むしょくとうめいのらくがき

某オタクサークル元妄言兼支離滅裂な思考・発言担当による支離滅裂な思考・発言

文章とか記事のこと

 前略。

 

 一枚の写真と一行のれんげ語にあれこれを詰め込むの、だんだん難しく思えてきたので今日はやめました。あれこれ、とか言いながら実際には大して何も詰まっていないような気がするけれど、何にもなってないからこのブログがあります。れんげで思い出したけど、明日から映画の再上映が始まりますね。れんちょんと仲間たちの、楽しく、少し切ない青い夏の落書きを、劇場でまた観れるのが楽しみです。

 ところで実際に夏というのはそこまで「青」くなく、どちらかというとねずみ色です。それでいて、空気はどちらかというと濃い白か灰色、そんな中で草木の色が安らぎ(というか眠気)を誘う……というイメージが僕にはあります。大学時代に所属していた文芸部の部誌に『蒸す日の過ごし方』という作品を載せましたが、ちょうど今くらいの「初夏」というに相応しい季節に対する、上記のようなイメージを含ませたものであったかな、と思います。

 昨年夏、僕は山梨にいましたが、7月中に日の光を見た記憶がない位には連日雨天・曇天続きでした。少し気が滅入る空模様ではあったけれど、でもそんな空気にも魅力があるなと呑気に構えつつ、今年はもう少し晴れてくれたらいいなあとも願う今日の午後です。

 すっかり前置きが長くなったけれど要するにこうです。

 暇です。

 

 暇、且つ今日はすごく筆を執りたい気分でした。筆を執るとかいいながら、鉛筆もボールペンも持っていないし筆箱すら手元にないのが中々面白いですね。これが現代か。とは言っても別に書くことはありません。いつものように、上が前置きで以下が本題というわけでもないから見出しも付けていません。

 見出しで思い出しましたが、なんとなく過去記事を見返してみると「内容はともかくどうも形式的」な気がするのです。というのは、折角内容に関して「このブログは好きなことを自由気ままに書きますから期待しないでください」と前置きしてその通りに自由気ままな内容を書いているはずなのに、どうも各「見出し」のおかげでどこか「パターンに嵌っている」「何故か堅苦しい」ような気がするのです。

 前置き

 ↓

 本題Ⅰ

 中見出し1

 中見出し2

(中見出し3)

(小まとめ)

 ↓

 本題Ⅱ

 ↓

 あとがき(のようなもの)

 という感じのパターンに「従う」「忠実になる」という感じだったので余計にそう感じるのかもしれません。

 上記のように「前置き(導入)」「本題」「まとめ・あとがき」に沿って書かれているものだと「記事」と呼ぶにはより相応しいかもしれませんね。ブログ以外でも、新聞やニュースサイト・情報雑誌の文章は程度はどうあれ上記のように細かく「見出し」が振ってあって、読者が読みやすい・理解しやすいような工夫がされているように思います。見出し・太字・色・傍線部……。学校で教わったことのような気がするけど何の授業だったかな。授業というか、何かの体験活動を新聞記事にするとか何とかでもそういう指導をされたような、されなかったような気がします。 

 記事の云々ではないかもしれないけど、現代国語の評論文で「~のあとが筆者の言いたいことなのだ」「キーセンテンスは○○だ」という指導を受けた方とか、実際に作文や小論文の指導をされて身についた、という人もいるかと思います。記事と比べると多少はわかりづらくなるけれど、逆接の後にある主張や「たとえば○○」「わかりやすく言うと○○」という例示や言い換え、そして「つまり○○」というまとめ。こういうものが「読ませるための文章」なのだな、と感じる要素にはなっています。もっとも「授業」に関する思い出は教科書やプリントと一緒に大量に捨てたのであまり記憶していませんが。すまんな学生時代。

 現代国語の評論や作文・小論文、あるいはあらゆる「記事」に分類されるものの文章には、上記の見出しであったり、太字、色、傍線、そして接続詞による「主張」「例示・言い換え」など、読者に読ませるための工夫がある・読者が読むためのポイントがある……ということを学校で教わった、という人も多いかもしれません。教わっていないんだけれどもそういうものとして身についている、という人もいるでしょう。そして程度はどうあれ、経験を通して工夫して記事・文章を作っている、という人が多数なんじゃないでしょうか。

 僕も自分では「支離滅裂な妄言なんだから好きに書こう」とか言っているけれど、実際には(内容はともかく)上記のようなことを知らずのうちに意識して作っているのかな、と何となく思います。よく考えれば、いざブログを作りだせば「見出しをつけて、大事なところは色付きや傍線や太字にして、画像をつけて、ここぞの部分では引用をして、云々……」とやっていて、それでも書き終われば「よし、今日も自由気ままに訳の分からん文章を作ったな」と思って、けれども同時に「いやでも今一つ気楽さを感じないなあ……」とも思ったのです。

 

 こんなことを書こうと思ったのは、今日の昼間に図書館で作家や思想家のエッセイ集を読んで、帰り道で唐突に「あれ……そういえば僕のブログって支離滅裂で訳が分からないのがポイントだったはずなのに、内容は置いといてもどこか堅苦しいような?」と思ったからでした。図書館蔵のエッセイ集と違うのは、僕はPCのキーボードで打ったものをそのままブログという電子媒体に貼り付けているにすぎない点でしょうか。pcの画面で細かい文字だけを大量にドーンと貼られても、目で追ったら疲れてしまうので、楽に見れるという点での見やすさを求めた結果そうなっているのかもしれません。

 このように言いながら今日は見出しを付けていないので、もし全部追ってくれた人がいたらごめんなさい。目を凝らして読んでくださってありがとうございます。

 

 ちなみに読んだのは三浦しをんさんのエッセイ集『お友達からお願いします』です。お恥ずかしながら作品をあまり読んだことはないのですが、三浦さん原作のアニメ『風が強く吹いている』は面白かったです。運動部らしい「熱さ」がありながら、舞台は大学の駅伝でどこか大人っぽさも感じて、スポーツものでもこれまでにはないような清涼感を味わえたような気がします。

 また以前もお話ししましたが、図書館でのんびり本を開いて文章を追うのは有意義な時間ですね。イラスト・写真付きのものも読みますが、最近では活字だけのものが多いです。活字を追っていると集中できるし、できなくても時間を忘れてのんびりできるので好きな時間です。残念なことに図書館を出ると大体内容を忘れてしまいますが。

 

 そんなことをしているうちにやきうの時間になったので切り上げます。また会いましょう。今日は勝てるといいなあ。