むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

【虎仁朗が行く】虎の子よ上洛せよ -2018.3.11~14 京都・兵庫方面旅行(後編)【回顧】

 騙されちゃいけない駅名って、この世に幾つあるんだろうか。

これは京都駅 奥にギリ223系が見える

 

0.前回はこちら

 

tomo16change-up.hatenablog.jp

 長すぎるバス待ちと瀕死の充電に翻弄されて始まった旅行。果たして虎仁朗は生きて帰れるのか?

 

 

 

 

1.やっぱりおれ鉄オタなのかもしれない ~2日目~

 

身も心も携帯もフル充電(←これ大事)

 時は遡って、2018年3月13日。

 僕は京都にいる。

トラブルで始まったが天候には恵まれた -京都タワー

 いきなり携帯の充電が3%から始まる旅行なんぞ幸先が悪い以外の何物でもないが、幸い天候には恵まれ、散歩にもサイクリングにもよい日和となった。この旅行中で傘の心配をすることが一度もなかったことは、救いである。

唯一残ってた叡山電車の写真(ゆるキャン△のラッピングがあったので))

 友人宅ではありがたいことにモバイルバッテリー・携帯ともに充電させていただき、前晩のうまいラーメンもあって、元気も100%である。そういえば前の日はおやつこそ食べたけれど、朝と昼の飯ってどうしたんだっけ。記憶が無い。朝はおそらく適当になんか食べて、昼はおやつのために我慢したとか、そんなところじゃなかろうか。

 

 さて、珍しく午前中、どころか7時くらいに目が覚めた記憶がある。友人宅とはいえ、寝床が違えばなんとやら、なのだろうか。徒歩3分くらいのセブンで朝飯を調達し、支度をして確か8時半くらいに出発。

えいでんとゆるキャン△のコラボ

 初日は東本願寺銀閣、抹茶ソフト、京都御所、京大のタテカン、小説のモデルになったカフェ(そしてビックカメラ)、と行きたいところにはあらかた行ったつもりだった。もっと言うと、この旅行の本分は当初、京都ではなかった。後述するが、3日目の本分のために関西圏在住の友人に依頼し、泊めてもらうついでに遊んでいる、という経緯である。……ついでの観光のつもりが、とても楽しいわ趣もあるわトラブルも起こるわで、思い出に残りそうだ。

 

ロッコ、渓谷、七賢になりたい

 ということで、二日目のネタは特に考えていなかったが、

嵐山……付近のどこか

「そういえば嵐山行ってみたい」

 というわけで行ってきた。

 

 ……素直に「トロッコ乗りたい」って言っておけばよかったものを、と思うのだが、前編でも述べた通り当時はまだ「鉄オタ」に戻る前。ちなみに折角乗ったのに写真が何一つとして残っていないのだが、旧PCからデータ移行する際に重すぎて、移行できなかったものが大量にあった。

 どういうきっかけで「活動休止」してしまったのかは全く不明で、何なら自分としては中学までは野球でそれどころではなく(?)、高校の3年間は勉強でそれどころではなかった(?)ということ……だったのだと思う。シンプルに体力と気力が無かったのだろうが、鉄道自体は好きなままだった。おかげで、大学のオープンキャンパスや部屋探しで出向く際、東京駅で新幹線の連結部分にはカメラが向いたし、富士急行にRSEと371ー元「あさぎり」が走っていることも、見ればすぐに分かった。

 言うまでもなく、嵐山も竹林とか、あとあの……川と橋*1が美しい名所の一つなのだが、そんなことを解する心が白幸にあるはずはない。あるかもしれないのだが、初日とて結局は訳も分からないままに「歴史を感じる」だの「趣がある」だの言っては、結局は抹茶ソフトおいしいとかラーメンおいしいとか言っていただけのことだったのだ。

 

 京都駅から山陰本線に乗り、嵯峨嵐山駅を目指す。……地味にJR西日本普通列車に初めて乗ったような気がするし、多分乗ったのは221系だったような気がするが、何一つ覚えていないし写真も残っていないのが惜しい。後々携帯を見返してもっと惜しいことをしたと気付くのは別の話だが……。

 さて始発駅・トロッコ嵯峨に来て、まずは切符を購入しよう。嵯峨野観光鉄道のトロッコといえば、黒い顔をしたDE10。あとは黄色と赤のライン、というイメージだ。快く付き合ってくれた友人氏と合わせて難なく2枚分の座席を確保できたのだが、いざ乗り込んでみたら車内は結構混んでいたような。

