むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

陰キャコミュ障高校生オタク(元)ワイ、グアムにて四苦八苦

今週のお題「行きたい国・行った国」

 

 確か中学英語の教科書には「空港の入国審査」の一幕があった。

「What’s the purpose of your visit?」

「Sightseeing.」

 ここで「スクールトリップ」とは言わないように、と指導を受けたのは、実際に他国を訪れようとする高校2年生冬のことである。理由を問うても教えてくれなかったが、あれも危険防止の観点なのだろうか。その割には制服指定だったのが、なんとも皮肉である。ちなみに練習に練習を重ねた上記の例文は、実用機会がなかった。パスポートを提示すると、あたかも私は堅実且つ厳正に仕事を行いますよ、的なノリで、こう尋ねられる。

「How are you?」

 あ、アイム、ファイン……。センキュー……?

 

 満足そうに頷くおばさんに入国を認められ、僕は生涯唯一となる異国の地・グアムに降り立った。

 

 

 

 

 

1.四泊五腹痛

 

 初の外国で僕を泣かせたのは、言語以上に食べ物である。

 

入国~1日目夜

 入国初日は既に夜であった。一度ホテルにチェックインし、夕食を食べて、またホテルに戻る行程である。

 最初は数メートル先に海が押し寄せるような、店?屋台?……よく分からないところに集められ、よく分からない歓迎のダンスを見守りながら、肉とか野菜を食べた。晴れていたので気にならなかったが、屋根はあってないようなもので、たぶん雨はしのげない構造だったと思う。

 潮風は心地よかったが、ダンスはよく分からなかった。八分目程度に腹は満たされたが、いまいち物足りなさを手土産に、我々はホテルへと戻された。数十分後に腹をぶっ壊した。早々に日本が恋しい。

 あと当たり前だけど暑い。ブレザーは早々にお荷物となった。

 

2日目

 2日目。部屋の電話が鳴ったので「Hello?」と出てみたら、「これはモーニングコールですよ」と冷静に返されて一日は始まった。部屋から見える海が美しい。

 確か午前中は現地の大学を見学することになっている。英語を使ってゲームをして、キャンパスを案内される。現地の大学生が教えてくれた「Hafa Adai!」という挨拶を使いまわしていただけで、修了証的なやつを渡される。学食はわりとうまかった。

 夕食......には少し早い時間帯、出店が並ぶエリアに行く。日常的に並んでいるのか、それとも祭りやイベントだからかはわからないが、湯気とも煙とも見えるもくもくとしたものが、食欲をかき立てる香りとともに立ち上る。「うちの店、どうだい?」的な掛け声とともに、若いお兄ちゃんに足を止められて、ココナッツマンゴージュースを頂く。割とうまかったのでもう一杯おかわりをした。ホテルに戻り、数十分後に腹をぶっ壊した。

 

3日目

 3日目。確か現地の高校生と交流して、その後ショッピングモールかなんだかをうろついたんだったかな。

 とにかく規模の大きい玩具屋とかを見て、ギリギリ聞き取れるけど回答ができない致命的なコミュ力の低さに呆れられ、その後合唱を聴いて終わった。クラスメイトの何人かは現地の青少年たちと連絡先を交換したという。日本でもよく見るファストフードチェーンが並んでいることは、大いに我々を安心させた。英語の教科書には【ファストフード店でのやり取り】なんていう例文もあったっけ。しかし、大事な一文が抜けている。

「Japanese,OK?」

「アア、大丈夫デスヨ」

 押し切った。解散後は夕食まで自由行動なので、モールや街中をうろつく選択肢もあった。だが、友人(オタク)達と相談するまでもなく、

「早く帰ろう」

 乗り込んだバスでも運転士に「ドコ行きますカ?」と日本語で問われ、ホテル名の上半分だけ伝えれば連れて行ってくれた。語学研修の意味は既に破綻している。

 自由行動中にやったことは、あとは日報的なものを書いて、部屋でアニメの話をして、ゴロゴロしたくらいだったかな。陽キャ共がキャッキャと言ってプールに繰り出していく中、日陰者はグアムに来ても「動きたくない」「水着になりたくない」という信念を貫いたのである。

