むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

一難溶けてまた明日 -2023.2.14

「溶けてなくなる記事を書こう」とは。

 

 そんな儚いものでいいのか、という問いに向けられる、少なくとも僕からの回答はむしろ「そういう”舞い落ちて、水になる粉雪”みたいなもののほうが求められている」とするべきである。カテゴリを「妄言」とし、タイトルは「らくがき」とし、また名前に「ゆき」が入っているわけで、例えばその日浮かんだ言葉を編んでみても思考は天気のように移ろって、積もって固まったように見えて日光や高気圧で簡単に溶けてなくなったりするほうがよいのだ。人生は儚い。かの謙信公は言った―四十九年一睡の夢、一期の栄華一杯の酒*1、と。まして一日なぞ一滴に過ぎぬではないか、というのが趣旨で、つまりは気張らず思ったままを書こうではないか、ということである。

 ……つまり、わからない。だが確かに、月曜日(2023/02/12)のはてなブログのトップページは、右上にそういう文言を記していた。

 

 ここ最近は10時間以上眠ったり、退勤から帰宅して就寝するまでの過程(着替え、夕食、入浴、歯を磨く……等)が面倒になったりして、気が付くと午前3時をゆうにすぎていたり、また正午を過ぎても起きられなかったりしている。一度は整えたかに見えた生活リズムを結局崩壊させている自分がいやになるが、反面、まあ一日のごく一部でも社会参加できているしいいか、とも思う。

 業務中は交錯する数多の日常、及びそのうちの幾つかが目標とする一瞬における熱量の昂ぶりを感じられて、それを基本的には眺めているだけ(建前では環境を整えるとかご案内をする……みたいなこと)にはなるが、たのしい。業種として何かの足しにはなっていて、その中でまあ穴埋めくらいはできていて、多分ここは「或る一定数の日常」にとって求められる場所なのだ。だから他に意味なんてものを考えずに済んでいるし、僕自身も「様々な意味合いで」その場所が在ることを欲している。

 ……つまり、わからない。だが多分、一日のほんの一部分でも、それが労働としても利用者としても社会との繋がりを実感する時間があって、「まあいいか」と思っているよ、ということである。そして多分、それゆえに、違う現場で適性のない仕事をするのが嫌だよ、っていうことでもある。

 

 また気付いたら午後2時を指していた。太陽は既に下降し始めている。起き上がると両の上腕と肘、腰と股関節が「前日はよくも酷使してくれたな」と活動拒否を訴えてきた。左膝の内出血は、手を滑らせたか持ち上げられなかったのかいずれかで、段ボールを落っことしたのだったか。どちらにしろ間抜けである。 千円ちょっとの時給×8時間半分と疲労を儲かって、心がパキ、ポキ、と折れる音を聞いた。

 

 そして気付いたら午前3時を指していた。東の方から確かに近づいてくる気配が、憂鬱さを加速させる。外は吹雪。低気圧は未だに平野で荒れ狂っているが、春を迎えれば花粉が吹くのだろうか。冬を耐え忍んだところで、次の一難が来るだけなのか。そういう途方もなく感じる苦難、あるいは憂鬱、あるいは虚無、あるいは疲労......を繰り返すうちに、一睡の夢のような生涯を閉じるのだろうか。

 

くたびれもうけの腹いせ(うまかった)

おひめ「ハッピーバレンタイン!」

 〆張鶴とチョコレート、昨日と今日で随分と欲求も変わるものだ。互いに溶け合うものでこそなかったが、まあ蛙や魚もいるのだ。兄に買ってこさせたチョコレートを「バレンタインだから」と我が物顔で弟たちに与え、翌月の三倍返しを要求する御姫様に、球団への翻意も要求する末弟。

 つまり、これはわかる。主は阿呆で間抜けで、昼夜は逆転し、嫌な依頼は断れず、妹や弟には逆らえない。まあ、幸福な味わいだったと言っておこう。