むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

杉の飛び交う朝、僕の愚痴

今週のお題「花粉」

 

 

 

 

 

 

「四季にはそれぞれ匂いや色があって、純粋な温度以外でもその変化を感じ取ることが出来る。そう言ったら変な人扱いされた」―。いつものように無法地帯なタイムラインを徘徊していたら、そんな投稿に確か2回くらい出会った。個人的に、Twitterを徘徊して余暇を潰すのを「何もしていない」とすることは好ましくなく、脳内は交通整理しきれない情報の暴走族に蹂躙され、疲弊してしまう。これの問題は「やらないようにしていても、やってしまう」ことなのだが、時として、止まってくれた車に対し手を上げて横断歩道を歩く子供のような、癒される光景に出会うこともある。*1

 

 話を戻しますごめんなさい。その投稿では、春夏秋冬の各季節における繊細な感覚を、ありのまま言語化してノートにまとめていた。その時は癒し……よりかは、共感やためになった、という感じを受けた。

 年々、日本には四季が存在するという事実を忘れていってしまっているが、それでも外を数十メートルも歩いてみれば「なるほど、違う」とわかるものである。

 ひと口空気を吸って、5秒だけ空の色を見て、少し肌を出してみる。そうするとなんとなくだけど、季節が次のそれに移ろったことがわかる。実際、僕の住んでいる新潟の空気も、1ヶ月前とは違うものが流れている。気温や天候の表示だけを見ているといまいちわかりづらいが、確かに春が訪れているのを感じる。運び屋さんが働いてるんだな。*2

 

 

 

 

1.夏と秋と冬は夕暮れとつとめてと夜

 

 やはり四季を感じられるというのはいい。何がいいのかまでは知らない。ただ、やはり某アニメと山梨での生活が冬を好きな季節にさせてくれたし(寒かったけど)、夏や秋はもともと好きだったし、梅雨だって別にそれ自体が嫌いというわけでもなく、むしろ美しさも感じるようになった。

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梅雨の散歩道 大学の空きコマで -2019.7月某日 楽山公園付近

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或るひと夏の青 -2019.8月某日 東桂付近

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秋は夕暮れ、山の端はなし -2020.10月某日 帰り道より

 小学生の頃はいまいち何を言っているのかわからなくて、十数年越しに『枕草子』一端への何となくの理解と共感をしたわけである。

 ただ、清少納言に対し恐れ多くも付け加えさせていただくとするなら、秋だけではなく冬、夏も「夕暮れ」だと僕は思うのだ。また「つとめて(早朝)」がよいのは確かに冬もそうかもしれないが、夏のそれも感じてほしい。また、どの季節も晴れる前提なところがあるけれど、小雨で傘は持っているけれども差すまでにはいかない……という程度ならばそれも味があっていいだろう。

 そしてTwitterのとある投稿で見つけたように、それらの季節というのは同じ時間帯でも香りや色が違う。なるべく同じ時間帯のそれを感じて欲しいが、その点だと朝か夕方がやはりいいかもしれない。

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夏の夕暮れ -2020.8月某日 秋葉公園より

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秋の夕暮れ -2020.10月だったはずの某日 秋葉公園より

 

 

 いや、わかりづらいな。

 

 

 おかしいな。秋葉公園に行って、夏は日中の灼熱の余韻に浸りながらひぐらしと戯れて(あんまりいなかったけど)、秋は少しずつ暗く、冷たくなっていく空気を感じていたはずなのに。その時は確かに「ああ、夏から秋へ移ろったのだなあ」と思っていたし、何ならつい数日前に行った時には「ああ、冬は終わり春が近づいているのだなあ」と思ったのだ。今が別にそうでもありません、なんてことはない。

 ううむ。やはり一見には及ばないということらしい。もしくは、僕みたいになんとなく携帯を構えてパシャっと切り取っただけのそれではない、質の高い写真を見るほうがいいだろう。それでも、偶々見たツイートには共感しかない。移ろってまためぐってきた春が、どんな香りや色をしているか、また探しに行こうと思う。

 

 

 

 

2.春は、……

 

 ……いや、やっぱりやめた。探さなくてもいい。 

 

 探しに行くまでもない。というか、時には向こうから探しに飛んできてくれる。……誰も呼んでいないのに、鬱陶しいことこの上ない。

 

 春を感じるのは実に手っ取り早い。何なら外に出なくても、部屋の窓ガラスや車のミラーなどが、土埃でも被ったような乾いた汚れ方をしている。そして冬以上に手は乾燥し、飲み物も常に欲しいような気がしてくる。白桃カルピスの美味しいこと。

