むしょくとうめいのらくがき

電車乗ってお酒飲んではしゃぐ3歳魚と25歳児 水曜日夜に更新 

近況とくになし

 梅雨前線以上なし。就活戦線特に進展なし。

 

 

 

1.カレーの熱に変わりなし

 

 とある本で「彼女の手料理で食べたいもの」という問いに「カレー」と答える男性に対し「えぇ……(困惑)」となった、という一節を目にしたことがある。嘘ぉ!カレー?!ほげえええ!!!……みたいな反応だったと記憶しているが(絶対違う)、どの視点から著者が困惑し、それに僕はどう共感するべきだったのかと、ふと思っている。調理時間?工程?具材?そもそも前提がおかしい?いや、僕の場合の模範解答はたぶん「何も言うな」だ。そうするべきなのだ。

 だが本の困惑ぶりは置いといて、カレーは美味しい。且つ、安心感のあるメニューであることに違いはない。大分類すら見たことのない名詞が並ぶ列の中で「○○と△△のカレー 950YEN」を目にしたら、ああよかった、おれは間違っていなかったんだ―!と涙することだろう。学食とかフードコートで食券を買うときも同じことがいえる。

 一番見た目や味を想像しやすくて、安心するほうへ流れていく。それで出てくるのが気品のある食器と店内BGMに彩られた洋食でも、はたまた深さのなく大きいだけの皿を使い捨てスプーンで突くようにして食べる水っぽい何かでも、兎に角カレーは美味しい。つくづく僕は冒険ができない、と感じる。旅をするのも実は向いていないのかもしれない。

 ところで新潟民にはわりとおなじみの「バスセンターのカレー」だけれど、元々そば&うどんの店で、ほとんどの人がカレーを頬張っているのだから面白い。立ち食い用のスペースで、たまに汗をぬぐいながらスプーンを動かす人々。その一人と一魚に加わる我々。

 美味い。とはいえ、びっくりするほど甘いとか辛いとかいう感じはなく、具材は少々大きめに切ってあるだけの、肉(豚?牛?)と玉ねぎと、じゃがいもと福神漬け……という、まあ、よくありそうなラインアップではある。少し黄色いルウが特徴だが、それ以外はあまり変哲のない、至って普通のカレー。それを無心でスプーンですくい口に入れるたび、感動が体温を上げていく。ああ、カレーだ。安心する味だ―お土産用のルウなども発売され、わりとブランド、全国区になってきた「バスセンターのカレー」。そこでは、バスセンターという交通拠点における人々の「心の拠り所」を味わうことができると思う。

 再開発はバスの要衝でもすすみ、随分ときれいになった。それでも乗降場の天井を遮る分厚いコンクリート、バスの熱、店から放たれる熱、人の体温、そして日差しとアスファルトの熱は、初夏の新潟の風景として変わらずに存在している。この灼熱のなか、身体は汗をかいても、道行く人の嗅覚には「安心感」が触れているのだ。

万代シティのレインボータワー跡地にて

バスセンターのカレー(普通盛り490円)

 

 

2.高架化した駅わりとすき

 

 新潟駅と万代シティバスセンター、それぞれ新潟の交通拠点が新しい姿に生まれ変わっている。駅に至っては修繕にとどまらない、完全高架化という構造そのものの変化。万代口の閉鎖で寂しさを募らせていたら、今度は南口のお手洗いも閉鎖されたというではないか。トイレがなくなるのは寂しさより不安の方が先行するが、ともあれ同じ駅とは思えない十年間における変貌ぶりに、目を丸くしながら構内を歩いた。

 駅の高架化や新幹線、道路工事などを見ていると、その新しい姿への期待が膨らむ一方で、どの程度需要があるのかと、少なからず疑問も抱いてきた。そんな折にタイムラインで「常に工事によるノウハウの取得・伝達に努めないと、いざ必要火急に迫られた工事の時に役割を果たせない」的な内容の投稿を見て、大いに納得した。災害によって壊れた重要な建物を復旧しなくちゃならん、というときに、誰もやり方がわからないとか、あるいはそれまで仕事が無かったので会社がなくなって技術者もいないとか、そういうことを防止する意味もあるんだろうか。

