むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

雪が溶けたら本気出す -2023.1.30

 睡眠、食事、怠惰、また食事、入浴、そして睡眠。

 

 2日ぶんの空白は、前述のいずれかで埋まった。欲求にとても忠実なことだが、逆にそれだけで時間を潰せることに、ある種の才能すら感じてしまう。そんなもの史上最高に役に立たないだろうけど、いいんだ、僕が求めていたんだ…と自身に言い聞かせ、またかれこれ言い訳を重ねるうちに2連休が終わりを告げた。単なる大罪である。

 窓の外の白い壁が、さらにその厚みを増して行手を阻んでいる。僕を守っている2階の四畳間も、いつになくその空気は冷たく、痛いものに感じられる。エアコンやポットを起動すると、すぐにブレーカーが落ちた。電気もなかなか使えない。となると、読書やPCも満足にはできない。

 

 こういうとき、精神を安定させるのには筋力の増強がよいという。確か友人がそう言って、トレーニングと健康的な食事と規則正しい睡眠サイクルの重要性を説いて、僕に料理を振舞ってくれ(る代わりに自室の掃除をさせ)たのは良い思い出である。

 筋力強化、と言っても、特に重要なのは下半身だと思った。片足をベッドや椅子かなんかに置いて、もう片足にスクワットのように負荷をかける運動がいいらしい。ピッチャーに絶対必要なトレーニングとして紹介されていた。

 股関節の柔軟性も大切だ。内旋・外旋の運動がいいらしいのと、シンプルに身体をほぐすのにはストレッチも欠かせない。というわけで、長座になって爪先をつかもうと手を伸ばした。足首くらいで力尽きて、腿裏が悲鳴を上げた。

 腹筋も必要である。そういえば、前職でも利用者がいなくて暇になると、よく研修と称してトレーニングをしていたものだ。当時を思い出してやるか、と思って仰向けになって、上体はやや起こして、真っすぐ伸ばした足を閉じて真上へリフトして、床すれすれまで下げて開いて閉じて……を繰り返した。下腹が悲鳴を上げた。

 ピッチャーの資本は、やはりその肩や肘である。肩関節の柔軟性は、フォームの最適化を生み、それが活きの良いボールに繋がるのだ。というわけで、両手を後ろで斜めに組む「あれ」をやってみた。「あれ」はピッチャーだけでなく、バンドのドラムもできるといいらしい。まず利き腕側を上にして、斜め下から伸びる左手と組み合わせようとした。2本の指先がわずかに触れた瞬間、激しい抵抗が関節に走った。

  

 しばらく動かさなくて、固まっちゃったなあ、また動かさないとな~アハハ、って笑うべきシチュエーションかもしれないが、普通に悲しくなったのでやめた。ドラマーにもピッチャーにも必要なものがここにはありませんよ、と自分の関節に言われている。

 だが、この理屈で動くのをやめるとただの悪循環だ。とりあえず故障防止の為にもトレーニングやストレッチは続けるべきだなあ。というより、これがバンドや野球に限らずとも、豊かな人生は何かしらの挑戦と継続と変化で、0に1を足す作業のもと成り立っていると思う。

 

 そのことはわかっているからこそ、この2連休を振り返って余計に悲しくなった。暗闇で、イヤホンから「何か一つでも僕を変えられたかい?」と、結束バンドが問うてくる。なるほど、確かに「少ないけれど誰かに深く刺さるんじゃないかな、えへへ」である。

 しかし回答が二択のいずれかになっても、朝はやってくる。水たまりに悲壮な顔ができて、乱反射する光は眩しすぎる。無情なことだが、懲りずに「雪が溶けたら本気出す」と言い続けて、大罪を犯して平気な顔をしているメンタルくらいのほうが、この世にはちょうどいいのかもしれない。

 

 平野に真っ白な壁ができた1月末の落書き(を2月頭の深夜酔い寝惚け眼でちょこっと修正)