むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

2023.4.1

桜が咲きましたね。

 

 全国的に晴れが続き、気温も上昇して、満開を迎えるところも多いようだ。長かった冬は終わったのだ……と、雪国に住むものとしては喜びに暮れたいところだが、一難去ればまた一、いや、二難も三難も来るのが常である。だが、喜んではおく。車内や家でエアコンをつけなくてもよくなったのだ。

 

 野球漫画を越えた、と評されるWBC日本代表は、その熱狂のまま決勝戦を勝ち切った。ああして観るとなるほど、ドラマであるが、それは少々美しすぎるとも思った。その翌週、「いつも」の欲望や憎悪にまみれ、友好の裏で対立し、混沌としか言えない、なのに調和は保たれているようにも見える、醜くも美しい世界が、今年も幕を開けた。ネットに飛び交うなんj語を追っている分には落ち着く空気感だが、スタンドで観る風景に違う思いを抱くことも知っている。いや、忘れかけているのだが……。

 

 多少カオスなほうが面白い。それはフィクションに対する見解であった。

ssss-movie.net

「神様」にとって、創作の登場キャラクターに過ぎなかった者たちが、それぞれの世界を持ち、それぞれの可能性を持った。エラーが起き、それらを一度破壊し、修復し、それを繰り返すことで、それも結果としては可能性の分岐点となったのではないか。

 つまり映画の感想としては全く分からなかったが、40m級のヒーローと怪獣が戦ったら、そりゃあ、スケールの大きくて然るべき話になるだろう。且つ、TVシリーズの本編があっての劇場版なら、カオスなほうが良い。これだけの大事件=非日常の中で、調和を保つというほうがおかしい。

 神様が不完全で、ヒーローは完璧ではなく、無限や永遠という概念は存在しなかった。結局は皆欠けているもの、満たされていないものがあって、誰かが誰かを必要としている。大規模な事件の中で、ヒーローは誰かを再び必要とすることをためらった。かつてのそれは、互いが通じ合うようなそれでは、決してなかったからである。

 この世界観の中で、「響裕太」の数カ月は失われ、彼のいないところで世界は変わっていないようで、大きく変わっていたのだった。それを加味すると、「響裕太」が初めて直面する非日常で、ひた走る光景には胸を打たれる。

 びっくりするくらいuniverseしまくっていた世界と、アニメながらにして迫力を前面に押し出した戦闘シーンには呑み込まれた。一方で、非日常に抗って生きるキャラクターが発する、大切なメッセージも「特撮らしさ」が出ていて良かったと思う。

 個人的には、「また友達になればいい」って言って、本当に普遍的な友達を心の底からやってる友人君だいすこ。あとよもゆめはなんか……なんだあの安心感。幸せそうにしやがって!!

 

 特撮といえばこちらも忘れていない。

m-78.jp

 激アツ!!

 

 

 語彙力を揺るがされるような出来事になかなか直面していないのは、良いのか悪いのだろうか。フィクションだけでなく現実にもカオスは蔓延し、たまに現実とフィクションの境目すら曖昧になったりしている。

 つまるところ人間とはふわふわしていてよくわからないものだ、と半ば強引にまとめてみる。そういうカオスで忙しくて退屈で楽しい毎日を送っていたら、とりあえず時間は過ぎるので、とりあえず良しとしておこう。

 午後三時半、きょうも良く晴れている。日がようやく西に傾き、その色を濃くし始める。穏やかな光景のもとで、テレビの向こうに広がる、熱くもあり、楽しくもあり、穏やかでもあり、殺伐とも見れる世界を眺めて、暇を潰す次第である。