 ちなみに夕食の記憶はないが、腹はぶっ壊した。帰国初日の夕飯何かな。

 

4日目

 4日目。確か班別自主研修とかいうやつで、僕は【歴史探索ツアー】を選択する。ちなみに陽キャのクラスメイトはイルカだシュノーケリングだアドベンチャーだと言って、張り切って大自然に飛び込んでいった。若いってすごいね、と互いに言いながら、僕と「いつもの」アニオタ2人、あといつも1人で自習や読書に勤しんでいる女子生徒×2名を乗せたバスが出発していく。コース中に昼飯。とうとう、あのフレーズを使うときがきた。

「ワンコーラ、アンドワンホットドッグ、プリーズ」

 美味かったが、腹は殆ど満たされなかった。歴史は頭に入ってこなかったが、楽しかったしまあいいか。

 ホテルに戻ると、クラスメイトの男子の約半分が同室に集結。聞くと、海に沈む夕日をバックに集合写真を撮ろう、というのだ。広すぎる海の向こうに、太陽が血を流して落ちていく。目に飛び込むオレンジ色と、野郎どもの笑顔が眩しかった。あの時有無を言わされず撮らされたのか、はたまた自分からカメラマンを買って出たのかは、今となっては昔のことである。

 

5日目~帰国

 5日目。といってもホテルをチェックアウトして、すぐ空港に向かうだけである。昔あれほど恐れていた飛行機は往復とも墜落も炎上もせず、新潟空港へとたどり着いた。陣内智則のネタで観た救命胴衣も実用機会には恵まれず、アラブの石油王を呼ぶこともなかった。

 朝にグアムを発ち、まあまあ美味い機内食をいただき、日が落ち始めたころに新潟に着いたので、時差はあったのだろうが殆ど感じなかった。それより普通に空腹になったので、新潟駅に向かいとりあえず何か食って遊ぼう、という流れになった。当時、駅南にあったサブウェイ(だったと思う)に入る。

「美味い……」

 僕の人生初サブウェイはお恥ずかしながらそのタイミングだったが、めちゃくちゃ感動したのを覚えている。サブウェイが美味しかったのか、ここが日本だから美味しかったのかはわからないが、とにかく美味しかったのだ。ついでに言うと、店員さんの日本語は当たり前だが流暢で、駅の案内放送、すれ違う人の会話……とどこを切り取っても日本語、日本語である。そして帰宅し、母の作ってくれた夕食を食べる。

「美味い……」

 4,5日?ぶりの実家の食卓は、涙が出そうになるくらい美味しかった。日本最高!と感じた瞬間である。この修学旅行は、そういうことに気付くべきものだったのだ!日本最高!!

 ……ちなみに腹は(寒さのせいで)ぶっ壊した。向こうは常夏、こちらは真冬の新潟であった。

 

 

2.おまけ

 

 ところで、学校から配布されるしおりには【グアム語学研修】と明記されている。だが、まともに現地の人と話せた英語が、

「What time is it?」(←現地の高校生に使用し、「なにいってだこいつ」という顔をされる)

「Excuse me.」(←レストランで使用し「Hun?」と返される)

「I will take it.」(←ホテルの土産物店で使用。店員があれこれ話しかけてくれるのだが、会話になったのはこの部分だけだった)

 くらいだったので、なんとも情けない。この時の思い出を話すと「グアムに修学旅行だなんて良いなあ」と言われるのだが、会話ができない・海にもプールにも行かない・腹を毎日壊す、と苦難の連続だったので、我ながら本当に「何をしに行ったのだ」と思う。

 

 書いていたらますます冷え込んできたので、常夏の島に行きたくなってきた。上記―もう8年も前の経験から「海を渡りたい」とは思わなくなったが、流石に冬が異常に長く、厳しすぎやしないか……と思う今日この頃である。