むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

鷺 -2024.2.23

 鷺を見つけた。

なんかいる

 是非ともマスコロに見せたかったところである*1

 

 たった一羽で、じっと前を睨み、胸?を張り、背筋?を伸ばし、ただそこに佇む。同じ白い体の鳥でも、群れをなして水辺に遊ぶ白鳥とは、明らかに違う。違った優雅さ、美しさである。

 先の月曜日、小川の遊歩道を歩いていて対岸に見つけたのだけど、その前週の日曜は田んぼのど真ん中にいた。

その前の週もいた

 

 自主トレの球場の、すぐ隣の田んぼ。たった一羽の、凛とした佇まい。たぶん咥え煙草でも覚えさせたら貫禄は十分だと思う。その背筋?もさることながら、彼は目つきが悪い。

 人の気配にも動ずることはなく、カメラを向けたとて飛び去って行くことも、バタバタ走り回ることもしない。ただ、撮って一時間くらいで、おそらくは飛び去ったのだろう。どこからともなく、バッサバッサ、とやってきて、バッサバッサ、と去っていく。半分は想像も含まれてはいるが、それらの姿に寂しさは感じない。

 孤高の佇まい、とでも表せそうな、そんなサギの姿は美しく見える。といっても、間違いなく田んぼに飛来した目的は餌探しで、それは容易なことではないだろう。決して静かだから美しいのではなく、凛としているから美しいのでもない。食うか食われるか、その攻防である。

 

 ……それ以外にも出来事はあったはずなのだが、あまりよく覚えていないから、そういう話だったということにしておく。おかしいな、人と話す機会も、接する人も増えているのに、脳味噌は腐っていくばかりである。

空気が生温い -能代

良い感じの夜景(伝わらない画像) -秋葉公園

 拡大する事業と、人員配置に、ひいひい言ってみたり、首を左右に捻ったり、あわあわしてみたり、たまに頭に血がのぼったり、かと思えば一気に力が抜けたり、あくびをしてみたり、ぼけーっとしたりして、結局なんの解決も悪化もした気がしなかった。つまりいつも通りだった。サギと自然の攻防に例えるなら、「食った」実感はない。だが「食われた」という実感もない。

 次年度がチラついて、まあ憂鬱な時期である。先の日曜や月曜のような、生温い暖かさがそうさせるのだ。あるいは、芽吹き始める特定の植物の香りである。ただ、また1度とか2度くらいに下がって、景色が真っ白になられたとて、喜びも安心もしないのだ。

 

 なんて書いていたら朝7時になった。20時就寝の0時半起床、1時に夕食&飲酒なので、こうなる。外は分厚い鉛色、だが雨音は聞こえない。眠いが、眠れるかはわからない。風呂に入るのは面倒なので後にする。どちらかというと、起きた後に浴びる方が好きかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

*1:マスコロはどうだか知らないが、蛙達にとっては天敵である。