相棒・マスコロを連れて、下田村方面を目指すことにした。
1.博物館の意義は「見学でわかったこと」のまとめにあらず
人には生涯学びの機会が与えられている、とは何の本に書いてあったことだろうか。
ここで言う「学び」とは何も国語や算数などに限ったことではなく、また問題を解いて成績を出すとかいう「勉め強いる(強いて勉める?)」ことを指すのではない。おべんきょうなんかきらいだ。いくら真面目そうとか言われたって、嫌いなものは嫌いである。
「学び」というのが勉強を連想するのであれば、ここは「吸収」と置き換えようではないか。あるいは「摂取」でも良い。何も「ほしいもの・やりたいこと」を叶えよう、ということを唱えるのではなく、例えば初めて入るお店で食べたことのないカレーを食べ「おっ、美味い店見つけた!」的な、そういうもので良いんじゃないだろうか。あるいは、何回も訪れている土地の些細な変化を楽しむこともよい。
ということを、諸橋轍次記念館の向かいにある「道の駅 漢学の里しただ」に行って、何となく考えた。
○○記念館や博物館といったものは、多くは文字通りの「学び」のための施設のような気はする。いつだったか、別な博物館みたいなところで仕事をして、同じ持ち場に就いた人に「こういう博物館って、小・中学生が社会科見学で来るところですよね」って言われたことがあった。なるほど、確かにそうである。多くは資料を真剣に見るふりをして、分かってもいないのに「~ということがわかりました」とか書いて、行き帰りのバスで騒ぐのだ。
いや、実際には展示や学芸員の話に魅せられて、よりもっと知りたい・追求したいと思う者もあらわれてくることだろう。僕も戦国や幕末の武士とかの歴史にめちゃくちゃ興味を持っていたこともあったし、それこそ鉄道資料館だってその歩みを記し伝えるための施設なのだ。しかし、好奇心や向上心、あるいは心理的安定や社会との繋がりを実感し、精神的な豊かさを得ることも「生涯学習」の意義である。何も年表や資料に書いてあることの理解のみに努めたり、そこから気づきを得る必要は別にない。
敷地内の庭園からは、諸橋轍次が帰郷のたび眺めたという、田園と山を見ることができる。ちなみに諸橋博士、国文学を履修したものとしては割とよく聞く名前ではあるが、母校の初代学長で、出身が下田村で……ということらしい。
なるほど、なんと馴染みの深い!これは今一度、博士のことをよく知ってみようかしら。……そう決意して30秒後にはお腹が空いて、僕は隣接する道の駅のレストランへと向かった。
2.霧のころはさらなり
方角は乗ってから決める
ところで何でまた諸橋轍次記念館なのか。……出かける前のことである。
「今日久しぶりの休みなんでしょう。早くドライブ行くよ」
そこにアラームの音はなく、ガブリ、という指先への刺激で僕は目を覚ます。カーテンの隙間から零れる明かりが眩しいが、そんなに晴れているわけでもないようだ。それにしても眩しい。寝すぎた。目がくらみ、頭が痛い。
「すまん弟よ。久しぶり過ぎて疲れたから休む」
「何言ってるの。とっとと着替えないと捕食するよ」
はい。……いいえ。今日に限ってはもう「いいえ」、拒否である。もう疲れた。
だが問題がある。10時になって、何かをしようと思っても、身体は起床を拒否している。しかしもう眠くはない。寝ることも起きることもできない。おれはどうすればいい?