 ホームで待っているとイメージ通りの色・フォルムをした機関車と客車がやってきて、早速乗り込んで旅がスタート。機関車に引っ張られるだけの、動力の無い客車。開放感のある車内で感じる風。実に、とてもよい。小さなトンネルの壁模様が追えるくらいにはゆっくりと通り過ぎていくのも、眼下に渓谷を眺めるのも、趣がある。保津峡の川下りの舟がこちらに向かって手を振っていた……ような記憶があるのだが、幻覚でなかったとしたらそれも楽しい。列車へ手を振り、列車から手を振る。一瞬でも人同士の物語の交流が生まれる瞬間だ。

 

 というわけで終点・トロッコ亀岡駅に着いた。そしてすぐに引き返した。なんでも終点で降りる客はほぼおらず、乗って往復してくることが大半の目的であったようだ。当時のダイヤは忘れたが、現在の列車は全てトロッコ嵯峨駅を出発し、亀岡に到着して5分後に折り返してくる*2こととなっている。

 途中にはトロッコ保津峡駅がある。駅前にあるのは保津川と吊り橋で、あとはタヌキ……らしい。言われてみるとなんかいたような気がするが、それよりも「よくぞこんなところに駅を造ったものだ」と思った。トロッコ列車とは元々採掘などに使われていた路線を廃業後に観光資源化したものである。あの秘境駅も、鉄道の駅というよりは、もしかすると重要な作業拠点だった……のかもしれない。真相はわからない。

 乗車券は嵯峨と亀岡の往復。だが復路はトロッコ嵐山駅で降りる。なんか大半の乗客がそうしていたんだったか、はたまた竹林を歩きたかったのかは忘れたが、ここで降りて竹林を歩いた。七賢になりたかったのだろうか。ちなみに同世代の間では、この国文(というより漢文?)用語と、当時流行っていたシリアル食品「フルグラ」を捩って「フルグラの七賢」なる単語があった。結局何だったのかは非常に気になる。僕もまあまあフルグラ信者だったつもりだが、残念ながら(?)七賢にはなれなかった。

 

 この後は団子と2度目の抹茶ソフトを食べて満足して、謎にリラックマと写真撮って、あとは散歩して、電車で京都駅に戻ったと思う。どうやって京都駅に戻ったかは忘れてしまったが、おそらくは渡月橋を一度渡り、橋の写真を撮って満足して、引き返したんだったかな。

 他路線の踏切を越えたが、阪急や嵐電京福電鉄)を使ったという記憶はないので、たぶん帰りもJRだったと思う。このように交通手段は複数あるので、時と場合と気分に合わせて選ぶのでいいんじゃないだろうか、知らんけど。

 

 京都駅に戻ってきた。ちょうどお腹もすいているので、このまま近くで昼飯にする。確か駅ビル内?のどっかのレストランでパスタを食べた。かなりうまかった。。京都らしさにはこだわらず、友人氏おすすめを紹介してもらった形だったような気がするが、その選択は正解だったといえる。写真を撮ったのだが、消えた。もったいねえ。

 ……というより。

 

(221の写真撮ってねえ!!)

(車窓は撮ったけどトロッコ本体は撮ってねえ!!)

(山陰線とトロッコ駅メモすんの忘れた!!)

 

 もったいねえ。

 絶望は友人氏に悟られることはなかった。救いなのはトロッコは「全て未アクセス」なので、1駅逃したばっかりにコンプ未達成、とかになっていないことである。

 

てっぱくへ

 ってことで午後の部を再開(?)しよう。

 ちなみにこの一週間くらい前、宿泊を快諾してくれた友人におすすめの観光スポットをLINEで問うと、こんな答えが返ってきた。

アニメイトあるよ(白目)」

「アキバにもあるので結構です(真顔)」

 一蹴した。当日に同じくアキバにもあるはずのビックカメラを探し回ることになるとは知らず、である。

 

 そういえば、と一個思いついた。京都駅からそんなに離れていない場所で、まだ行っていない観光スポット。

京都のてっぱくへ(ジオラマコーナー)

鉄道博物館行きたい」

 

