むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

冬、無人駅、キハ110を待つ

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 110が来た。やったぜ。

 なんとなく、昔からキハ110系が来ると「ラッキー」と思った。なんとなく。

 

 

 

1.風とエンジンの歌を聞け

 

 新旧の行き違い。ツッコミがあると思うので補足すると、JR磐越西線馬下駅で、保養センターで温泉をいただいた帰り道である。

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少しだけ、春の隣にある日 -2020.2.6 馬下駅 筆者撮影

 さて、新型車両の最大の特徴は、パンタグラフも持たないが「キハ」の名も冠しないことである。

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GV-E400系気動車 -2020.10.9 東新津駅 筆者撮影

 GV-E400、最初はもう少し「様子見的な感じで増やしていくのかな~」なんて眺めていた。それがキハ40の磐西全駆逐置き換えはおろか、キハ110ももう喜多方・会津若松までは辿り着かないというではないか(←違ったらごめん誰か訂正して)。

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津川方面へ行くGV-E400 -2020.2.6 馬下駅 筆者撮影

 よく考えてみたら、40駆逐置き換えの為に始まったGV投入とはいえ、110もそこそこ年数が経過している筈。首都圏に目を向ければ、平成になってから投入された251系やE351系が全廃になったりしている。むしろGVが投入され始めた平成末期まで、キハ40系が普通に主力だったのがいかに地方の非電化区間がいかに限界且つそのまま放置されているかを示している奇跡と言うべきなんだろうか。そしてさらに考えてみると、平成は32年(だっけ?)の間続き、そしてもう終わってしまった。

 

 またさらに、僕も生きた年数はとうに20年を超えてしまった。プロ野球なら大ベテランなんだよなあ。はてさて、「経験豊富なベテラン!」と銘打つのに相応しい何かを持っているか、何かになれたのか、それは物凄く微妙……なのだけど、一方ではもう十分すぎるくらいに生きて、少し長居しすぎたのではないか?と思う時もある。

 なんだこの矛盾。

 人間には矛盾が多い。

今も、多くの日常にいる筈なのに

 だけどキハ110系気動車というのは本当にベテランになってしまった。

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日の沈む方へ -2021.2.6 馬下駅 筆者撮影

 写真を撮影し乗り込んだ直後、既に前の駅から乗車していた客が一眼レフ(?)を持ってホームに降りた。多分夕日に顔をしかめる110を先頭から撮影するんだろう。インスタをやっていて、鉄道写真をやっている方の投稿を拝見していても、長閑で時々哀愁漂う風景にいる110の姿を見ることが多い。そこ、何でお前がインスタなんかやっとるんじゃいwww、なんてツッコミはNG。

 

 このキハ110という車両、本当に春夏秋冬、早朝から深夜、晴れ間も雲も雨模様も、いろんな風景の中にいると思う。

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夏、眠れなかった朝、東新津駅で -2020年6月 筆者撮影

 まだ空気は冷たさを残し、木の葉が揺れる音と小鳥の声だけが聞こえる夏の朝の、無人駅のホームとか。

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雪、夜、ホームの僅かな明かり -2020.12.25 小国駅で 筆者撮影

 冬の黒く、且つ白い闇の中、辿り着いた駅とか。

 四季折々の豊かな風景が、110には良く似合う。尤も非電化区間を長年走っている気動車であるから、どうしても似合ってしまうという方が適切なんだろうか。というか、そもそも鉄道車両、且つ期間限定列車でも何でもない普通車両なので、どんな風景の中だろうと走らなくてはいけないのだけど。

 

 いま住んでいる新潟では、磐越西線の列車が出ていくのをよく見送る。新潟エリアだけでなく、山梨~長野の小海線、長野~新潟の飯山線、山形や東北各地、あとは八高線の非電化区間……キハ110系は何処にでも走っている。近年、「駅メモ」の新駅欲しさに在来線移動を自分に強いる時にも、必ずと言っていいほど乗ってきた。そして、軽快ながらも逞しくエンジンが回るのに、何故か眠気を誘われてきた。多分、力行していたのがマスコンを切ってレールのジョイント音だけが流れていくタイミングで、ふわっ、と来るんだと思う(←なにいってだこいつ)。

 多分、これまで旅客運用に就いた車両形式のうち、僕はこのキハ110に乗った回数が生涯最多だと思う。211でもE129でもE233でもなく、である。多分……というか、確実に一番多いのだ。それなのに、僕の中ではいつもキハ110は「乗れると少しラッキー」な列車だった。この矛盾は何なんだろう。やっぱり人間には矛盾が多い。