「何したらいいかわからないんだよ」
「だからドライブだって」
「でも、どこへ行くんだよ」
「そんなの走り出してから決めるんだよ」
「なんて無計画な」
「今更何言ってるの?これまでだってずっとそうしてきたじゃない」
はい。
……で、文字通り風に吹かれるまま走ってきたらこうなった。とりあえず家を出た段階で決まっていたのは「北以外」である。最近は仕事で豊栄・聖篭方面へ向かうことが多かったので、西か東か南を攻めよう、と決めていた。つまり何も決めていなかった。
行程は後述するが、新津から下田・八十里越へ向かうのには、五泉から国道290号を経由し、289号や県道9号でさらに東へ進むルートが近い。もしくは、403号を三条市街まで進んで289号を左方向へ折れるかのどちらかだ。……少なくとも、五泉から西(矢代田・田上方面)へ進み、加茂市街をまわって東へターン、という必要性はまったくない。ちなみに「漢学の里しただ」へ行こうと決めたのは、「石油の里」などがある金津を通過して丘を越え、矢代田の交差点を左に曲がった瞬間であった。
「マスコロ……ほんとに僕は何がしたかったんだろうな」
「何言ってるの、こういうのでいいんだよこういうので」
「末期」
だが真理である。風に吹かれるままに提燈が揺れ、マスコロが指す方向に僕がハンドルを切る。去年一年間、我々が築き上げてきた(と自負している)絆なのだ。
霧と灰色と木々の闇
さて下田に着いてみた。曇っている。時折粒が落ちたり、あるいは霧状のものが吹き付けたりもするが、傘をさすほどではない。相棒を抱きかかえて外へ出る。
「良い天気だね」
「良いかなあ?お日様出てないよ、雨も降りそうだよ」
「何言ってるの、それがいいんだよ」
僕が間違っているらしい。だが真理である。
道の駅で昼食を終え、我々はさらに山間へと分け入っていく。
人の気配はさらに薄れ、小さな川と道路を挟むように、巨大な天然の壁が迫る。はらはらと遠慮がちにフロントガラスを濡らすものを一度拭い、続いていく道を見上げると、分厚い灰色と無限の木々達が行く手を阻んでいる。
「峠」
映画のタイトルになったその単語を、改めて呟いてみた。かの継之助も、この巨大すぎる障壁を必死で越えようとしたのか。生存の希望を繋ぐ道の風景としては、あまりに険しい。今日は雨模様だから、というのももちろんあるけれど、昼間にもかかわらずここは暗く、静かであった。近くの虫の声、遠くの鳥の声、風と雨の音色―そういう自然の放つ強大な静けさは、工事の重機が挙げる咆哮すら、かき消してしまうようだった。
八十里越は工事中で、通行止めとなっていた。我々は引き返し、近くにあるダムへと向かった。豊富な水を湛える人工の湖と、その向こうに広がる天然の障壁。分厚い灰色と霧が、その荘厳さを演出している。
強大すぎる自然は恩恵をもたらすが、同時に恐ろしく、険しいものである。ダム湖の向こうで、静かに雄弁に語る漆黒の山を見ながら、今日はしかし恩恵にあずかって帰ろうと思った。空気が美味しい!近くでも霧がたち、穏やかに水が波打っては模様を浮かべる。……ん?
「普通に降ってきたね」
そうだね。濡れるね。
多少なら文字通り水を得たナントカなわけだが、これでは魚とて風邪をひいてしまうだろう。僅かに濡れた相棒を見て、そろそろ風呂に入れようかな、と思うのだった。
3.おまけ
行程
- 12:00過ぎに出発。新津から新関駅方面へ抜け、広域農道を五泉方面へ進む。
- 県道41号=白根安田線を西(右)へ折れ、丘越えして矢代田へ抜ける。正確には次の信号で「加茂方面へ行こう」とだけ決めて、403号方面を南下する。加茂市街に入ったタイミングで「下田を目指そう」と決めて進路を東へ変える。
- 加茂川に沿って進み、国道290号に入る。東に進み、三条・下田・栃尾方面を目指す。このタイミングで目的地を決める。五十嵐川を渡り国道289号と合流、出発して約1時間とちょっとで「道の駅 漢学の里しただ」へ到着。
- おとなり「諸橋轍次記念館」の庭園を見学後、13:50頃に道の駅内のレストランで昼食。昼食後の14:30頃に、さらに下田村の奥を目指して出発。
- 国道289号をさらに東=山の方面へ進む。工事通行止めになったので引き返して、15:10頃?に「大谷ダム」へ。
- 16:00ちょっと前に大谷ダム出発。国道289号を西へ進み、三条市街から403号を北上→加茂で休憩後、17:50頃帰宅。
久しぶりのドライブ過ぎてずいぶんご立腹だったが、少し提燈が起きている。おお、これはマスコロも満足する旅だったのでは?食堂のおいしいカレーも食べ、ダムや自然に癒された。気ままに車を走らせ、どこかへ行き、何かを知る。これだけでも人生は豊かになるのだ―。
「もう少し早く起きない??」
はい。
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