むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

オワタンゴ虚無いンゴ -2023.12.06

今週のお題「マイ流行語」 →「オワタンゴ」。

 

 というわけで、お題の記事は書かない。何をしようにもだるマシンガンだらけなところに、的確な表現を生み出すYoutuberに出会うので、まあ、影響されてしまう。あめんぼぷらす面白いです、いつも動画拝見してます。

 実際に今年何回「オワタ」のかは数えるとキリがないのでやめておくが、毎日何かしらが「オワ」っていたような気がするし、毎日「だる」かったのでこれでいい。流行どころか日常になっているが、一方ではこんな風に、だるだるだる、と言いながら適度にサボって8時間を切り売っていられることも一種の幸福と呼ぶのではないか、と悟った。このような風景を欲していたのが去年で、このような風景を日常とすることができたのが今年である。

 

「シーズンオフ」となって1カ月が経過した。

 実にちっとも休んだ気のしない、何かがオンになっているままのオフである。電源消し忘れてるぞ、節電しようぜ節電。まあ、普段も、だるいだるい、と言っているだけで何もオンにしていないので、それではオフにならなくて当たり前だろうか。そもそもオフになってしまったのは野球だけで、あまり日常に変化は感じない。だが、野球以外にもおそらく、オンのままでいたいものが、年の瀬に近づけば近づくほど、オフになってしまう。

 雪さえ降らなければ、と毎年のように願う。

乗り鉄もできなくなるなあ 折角白鳥さんは来るけれど

 晴れを、とは言わない。ちょっと水滴が舞っている、くらいなら、出かけて行った先で温まるという志摩リンごっこをやる理由になる。白鳥もやってきて、瓢湖だけでなく、羽越線沿いの田んぼでも何かを探している様子を、キハ110の車窓から眺めることができた。

 食欲も増す。

食欲が増す季節(「だるまや」の味玉だるまラーメンとチャーハン)(食い過ぎた)

おひめ「冬にしか出会えない」マスコロ「これじゃないけどどっちも美味い」

 暑いと食欲は出ない。と言いながら、この夏はそれなりに空腹だったような気がするが、ともあれ冬は温かいものは美味いし、年の瀬というある種の「口実」もある。酒コーナーのラインナップも微妙に変わっている気がするし、その中には「この季節にしか出会えない」と銘打たれたビールもある。

 

 つまり冬には冬の魅力があり、今年は幸せだったよということである。だが、幸せをくれるもののうち半分くらいはオフになっちゃうし、オンにしたくないものはオフにできない、ということでもある。

 抗うために、今日は公園で走ってきた。望まれるほうの「オフ」は実質6時間くらいしか残っておらず、澄み渡る青空はもう太陽のピークが過ぎていて、実に虚無であった。

 車を走らせて、ある程度距離を流して、隣町の公園に行き着いた。適当に歩いた後、400メートル走を2本やってバテた。

 走ることに意味は無いというのが近年の主流だが、知らない。元々意味のない無駄なことばかりやっているような気がするし、シンプルに気分転換の意味合いが強いし、どのみち「込み」が付くほどには走っていない。暇だっただけである。何で走ったのかも、何で野球をしているのかも、あらゆるものは「好きだから」か「気が向いたから」とか、そんなことに尽きる。そのどちらでもなかったら、やっていない。この文だってそうである。

 それに尽きるはずなのに、そうではないのではないか?こうだから、と言える何かがあるのではないか?とか考えてしまうから、よくないのだ。

 

 つまり何が言いたいのかというと、仕事がだるく、野球もできず観る方の野球も無く、鉄道含め外出も出来ない、天気の悪い季節は嫌だなあ、ということである。

 休日は昼に起きてオワタンゴ、仕事でもやらかしてオワタンゴ。実にだるく、一方で実に滑稽だ。こんな今年の日常を、僕は幸せと呼ぼうと思う。もっとも、次の休日はもう少し充実させたいなあ、と思いながら、全然眠くならない眼を無理矢理にでも閉じようとするのである。

 

 

【おまけ】

 羽越線に乗りました。

 

 

 あと地元になんかいたので撮りました。

なんかいる

僕「こちら温めまsk」マスコロ「誰をレンチンだって?????」

 

マスコロ「終わり?????????」

 はい。