「そこから先」の車窓を見たかった ~電車自体が非日常だった幼少時代

 路線としての磐越西線は、郡山~会津若松・喜多方~新津という様に繋がっている。「駅メモ」ではこのうち、郡山~会津若松磐越西線と、会津若松~新津の磐越西線森と水とロマンの鉄道)」という風にわざわざ分けられている。そしてわざわざ分けられたのに、会津若松~新津を直通する列車はさらに少ない。

 新津を起点に考えた場合、大体は新潟県内の五泉馬下、津川との間を行き来する。「森と水とロマン」を感じる前に、大体の列車が引き返しとなってしまうんだなあ。また、列車は新津止まりのもの以外にも数本、信越本線に乗り入れて新潟へ向かう列車もある。SLの乗り入れがなくなって以降も、快速「あがの」は今も新潟発着だったはず。

 

 一昔前は何なら新潟発着の列車が殆ど……だったような気がするが言いすぎか?ともあれ、キハ110もキハ40も信越を走り、新潟駅まで乗り入れていた。

 それでも当時から、気動車磐越西線、電車は信越線」という呼称が駅や車内の案内放送でもあって、それに親しんでしまった(たぶん新潟発で東新津、新関、北五泉五泉にアクセスする人向けの便宜上だろうけど)。おかげで、路線としての「磐越西線」は利用しないのに、「磐越西線」に乗る、という行為が出来上がってしまったわけだ(←なにいってだこいつ2回目)。

 なので、当時の115系E127系だけでなく、気動車に乗る機会だけならそれなりにあった。と言っても、かつての僕の「電車でのお出かけ」というのは、信越本線の新津ー新潟間、当時の料金は320円(往復だから640円)で完結してしまっていた。新潟県の列車それだけじゃないぞ。

 大体お買い物や娯楽の用事というのは、今住んでいるあたりならどう考えても新潟駅周辺、広く見れば新潟市中央区で足りてしまう。電車を利用するなら、降りる駅は新潟駅。そこから先、白新線越後線も乗ることは基本的になく、新津から逆方向へ行くこともない。

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秋の夕暮れと馬下 -2020.10月某日 筆者撮影

 とは言え、全くなかったというのも嘘である。旅行で会津方面へ行くのに磐越西線に乗ったこともあったし、長岡方面は何の用事だったろうか。瓢湖にやってくる白鳥を見に、あえて二駅分(新津→水原)だけ羽越線に乗るという行事もあった(どう考えても、親が近くのビール園に寄りたかったからである)が、その時にたまたまキハ40の先頭にキハ58?が繋がっていて、「あれ、車両が古い」と思ったものである。どっちも化石だぞ少年、大事にしろよ。

 そういう「信越線じゃない」路線・列車に乗る機会というのは、本当に「いつもと違う」ので嬉しかった。しかし大前提として「外出する」時と言うのは基本的に親の車だったので、「いつもの信越線」ですら実は非日常、且つ「電車に乗って外出」自体がレアなのだ。「花と石油と鉄道のまち」が泣いてるぞおい。

 まあ、いざ時が経って自分の車を持ってみた今になると、確かに新津ー新潟間は車で移動したほうが効率は良いような気もする。僕の実家から、新津駅まで音楽を聴きながら歩くと、上手くいけば6曲くらいは終わる。そんな好都合はいらない。

 

 仮にも「鉄道のまち にいつ」に住んでいて、自身も鉄道に惹かれたのに、乗る機会というのは贔屓目を抜きにしても決して多くはなかった。羽越線磐越西線など、線路だけは割とすぐ近くにあって、あの線路や新津駅で分岐する先は一体どうなっているのか?を想像しては、実現しない鉄道旅行の計画を練っていた。

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この後車庫で一休み -2021.2.6 新津駅にて 筆者撮影

 こういうわけだから、距離的にはわりと近くにいて、且つどこにでもいるけれど、キハ110系気動車というのは決して「身近な存在だった」わけではない。これだけ乗っていても「乗れたらラッキー」という車両も中々ない。……まあ、少年時代は(SLは例外として)所謂「化石」には惹かれず、高校時代は合理性・快適性を求め、そして今は「化石」になりつつあるものの懐古、と言う風に、その内訳は流れている。

いつかは骸になるけど今はまだ

  実際、キハ110はそれなりに快適だと思う。セミクロスシートなのでちゃんと(ってなんだ?ロングシートがちゃんとしてない訳ないが)ボックスもついているし、運転台越しの景色も楽しめる。115や40系と比べると「ゴツさ」がなく、冬の暖房が暑すぎるということもない(115はちょっと座席下のヒーターがキツすぎた)。多少混雑していてもまあ平気である。休日の「おでかけ」にも、高校時代の「通学」にも、この列車は何かと勝手が良かった気がする。