 ってわけで、行ってきた。ちなみに泊めてくれた友人氏は鉄道オタクの金偏もない一般人である。……というのは嘘で、別ジャンルのオタクではあるが、少なくとも展示されている車両を見て、何系だ、どこを走っていた電車だ、ヘッドマークが懐かしい、だのとはしゃぐ20歳児とは、対照的な光景を成していた。よくぞ付き合ってくれたものである。

 入館して最初に出迎えてくれるのは、元祖「夢の超特急」こと0系新幹線だ。フォルムそのものは新津に展示してある200系とほとんど同じなのだが、こいつが新幹線の礎を築き、日本の交通に革命をもたらしたのだ、と思うと感動を覚える。……というのはもちろん嘘であり、

「0系かっこいい!」

 だけである。

 ちなみにカメラを向けようとしたら、よりハイテンションな係のお姉さんが記念撮影をしてくれたのを思い出す。お願いすることにしたが、

「では行きますよ~!3,2,1、0け~い!!!」

 なんて、お決まりになっているらしい決めポーズをさせる前に、僕がピースしてしまったので不成立となった。大変申し訳ないのだが、是非とも先に言って欲しかった。そしてこの時の写真もどっか行った。決めポーズと合わせてリベンジが必要である。

 

 ここに眠っていた車両で、ひときわ目をひいたものがいる。

これである(左) ※残っていたのがこれくらいしかない

 寝台特急トワイライトエクスプレスに使われていた客車だ。

 2015年3月まで定期運行していたトワイライトエクスプレスは、下り列車(札幌行き)は夜19時40~45分頃に新津を発車し、羽越本線を北上していく航路をとっていた。

 小学生の僕にとって、それが定期便であったとしても最寄り駅に発着し、見慣れた地元の田園風景を駆け抜けていく姿は、異質そのものだった。最寄りの踏切で20時ちょっと前に見送った列車は、深夜に青函トンネルをくぐり、翌日には北海道へ渡る―そんな航路がたった数メートル先を、他の普通列車や貨物列車と同じように通過していくのが、当時の僕にはいまいち、ピンとこなかった。何回見ても、何かの魔法でそうなっているのではないか、という感覚が拭えないまま、食堂車・ラウンジ・展望スイートの灯り、最後尾の客車を見送っていた。 

 あの時見送るだけだったテールライトが、その姿のまま、ここに眠っている。結局魔法なのか夢なのか何だか分からないまま、もうあの列車は最寄りの踏切に来なくなった。午後八時少し前に手ぶらで行ってみても、EF81のヘッドライトは見えない。

魔法でも夢でも無かった

 そしてトワイライトに限らず色んな電車を見送るだけだった少年は、寝台特急に乗るほどには裕福ではなくとも、少しだけ遠くに行けるようにはなった。東京や山梨には出れるようになり、京都へもこうしてやって来た。そしてようやく、それらが紛れもない「現実」であると実感する。

 といってもこれは「過去」になってしまった。どのみち憧れのままである。やめましょう、といってやめられるものではないのだ。

 

 大宮のてっぱくには2度ほど行ったが、こちらも負けないくらい「鉄分」を感じる場所であった。

当時に思いを馳せて

また来たいまちでした

 同時に、この京都という街にもまた来たいと思った。

 何ならこの時は軽率に「定住したい以外の感想が無い」とかツイートした記憶があるが、住んでしまったらまた違う感想を持つのだろう。あくまでも旅の途中に訪れ、その空気を感じるくらいがちょうどいいのだ。

 テラスに上がってみる。大宮と同じく、ここも展望テラスから新幹線や在来線が行き交う姿を見ることが出来る。あとで気付く話、元々京都には梅小路蒸気機関車館が存在したが、SLを見学することはなかった。僕の旅路に重要な要素は何より「鉄分」であることも、今振り返って再認識することである。

 

 ちなみに夕飯は、これまた友人宅近くのなか卯で食べた。言うまでもなくあの「なか卯」なのだが、当時の僕の反応、ならびに友人氏の反応はこうだ。

 僕「それって何屋?地元の有名な店?」

 友「えっ、有名も何もあの”なか卯”だよ?」

 それはそうである。

 何故こんな反応になったのか。それは僕の地元にないからで、且つ大学の近くにも無かったからだ。一方の友人氏は地元では同市内でも中心街に住んでいた。新潟市内にはある。でも僕の実家近くには、ない。アイラブ田舎?そんなわけあるか。だが、僕が住んでるんだから都会なわけないじゃん?ってなもんであろうか。

