やっぱりブヨには「咬(噛)まれる」である。
喰っても咬んでも美味しくないぞ
すっかり鈍っていた感性を働かせて、募集締め切りギリギリに文芸作品を2本書き終えた。
それの関係で一週ぶんパスした本らくがき帳であるが、見たら運営からメールが来ている。サボりの御咎めか、と思って寝惚け眼で見たら、「一年前はこんな記事書いていましたね」。
「一年前はこんな記事書いてましたね」の4題
そうですね、と思った。
少なくとも今より暑く長かった去年の夏
同時に、少しだけ長くて暑い去年の夏を思い出した。今でこそ室内の不快指数が気になって冷房を動かしているけれど、気温そのものはさして上がっていない。「明け」と「入り」を繰り返す梅雨のおかげで、ただでさえ短い夏があっという間に越後平野から去っていく、そんな感じである。
とはいえ、去年の7月は蜂に刺されて幕を開けたのだ。そこから蕁麻疹になったり、繁忙期や何やらで疲労したり、買った服が透けたり小さかったり、狭い海沿いや山道を四苦八苦しながら走ったりした。微妙な立場、混雑に(僕の件含む)アクシデントと、前職在職中でも特に極めて無力感・虚無感を感じた時期であった。やはりこうして振り返ってみると、人には確かに恵まれたのだけど、決して良くはなく楽しくもなかったなあ、と振り返る次第である。
「喰われた」「咬まれた」問題に関する一年後の見解
さて、蜂の件で僕は何と綴ったのか。
そういえば蜂の場合は「喰われる」とは言っていない。
(中略)
もともと祖父母が「かにくわれた」をよく使っていたせいか、それは「刺される」派の僕にもしっくり来た。どちら派でもあった、と言うべきだろうか。その数年後には何かの本で、雌の蚊は養分として血液を吸っている、という事実(なのか?)を知ったので、余計に「喰らう」という文字はよく当てはまるように思えた。もっともその本を読むまでは「かにくわれた」で一つの動詞だと思い込んでいたのだが、まさか「か(蚊)」という名詞に「喰われた」という過去受身形だとは……。
(中略)
ともあれ、蚊に「噛まれる(咬まれる?)」という使い方を知るのは、大学の周辺地域で蚋のことを「谷村虫」と呼ぶのを聞いてからになる。つまりブヨなのだけれど、あの一帯には比較的多いようだ。ブヨは皮膚を噛み切って血を吸うから、なるほど「刺された」は違う、というのはわかる。
ううむ、これでは蚊ではなく蚋の問題になってしまったな。何しろ受身側の表現ではなくて、血を吸う側の方法がそもそも違うのだ。いや、しかし大学保健センターの注意喚起にも「ブヨに刺されたら」という題で対処法を書いていた気がする。
ブヨ、お前……どっちなのだ。まあ刺すのも噛むのも、できればやめてほしいのだが。
ー弊ブログ内「刺す、喰う、それとも噛む?」2021年7月3日
……まあ末の一行が全てである。
刺すな。噛むな。喰うな。
美味しくないぞ。お前たちはうちのマスコロにあらず、何でも捕食する凶暴魚*1ではないのだ。
それでも蚊や蚋にとっては美味しいのだろうか。彼らの食レポが待たれる。「シラユキコジローの血液。味はクソマズいしドロドロだけど安さが売り。ほとんどガードもなく入りやすいので星3つとしました。品質の改善が望まれます」ってなもんであろうか。ふざけんな、一杯334円*2にしてやる。
そんなことを言っていたら、今年は蚋に2か所も噛まれた。
漢字で言えば「咬む」のほうが適当なのかもしれないが、同じことである。右手の甲と左腕。痒み自体は少ないが、いかんせん腫れていて違和感でしかない。
「谷村れる」はラ行動詞の受動態として認められるか
ところで去年言及した「谷村虫」の存在だが、あれはシンプルな数(生息地域)の問題であると予測できた。
つまり各個体の個性=毒性そのものは変わりがなく、むしろ耐性を失っている今のほうが腫れが大きい気がする。タラ~ン、と食べこぼしが流れていくのを見た瞬間に痒みが走り、みるみるうちに皮膚が色を変えて肥大していく。
どうも大学が愛称を付けて注意喚起までするものだからすっかりびびってしまったが、要するにブヨなのだ。それが谷村町でも都留市でなくてもブヨはブヨ、毒性の強い虫なのである。したがって「谷村(やむら)れる」という動詞は特有の言い回しにはなれど、「やむら-る(ラ行ナントカ活用動詞)*3」の受動態である、という指摘は認められない。……異論は認める。どっちなんだよ。
ともあれ、まあ蜂にも蚋にも、あるいは夏休み中のあらゆるトラブルには気を付けるべきである。勿論水の事故や熱中症にも、だ。
2.おまけ(ギャラリー)