 いや、今だって乗り心地はとても良い。E129やGVに負けず。まあこれには個人差はあると思うから強く主張することもしないが、どうしても勤続年数の経過した車両には何というか、動きに「重さ」がないだろうか。早番でパート先に向かう時の僕みたいだ(←なにいってだこいつ3回目。これはやる気の問題もあると思うが)。キハ110は乗っていても、つっかえて転ぶみたいな停車・発車の仕方はしないし、「あの~……重くて持てないんですけど……」みたいな加速の仕方でもなく、むしろ実に軽快に、かつパワフルに、元気に走り出していく。ような気がする。

 

 新たに(というかようやく)投入された新型車のおかげで、あまり見なくなってしまった。それゆえこのキハ110系気動車は、見ればついカメラを向けたくなってしまうし、ついノスタルジーを感じてしまう車両になってしまった。

 もっとも、今となっては「キハ」という種別そのものがレアなのかもしれない。単線、非電化、無人駅……見るからに空白の多い駅の時刻表を目にすると、そのような線区を走る車両を「鉄道のある風景」と称して残しておきたい―そんな衝動に駆られる。……え、駆られない?

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2020.2.6 磐越西線猿和田五泉 筆者撮影

 そんなことを、少しだけ見えた春の隣で、馬下の保養センターで温泉に浸かったりしながら考えてみた。

 嘘である。基本的に出かけている最中、ましてや温泉に浸かっている時は何も考えていない。いや、考えてはいるのだけど、それをブログを開いた瞬間に忘れるのが僕である。何とか思い出しながら記事を書いているけれど、この記事とて書き始めて何日経過しているんだろうか。ずっと下書きに放置されて、タイトルは決まらなくて、可哀想、可哀想なのです。

 しかしあの浴室は落ち着く。ちょっとした気動車の旅と、無人駅から15分ほどの、風の声を聞く散歩のあとに浸かるお湯。スタンプカードも貰ったことである。今後も馬下駅と、キハ110にはお世話になろう。あ、500円でタオルは要持参です。

 

 

 キハE120はどこへ消えたんですかねえ。

 

 凝ってオコジロウのデザインなんかもしたのにもったいねえ。どこかで元気に生きててくれよ。

 

 

2.あとがきのようなもの

 

 はじめに2つほどお知らせ?です。知らせるほどのことなんでしょうかね。

おしらせ 1つめ

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 やったぜ。

 

 

 

 以上、それだけです。

 ……ログインだけして全然それらしいこともしないから、ずるずるとランキングだけが後退していく。今何位なんだろうか。

 1000日連続、というと、大学4年の夏~秋くらいからだろうか。まあ正確にはその一年前、一悶着あって(いや二、三、いやもっとゴタゴタしたけど)、同時期に「アニ声研」と「文藝」に入ったくらいのタイミングで「乗り鉄」な方面へ走っていったような気がする。サークルと何の関係があるんだ。

駅メモ」自体はスタートが大学2年次。でも先述の通り、幼少期は電車大好きな人間だった。まあ、それから少しラグ(というかブランク)があるのとイマイチ大掛かりなことはできていないが、ギリギリそれを自称できるくらいにはなったんじゃないかと思う。いや、なっていなくとも今後は「乗り鉄」を自称していくことにする。

おしらせ 2つめ

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 もうそんなになるか。

 

 

 

 

 以上、それだけです(2回目)。

 

 果たして「書き残す」と言っていいのかわからないが、響きは好きだ。しかし、それよりは僕自身も「書き連ねる」と言ったほうが、なるほど適当な気がする(←後輩に言及された笑)。

 とてもアドバイスなんかできたものじゃないけれど、今後アニ声研でブログをやりたい人には是非、一定のルール順守こそしなくてはいけないにせよ「軽率に」「気軽に」「思ったことを」書いていってほしいなと思う。というかたのしいのでみんなも入ろう。ただしこの妄言を参考にするのは僕自身もあまりおすすめはしない。ブログやTwitterは本来遊びではないのだ。遊びに遊びまくってた僕みたいにはならないことである(←ほんとすみませんでした)。

 もう少し真面目に書かないとなあ、なんて思うけれど、PCを開いたらそれも忘れているのだ。大学入学時より使っているPC(←長寿だなおいもう5年目も終わるぞ)、年相応な劣化を見せているけれど、交換が必要なのはどう考えてもPCより先に僕の脳みそである。せめてWindows98、いや100くらいにしてほしい。

 

 お知らせは以上です。何を知らせたかったんでしょうかね。

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 なんかいい感じに撮れた(←当社比)夕暮れ載せて終わります。普通に寒かった。お布団どうぞ。

 気が向いたらまた会いましょう。