むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

それは正に霧のように吹きかかる消毒液と「アレ」が僕の手から潤いを奪った。【お題「一年の変化」】

お題「#この1年の変化

 

 

 自分用に「はてな」を作ってから一年経過した。「一年経過です」という通知を受け取って、それを前回の記事に載せて、気付いたらまた二週間くらい経っていた。そして二週間前にそもそも何か記事を書いたのだ、という事実を、スターをもらうまで忘れていた。これが僕である。いつもすみません。

 このタイミングに及ぶまで「ブログの書き方」「あなたに書いてほしいこと」というコーナーに全く気付かなかった。妄言をきままに吐く、というのも実は簡単でもないのかもしれない。そしてこの気付きこそ一年の変化だ、と結論づけてブログを締めくくってもちょうどいい気がする。

 長いことに関してはいつも申し訳ありませんな限り。何せ、実はこのお題で書いてみようと二週間記事を練ってああでもない、こうでもないと明らかに不必要かつかえって悪くなる一方な試行錯誤を繰り返し、5000字書いて1章め未完結な下書き&7200字書いて以下同文な下書きを作ってしまった。しかも見返すと、文字通りの「死ぬほど重い」内容になってしまったからやめた。確かに色々あったし今もあるのだけど、逆に色々なかったし今もない、ともいえる。どっちなのか、なんなのか、追求しだすときりがない。

 

 いい加減本文に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

1.無愛想に手に降りかかる消毒液のせいではない ~手荒れがひどい~

 

 大学一年次の僕はなぜ、それまでの18年間を振り返る「自分史」に、手荒れだのハンドクリームだのというワードを付け足したのだろう。確かに敏感肌であったりすることには違いないのだが、よほど語りたくない黒歴史でもあったに違いない。ちなみにそりゃありますよ、がっつりと。

 さて、昨年5月末で完全に、太平洋側の気候で冬場乾燥が多い山梨を泣く泣く引き払い、日本海側の気候で湿気の多い故郷(と言いたくないが、書類上そうなので仕方ない)の新潟に戻って、まあ気候的にはもうハンドクリームの世話にならなくてもいいだろう、と思っていたが、そうでもなかった。

 湿気があれだけ多い夏、しかも湿気の宝庫でしかないプールのビニールハウスでさえ、なぜかめちゃくちゃ荒れている。というか、触った感じどうも水分がないような気がする。これはあれなのか、やはり消毒液……無愛想に流行し続ける「アレ」のせいで、設置義務と使用義務が課された液体が原因なのだろうか。

 確かに一理ある。消毒液やマスク、ティッシュが品薄になったのは、ちょうど僕が大学卒業の通知を何の感慨も抱かずに受け取って、さて一度目の引っ越しだ、と準備を始めたのとほぼ同時期だった。以来、あらゆるお店にはハンドソープや消毒液が設置され、それもペダルを足で踏むタイプとか、自動のやつが普及。傍にある注意書きの文言は「ご自由にお使いください」ではなく「消毒にご協力をお願いいたします」になり、また「持ち出しは固くお断りします」も付け加えられた。

 

 しかし、どう考えてもそれだけのせいではない。

 だって、どう考えても先述の「新潟に戻った=手が荒れない→ハンドクリームがいらない」の前提がおかしいじゃないか。どこから出てきたんだこの考えは。

 まあ、湿気が多い・少ないという面で考えれば、多少の違いはあるのかもしれない(?)。しかし、その(あるかもわからない)差が、新潟で高校卒業までを過ごした18年間において、ハンドクリームの代わりを果たしたか、というのは議論に値する。いや、理科が苦手かつ学問における喧嘩がきらいだから、やっぱり値しないでほしい。

 話を戻そう。阿呆なことに、大学1年になって最初の冬を迎え「山梨は太平洋側で乾燥するから、ハンドクリームが必須なのだ」「新潟は湿気が多いから、ハンドクリームはあまり使わなくていい」という謎理論を、真顔でかましていたのが僕である。しかも、授業で課された「自分史」を、合計で1万字以上まで膨れ上がらせてまで盛り込んで、だ。

 その課題は授業内で同じ受講生及び担当教員に読まれる仕組みだった。たかが授業内課題で「隙自語」というものをこれでもか、とやって、書かなくてもひとまず課題は成立したはずの文字の塊を提出したのである。読まされた学生はたまったものではなかったはずだ。今でも申し訳ないと思っているが、全く反省していないことはこのブログが示すとおりである。

 

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新津も記録的な豪雪となった -2021.1月某日だったはず 新津駅東口

 新潟に戻ってきて最初の冬が終わる。確かにこちらの冬は、常に分厚い雲が日光を遮断し、白銀と表現するにはあまりに暗すぎる世界が街を覆う。今年の大雪は極端だったけど、典型的・日本海側の気候がその特徴をいかんなく発揮した。かつて突き刺すような冷たさの中で思わず手を伸ばしたオリオン座はもう見えないし、快晴の中露天風呂であたたまりながら甲府盆地を見下ろして「マッチポンプマッチポンプ……」なんて言うことも中々難しい。ここには春が来ないんじゃないか、なんて錯覚するけれど、おかげで乾燥とも遠い気もする。