 こういう大規模な変化が起こっていることも、変わらない為の変化……というか、巡り巡って日常と安心を支えている、という一面を含んでいるのだろうか。手を上げる人達の横を、電車が徐行して通り過ぎる。電子警笛が敬礼みたいでかっこよかった。

 ちなみに嬉しい変化の一つとして、改札外に新設されたNewDaysの規模がめちゃくちゃ大きいことが挙げられる。改札内にもこれまで通りあるし、コンビニの増設とその新店舗の利用しやすさ、というのは大きな進化であろう。隣には閉店したパン屋さんも移転してきて、営業開始している。嬉しい。シンプルに便利なだけでなく、新しい風が吹いてるじゃん!と思ってわくわくした。

万代口を新駅舎から眺める(このすぐ右隣に新NewDaysがあります)

旧8・9番線跡 役目を終え取り壊しを待つのみ

 

 

3.梅雨前線どうしようもなし

 

 連日ずっと頭が痛い。そして眠い。やることがないと何時間でも寝てしまい、わずか数時間でまた眠くなってしまう。こんな日常はいらないし、よくないが、薄い色ながら分厚く感じさせる雲と、轟と音を立てる風、それらの視覚・聴覚にまったく一致しない、もわん、とした暑さがすべての気力を奪い去っていく。

 血糖値の乱高下によって、三時間ほど気絶して、日付が変わる一分前に頭痛と共に目を覚ます。ホーム画面の青い鳥に指が吸い込まれて、タイムラインや検索窓の文字列を目が追いかける。ただの頭痛じゃなくて、機能を停止してるんじゃないかと疑うくらい、意思より前に指や目が働いている感覚がする。……2年前はこれを丸一日、一週間と繰り返していたわけだが、よくないなとか、疲れるなって思えるだけでも当時よりは成長している。……いや、SNS疲れを自覚しながら吸い込まれているのだから、むしろ逆かもしれない。

 この前も悲しい対立のニュースが目に入ってきたけれど、その渦にいる人の文章があまりに美しく、繊細で、つい追いかけてしまった。悲しみや苦しみ、悩みを吐露するものに「高評価」を押していいのかどうか、躊躇してしまって結局できなかったけれど、どちらを支持するとかそういったことはなしに、ただその人が綴る言葉に魅了されたのである。

 言ってしまえば、「近すぎる他人」でしかない家族のかくあるべしみたいな問題は、ここ2年は僕自身も体感していること(特に対立とかはしていないけど)であり、心を痛める話題である。ニュースで見ただけなので詳しいことは分からないけど、発端となった漫画の終幕において、あのように限りなく昇華されて言い換えられた「勘当」宣言があるのか……と思ってしまった。

 悲しい争いや憎しみ、恨みつらみは絶えない。必要以上に悩み悲しんだりしていると疲労が倍増してしまうので、このへんでやめる。

 この前スピリチュアルの話をあれこれとしてきたおばちゃんがいて、でも結局悩みなんかなければこんなのいらないわね、みたいな結論に落ち着いて、あんたはそのまま頑張りなさいみたいに励まされて帰った。なんだったんだあれ。だが、世の中に蔓延している危険への誘いに乗らない手法として、現状もっとも効果的なのがこれである。顧客は悩み・不安など「不足」の解消のために商品を買うのだから、「いらん」「知らん、わからん」と言える自信はやっぱり大事である。

 

 これは何の話だったのだろう。カレーが美味しかったし新しい新潟駅はわりと便利だし梅雨では参ってしまうがこれも仕方ない?つまりとくになにもないので、多分それがいいという話としておく。

 新幹線を見送ったら車掌さんが手を振ってくれた。僕がマスコロくらいの年のころを思い出して、なんだか温かくなった。……うん?

E7系に手を振りました(乗りません)

「ファッキンホット」

 オウ、アイムソーリー。

 夏の日差しとコンクリート、カレーの熱(と単発バイトの面接)で、既にホッカホカの身体は汗で湿っている。僕は汗が出るが、マスコロは乾くのだ。どちらもよくないので早く帰った。