 土を掘り返す香りが辺りに漂い、何なら道のど真ん中には重機のタイヤに潰された畑の土が残っている。そしてどういうわけか既に暑く、にもかかわらず半袖になるわけにもいかない(なれば寒い)という心地悪さが五感を支配する。年度が変わって落ち着かない、というおまけつきで。

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桜だって咲く、いい季節なのだが…… -2020.4月初旬の某日 東桂付近

 ……どうも春を悪者扱いするような書き方になってしまった。先述の白桃カルピスがスーパーやドラッグストアに並ぶのは春を迎える楽しみのひとつだったし、それこそ清少納言だって「あけぼの」がよいと言っているように、春だって素晴らしい魅力を持つ季節には違いあるまい。ついでにいうとプロ野球だって公式戦が開幕し(今年はできるかわからないが)、何なら僕自身の年齢は毎年4月に一つずつ上がることになっている。

 

 それでも嫌なのだ。言うまでもなく、何なら匂いを嗅ぐまでもない。そもそも嗅げないことだってある。それでも鼻と目に聞けば、春が来たかどうかはすぐわかる。

 ああ、また花粉が会いに来やがった。誰も呼んでいないのに……。

 

 

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この日も花粉が飛んでそうな色をしていた -2017.3月下旬の某日 谷村町駅

 実際、冬のそれと比べると、快晴で冷たい空気からも少し「鋭さ」が消えたようになる。そして言語化できないが、いかにも花粉のほうから「飛んでるぞ」というアピールをしているような、そんな色に空が染まっているのだ。僕の恨みがそういう風に見せているのだろうけれど……。

 そして僕の身体は幸か不幸か、たいへん忠実だ。主が恨みを持てば、鼻も目もみな同じように花粉を敵視し、僕を守るべく花粉を追い出そうとしてくれる。うん、いい部下を持って僕はなんとしあわせなんだろう!おかげで生きていられるよ!……鼻水を必死に拭き取り、5連続くらいでクシャミを吐き出して、今日も忠実かつ大変優秀な部下に感謝するのだった。めでたしめでたし……。

 

 ……ううむ、ちっともめでたくないばかりか、むしろ問題は身体の方にあるではないか。花粉がそもそも僕を見つけて追いかけてくるのが問題で、僕の所じゃなくちゃんと配偶者を見つけてそちらで幸せになってくれよって感じである。僕の方は、相手が花粉だろうがなんだろうが、交際や結婚の願望はない。寂しくもあるが、やっぱり一人はたのしいのだ。

 何の話をしてるんだ僕は。とにかく、花粉を恨むのもそうだが、この忠実なあまり文字通り「過敏」になっている鼻と目はなんとかしたい。高校時代はそれこそひどすぎて、学校に箱ティッシュを2箱は備えておき、常にマスク……という状態だった。例の「アレ」が流行り出す前から僕はマスクが手放せなかったのだ。それでも鼻水の処理は全然追いつかなくて、授業中あまりにかんでいるものだからクラスメイトからも苦言を呈される始末であった(ごめんなさい)。

 スギ花粉アレルギーですね、と診断を下されたのは、実は人生が結構経過したあとのことになる。そこで処方箋を出されて少しは緩和したかに見えたが、高校を出て進学してもやはり3~4月はいやであった。新年度で履修登録や卒業案件云々の話、やれ友人と仲良く中国語再履確定だとか、あとはサークルの新歓はどうするのか……みたいな話や、そんなことより野球しようぜってなっても、ポケットティッシュの残量が気になってそれどころではない。最後の一枚が気が付いたらなくなっていて、それでもマスクの裏は洪水になっている……そうなったら絶望感は半端ではない。

 しかし冷静に考えてみると、なぜわざわざ花粉が飛び交っていそうな山のど真ん中へ行ったのだろうか。敵の懐に入る的なやつか、いや違うだろう。

 

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やっぱり桜は綺麗だが…… -2018.4だったはずの某日 大学のグラウンドより

 まあ新年度といっても、去年に関しては別の意味でそれどころではなかったから、花粉の恨みなんかも忘れてしまっていた。もう一度また、その天敵と戦う季節がめぐってきたことに関しては、いいのか悪いのか。仮に僕を辞めたとして、次はスギ、ということはあるのだろうか……

 

 そんなことを考えながら、今日は快晴でも引きこもりを貫いた。この季節は晴れマークでも「快」くはない。ああ、紫陽花すらまだ咲く前だというのに、もう夏を迎えに行きたい。Orangestarが似合う空の色まではあとどれくらいだ。

 

 

 

 

 

 

 

*1:本来であればむしろ「止まらなくてはいけない」が正しいのだが、小学生時代はむしろスルーされまくって頭にきた思い出しかない。ちなみに教習所の本免試験では横断歩道で歩行者をスルーすると一発アウトである。

*2:cv.櫻井孝宏さんで。