 だがもう、ハンドジェルが一日でも欠ける生活には耐えられそうにない。それは正に蔓延する「アレ」と消毒液が僕の手から潤いを奪った、と言いたい。まあやっぱり違うんだろうなあ。実際のところは、新潟はこうで山梨はこうなので、という決定的な生活の変化を語ることは、中々できないのかもしれない。寒さを嫌うあまり着こみすぎて、暖房の利いたそこそこ満員な電車で後悔することも変わっていない。

 雪だって、来年はどうかもわからない。新潟市内がここまで豪雪に悩むことも近年はなかったと思うし、逆にあっちで季節外れのドカ雪に見舞われて全学休講になったとか、懐かしい思い出である。それでも確実に「あっちにあったものがこっちにはない」と、旧新津市都留市を比較して、これからも言えるものはある。

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都留市の「夕方5時」-2020.2月某日

 僕の実家の部屋からでは、夕方五時のチャイムも、ひぐらしの声も聞こえないのだ。

 

 

 

2.「ゴミの日」という概念 ~やらなくていいことがありすぎる~

 

 見出しがこんなだから誤解を招きそうだが、回収業者や地域の都合があるので「ゴミの日」は当然の指定である。そして、溜まっているからといって一度に4袋くらい捨てるというのも、あんまりよろしくはないかもしれない。地域のゴミ捨て場がカラスの巣になるのは本意ではない。僕自身、小学生の頃からカラスとは因縁があるのだ。なにも横断歩道で車が通りすぎるのを待っているランドセルに向かって○○を落とさなくたっていいじゃないか!

 ……話を戻そう。一人暮らしを泣く泣くやめて、そんなカラスとの因縁だってある街に戻ってきた。この町とはつくづく因縁だらけだな、と当時の横断歩道を見て思った。そして実家での生活が始まって、ただでさえ山積みされている因縁はどんどん上書きされていく。しかし、僕が卒業後に2週間だけ賃貸に住んでまで、実家に帰ることを拒否した理由はなにもその「因縁」だけではない。そもそも、一人暮らしさえ続けられるのなら別にどこでもよかったのかもしれない。

 これでも、大学に入学したばかりのころはむしろホームシックだ、実家に帰りたい、月1で電話する……などの有様だったので、この変わりようが自分でも不思議である。都留で(保護者みたいな)友人に恵まれたおかげで不自由しなくなったこともあるけど、一番いいのは「これってやらなくてもいいんだ」という発想ができたことかもしれない。

 

 先の「ゴミ出し」の話にいくと、僕が入学~卒業の4年間を過ごした学生マンションは「燃えるごみはスーパーの袋にでも入れて、ゴミ捨て場にいつでも出していい」というルールだった。もちろん「袋に入っている」が絶対条件だが、いつでも出せる、という条件は強すぎる。そして指定ゴミ袋の必要がなく、当時はレジ袋だって無料のところが多かったから、もうあとはゴミ箱がちょっといっぱいになってきたら、思いついた時にでもゴミステーションに持っていけばいい。

強くね?????

 これで、学生の一人暮らし部屋がゴミ屋敷と化すことは免れた。まあカビはめっちゃ生えたけど。

 結局「それでも一応指定の袋で出すか」という謎のルールを自分で決めて、ある程度まとめてから出す方向に変えた。しかし、出す時間帯だって指定がないので、律儀に朝飛び起きて出しに行く、ということもしなくてよかった。朝は無理である。何度一限をすっぽかしたかわからないし、大半は「起きてはいるけど面倒だから行かない」というパターンである。何なら学校までたどり着いておきながら教室へ行かないことだって何度もあった。そんな人間にとって「当日朝8時半ゴミ出し」は超難関クエストなのだ。

 

 まあ指定日は確かに必要で、それもちゃんと分別をして、指定袋だって必要である。しかし僕には解せないところが多い。何でこう、僕の家族は必死に「ちゃんと○○しなくてはいけない」にしがみついているのだろうか。

 ゴミの日に毎朝・毎回出しに行くのは、実際に溜まっているのでわかる。といってもこの逆を言うと、溜まっていないのでは捨てる必要もないので、毎朝必死になることもないんじゃないか。溜まったタイミングと指定日が偶然重なったら、捨てにいけばいいだけのことである。

 

 僕の実家は特にだけど、この「ちゃんと○○しなくてはいけない」という固定観念にとらわれすぎている人々は決して少なくないんじゃないか。洗濯物はたたまなくちゃならないとか、カーテンは朝あけて夜閉めなくちゃいかんとか。夕食にはごはん・主菜・副菜・汁物があって、それを全員で決まった時間に食べる、それも会話*1をしながら……。

 実に息が苦しい。苦しいが、今のパート先のシフト次第では、その謎ルールを物理的に守れない日が多いのでありがたい。22時の退勤後には、カップ麺でもすき家の牛丼でもコンビニスイーツでも、好きなものを食べたらいいし、食べなくてもいい。

