むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

ケーキを食べ損ねた

 例年通りの寒波。だが今年は少し様子がおかしい。

 

 

 

1.

 

 今年も冬将軍が攻めてきて、謙信や兼続、継之助のいない越後は成す術無く白い闇に覆われることになった。

 いや、彼等とてこれには手を焼いてきて、その都度立ち向かってきたのである。そうして雁木やら消雪パイプやらといった知恵が生み出されていくわけだが、敵方もそこは手を打ってあるのだろう。例えば雁木は経年すればそのものが腐敗し衰退する。新津の駅前にあったものは、大半がその姿を消している。

 敵方は力押しに限らない。消雪パイプが無いと見るや、その地域を陣の中心としたようである。つまり中央区や北区など、ほぼ融雪設備がなく且つ中心街や交通量の多い地域が麻痺することになった。冷静に考えると、北国の主要道路なのに雪対策がまるで取られていないというのも、敵将にとってつけ入る隙ではあったのではないだろうか。

 

 反対に山間部では言うほどの積雪はなく、何なら湯沢などにとってのそれは逆に「被害」であったかもしれない。スプリンクラーを浴びて、最後の冬となるガーラ湯沢に張り切って入線してきたE2系は、その初日にガラガラの臨時駅を見ることになったとか。

 丁度大雪予報だった先の週末、僕は所用で阿賀町に向かっていた。普通に自分が雪達磨になることを想定し、ありとあらゆる非常装備を積んでいったが、杞憂に終わった。開催そのものが危惧された現場の最終日であったが、無事にそのミッションが終わった。

 

 ……無事に、だろうか。

 最終日という最終日、僕のポジションを「安泰」と評してくれた現場チーフの期待とは裏腹に、「しょうもない」としか言えないポカを連発。見落とし、計算間違い、押し忘れや貼り忘れ。挙句、最後の人数集計でも数が合わず、時間内に終わらない……という有様で、この現場は幕を閉じた。

 仕事をするうえで、欠員補充以外で高評価を得た経験は、今までにほぼない。それゆえ今秋から週2、3度のペースで行っていたあの現場は、なんとなく自分の「価値」を実感し、また発揮できた時間だったのではないかと思っている。僕に限らず、他のメンバーも各ポジションを理解し、それぞれの価値を存分に発揮したと思うし、またそれを実感させるように統率・采配し、同じように認めていたのかもしれない。

 

 いずれにしても、単なる「穴埋め」要員としてではない形で評価してもらったことも、シンプルにその仕事内容が楽しかったことも、総合してメンバーの雰囲気がよかったことも、僕にとっては貴重な時間だった。「数合わせ」や「補欠」みたいな形で、適性ではないポジションに配置されて、かえって「いない方がまし」な結果に終わるのとは全然違う。

 それゆえに、最後の最後はなんだか悲しかった。主催者側からクリスマスプレゼントがあったのに、色々あってもらい損ねたのも悲しみを倍増させた。また4月から開催されるのかどうか?みたいな話は聞いたから、上手く締めて飾れなかった時間と食べられなかったクリスマスケーキを、機があれば取り返しに行きたい。

 

 

2.

 

 クリスマスを迎えたからか、はたまたこの寒波のせいだろうか。姉が帰省している。

 帰省、といってもいちおう同じ市内に住んでいることと、何なら実家からの方が職場に近いらしいので、まあ「いつものように出かけて行って帰ってきて暮らしている」という認識であろうか。つまりいつもと大して変わらないようで、やっぱり1人増えただけでこの家の様相はちょっと変わってくる。……洗う皿の量とか、風呂に入る時間とか、そういう物理的なこともである。

 

 姉曰く、おもに食卓でのうちの親父は面白いらしい。

 例えば頼んでいないのに僕の白飯を器に山盛りにする(で、結局その僕が「多すぎる」と言って減らす)とか、他3人の会話にまるでついていけないとか、そもそも食べるのに夢中で聞いていないとか。そうしたら母曰く、「面白いのはあなた(=姉)が来たときだけだ」というので、「そんなことないだろう、こんなに面白くて優しいお父様が云々」と棒読みしておいた。

 

 この家族は仲が良いのか、と訊かれたら、まあ悪くはないだろう、と答えると思う。というより、傍から見たら賑やかな部類に入るから、そう答えざるを得ない。たぶん両親の感覚としてはこうだ―「どこにでもある、普通の、良好な家族関係」。

 だが、それが3人になったら面白くなくなるとか、2人になったら会話もしないとか、それで本当に仲が良いと言えるのだろうか?と思わないでもない。姉がいない日は面白くなく、母がいない日は無言であり、父がいない日は話のネタがない……のだろうか。

 結構そう考えると、我が家って随分ギリギリのラインで保たれてるんじゃないかなって、危惧することがある。でも、ずっとそれが「日常」であり続けているから誰も疑問に思わない。あるいは、崩壊したとて具体的にどうなるのか、それもまた今の「日常」で垣間見れる風景ではないか……みたいな。

 

 少なくとも僕から見た家族との関係は、確かにどこにでもある普通のそれである。これらはもう何年も我が家のスタンダードであり続けている以上、崩壊せず保たれているという観点では「良好」といえるのかもしれない。

 それに対し異を唱えて高望みすることも、もうやめようと思った。何なら崩壊していくべきであり、それもまたあるべき姿だからである。今僕がPCを起動している深夜のリビングだって、まあ世間一般ならもう「過去のもの」になっていたほうがよい風景なのかもしれないのだ。

 

 つまり何が言いたいのかって、例年通りに寒いし雪も降っているが、時代はすすみ変化していくということだ。で、そんな変化の中で少なくとも上昇も前進もしていない僕が、相も変わらず昨日や過去にしがみつき続けていて、しょうもないミスをしてしょうもない後悔をしている、ということである。何の成長もない!

 キーボードの感触に反比例するかのように、かえって思考が鈍っていく音がする。寒いのでさっさと寝るべきだが、寝れるかどうかはまた別の話である。