなくて草。こういう空虚なところに生えるから草は草なのである。草。
冷静に見返してみたら本当に何言ってんだろうな僕。
とにかく血流が悪くなったので、今日は職安に行った足でそのまま新潟へ向かった。新潟県内、なんなら新潟市内に住んでいてもこの場合は「新潟へ向かう」と表記する必要がある。幸いにして今日は大義名分があった。身分証一枚受け取る*2のに、と思わなくもないが、それが一日に意味を与えてくれるのだからありがたいことだ。
ついでに久しぶりに駅弁を買って食べた。
何度でも申し上げるが、駅弁はホームで食べるのも美味しい。タイミング次第では列車がよく出入りする。今の新潟駅は在来線ホームからでも新幹線が見えるので、車庫から上ってくるE2系の良い音がよく聞こえてきた。
在来線ホームだからそれなりに列車待ちの客もいたが、階段から遠いベンチには誰もいなかった。ホーム上の空いているベンチはたいへん飲食に都合がいい。
……だが。
「コンニチワー」
おや?こんにちは……。
隣に人。とはいっても座席は4人掛けで、相手ご一行は2人である。どこの国の方かはわからなかったが、礼儀正しいお兄さん二人組と僕の間にはまだ1席の空白が残される。
日本語の挨拶として代表的な「こんにちは」は、使用頻度としてはそこまで多くない。
大学・社会人になるあたりからそれは「お疲れさまです」に取って代わられ始めるし、近所の人に対しては「ごめんください」と言うことも多い。「こんにちは」が適する時間帯=昼間に人と会わない、ということもある。店員として”お客様”を迎える立場なら、「いらっしゃいませ」のほうが多くなる。
何より、街中ですれ違うたびに言っていたらきりがないから、大抵は「お疲れさまです」が該当する人=関係者に、すれ違いざまにそう言っている。せいぜい会釈するかサッと手を挙げるか、みたいなもんである。
……だから、というのは少々理由として不十分だろうか。列車の行き交うターミナル駅のベンチにて、たまたま自分の目線とまっすぐにぶつかった、あまりに自然な「こんにちは」に、何故かたじろいでしまった。何が「おや?」であろう。僕がそのあと返事をできたのか、いまいち自信がない。
何もしなさ過ぎて言葉が沸いてこない、という感覚を「挨拶に困惑する」というところまで繋げているあたり、人間として腐った数週間を過ごしてしまったのは否定できない。ずっと悶々と座っていて、本当に草で覆われてしまいそうな腐敗具合である。
そういうわけで、草ならせめて自分で生やすなり、外に出て水や肥料を与えたり*3、空気を入れ替えようとは思った。早速また打てる手を打ったから、来週に状況が変わっていることを祈るばかりである。