 

 大学入学時は「一人暮らし=自炊」というこれまた謎の風潮があったが、僕は早々に脱落。「自炊しない=外食=お金がかかる」というまたしても謎すぎる風潮からは、いやいや、100円で買えるカップ麺があるじゃないか。また自炊には具材を揃えるお金もかかるじゃないか*2。……みたいな感じで必死に逃げまくった。

 結局どちらが経済的、ということはないのかもしれないが、問題はこの「やるのは面倒だが、やらなくてはいけない」という結論に、何をどうしたら至ってしまうのかだ。実際、手段なら他にいくらでもあるわけで、それが消えているのが謎で仕方なかった。 ちなみに、本当にお金がない時は白米や素うどんになるわけで、あれだけは本当に応えた。鬱状態を加速させた一因にはそれもあると思う。まあ、いざとなったら食べなくてもいいし、お風呂だって面倒だから入らずに翌朝起きてから入る、というのもアリである。いつ食べて、入浴し、起きて眠ったって不自然なことじゃない。

 休日や趣味に関しても僕はよく「何もしたいことがない」とか思っては、その何もしないことに対してよく嘆いていた。しかし「何かする」とはいったいなんなのだ。何もしなくたって、勝手に日々は過ぎていき、そしていずれ死ぬ。こう考えると、なるほど、家で寝てるだけで終わるほうがずっと簡単な気がしてくる(友達の受け売り)。昼まで寝ていて、ぼーっとして、気が付いたら一日が終わっているということは今でもよくある。これは家でぼーっとするという究極の「おうち時間」ではないか(哲学)。

 

 ちょうど「地獄」に落ちて新潟に幽閉となった当初、図書館で精神医学や心理カウンセリングの類、あとは人生訓的な本を読んでみた。その多くが「一生懸命やらない」とか「気楽」「休息」「ありのままの肯定」ということを唱えているのはわかった。何を必死になっていたのかといっそう分からなくなって、かえって泣いた日もあったが、おかげで僕はその「実はしなくてよかった」ことにもたくさん気付くことが出来た。いかに日々、固定観念にとらわれたり、押し付けられたりして過ごしているかがよくわかった。

 やりたくもない、やらなくちゃならないと思えばストレスもたまる……なら、とりあえず「始める」のケースと同じで「できることから、やめていく」にすればいいと思う。僕は奉太郎*3じゃないから、やらなくていいはずの、ムダなことだっていっぱいやっている。でも「やらなくてよく」て且つ「やりたくない」ことは、やる意味が分からない。

 

 流石に変形労働制、かつ緊急事態とはいえ8連勤はきつかったから、今日は「何もしない」に徹することにしよう。と言いながら今日も洗濯して、ごはんたべてえらい。ああ、それにしても「なら一人暮らしすればいいではないか!」という声がそのへんから聞こえてきそう。ごもっとも。

 

 

 

3.あとがきにかえるつもりの何か ~というか、大前提~

 

 ところで、ポイントくれる系のアンケート各社にはまず「2019→2020の1年での変化=無慈悲に流行り続ける例のアレによる生活の変化」という前提をぜひとも捨てていただきたい。

 例の「アレ」のおかげで、確かに世の中は変わった。しかしそれ以前に年が進めば生活はいくらでも変わる。大学を卒業し、山梨を泣く泣く引き払い、一人暮らしではなくなり、期間限定かつある種のリハビリ感覚で始めたバイトが、気づいたらパートになった。やっぱりアレの影響なのか?と言われそうな流れも踏んできたが、アレが仮になくても同じ結果になっていたのではないか?とも思う。

 

 そう。まず大前提として、①学生じゃなくなって、②山梨から新潟へ、③一人暮らしから実家暮らしへ、という変化が起きている。

 

 

 そりゃあ、もうコンビニや買い物の回数とか、労働時間とか、交通手段とか、休日の過ごし方、お酒の飲む頻度、飲む銘柄……全て変わってくるじゃないか。こう考えると「アレ」の影響を調査するのに僕のデータをとっても、あまり実用的な結果にはならないんじゃなかろうか。まあ、アンケート各社もそういう可能性は頭にある……と信じる。

 しかしやはり、短くまとめるにはテーマが壮大、かつそれなりに重くなるのも仕方ない気がする(←妥協)。次の一年は振り返ったときにもう少し、適当に、気楽に振り返れる日々を送りたいものだ。

 

 

 ……変化がもう一つ。今更ながらVELTPUNCHにはまった。

 

 

 

 

 

 

*1:今は「アレ」のせいで対面の食事や会話を控えめに、と提唱されているので、むしろ毎日怒られている父のような「顔上げない・早食い・無言」こそ正しい姿のはずである。

*2:具材にもよるのか?もやしを炒めるなり、スープなりにぶちこめば実は最強なのかもしれない

*3:米澤穂信古典部』シリーズの主人公。「やらなくていいことなら、やらない。やるべきことなら手短に」がモットーの省エネ主義者。