 

 

2.駅名トラップにご用心&バスを待つには長すぎる(2回目) ~3日目~

 

「甲子園口」は最寄りにあらず

 というわけで3日目。

 この日は兵庫県西宮市に用があるので、京都はここまでだ。2泊3日の滞在に応じてくれた友人氏にも御礼を告げ、再会を約束してお別れ。ちなみにあれ以降会っていないし、最近連絡も取っていないのだが、元気にしているだろうか。

京都たのしかった

 キングオブ前途多難、かつ振り返っている今となっては主に記録の紛失によりリベンジ欲が強いのだが、ともかく楽しかったし趣ある街だったので、また来たいと思った。抹茶ソフトもまた食べたい。抹茶を飲みたい、ではないところがなんともお子様舌である。

 

 さて、京都から兵庫・西宮となると、結構な距離があるように思える。何せ大阪を通過するのだ。しかし、目的地まではJR東海道・山陽線―俗には「京都線」「神戸線」というのか?で50分前後。乗り換えも無い場合もあるし、あっても1回だ。これが可能になる理由は、

「新快速TUEEEEEEEEEEEEEEE」

 西の爆速無料特急、噂には聞いていたが流石である。……と書いたけど、これまた写真も撮っていないし、実を言うと何キロ出ているのかも分からなかったし、そんなに車窓も覚えていない。本当に惜しいのだが、この日の主目的は後述の通り、鉄道以外に重要なことがあったので、そんな暇はなかったといえる。

 確か大阪か尼崎らへんで乗り換えて、目的地である甲子園口駅に到着。できれば12時15~20分には目的地に着いておきたいところ、時刻は確か11時50分をまわったくらい。余裕があるとも言えないが、急がなくても間に合うだろう。

 ……間に合うだろう。

 …………間に合うよな??

 ………………………………??????????

 

「間に合わねえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 僕は絶句した。何これー!?である。ナニコレ珍百景である。もっと関西でしか見られないような風景・出来事に出くわして絶句したいのに、この旅はそういうことばかりで、今回も「目的地が遠くて時間がギリギリ過ぎるので絶句」なため、何とも情けない。自分のリサーチ力不足を嘆くまま、ともかくgoogleマップとにらめっこしながら急ぎ足になる。

 内容としてはもうお察しの通りだが、

甲子園球場

阪神甲子園球場に行くのに、JR甲子園口駅で降りた」

 のである。

 

www.google.co.jp

 地図アプリを見て頂けるとより分かると思うのだが、甲子園球場の最寄り駅は【阪神電車 甲子園駅】である。駅名の通り、阪神電車の駅から球場は350mしか離れておらず、完全に目と鼻の先なのだ。

 一方、JR神戸線で来てしまった場合、2.5kmほど離れており、徒歩だと34分程度要してしまう。まして見知らぬ土地の狭い路地を歩くとなると、不慣れが故により時間がかかってしまうもの。駅から見えるだろう、と思っていた野球場は、ビル陰に隠れて見えない。

 しかしやってしまったものは仕方ない。僕はgoogleマップを起動して、青い道筋が示されるとおりにロケットスタートを切った。駅を降りたタイミングできっと阪神ファンだらけなのだろう、とか思っていたが、それはあったとしても阪神電車の話である。おまけに今はスーツケースを引きずっていて、その預け先も探さねばならない。これは調べたら一応コインロッカーはあるらしいのだが、

「100円玉硬貨のみwwwwwwwwwwwwwww」

 どうやっても【100円×5枚以上】の組み合わせしか受け付けないロッカーしかなくて、絶望した。何とかして崩したが、きっと何円かを「スタッフが美味しく頂きました」処理をしたのだと思う。

 

甲子園に語彙を失う虎キチ、甲子園で沈黙する虎打線

 まあ何やかんやあって、

人生初の甲子園!

 試合開始には間に合った。

 

 人生初の甲子園。少なくとも虎キチを名乗る者にとってここは聖地であり、且つ学生野球にとっても憧れの場所だ。黒土に緑の芝、銀傘にアルプススタンド、ゴツいバックスクリーンのビジョン、その全てが快晴に映える。ライトスタンドから全体を見渡して、真っ先に出てきた感想は、

「広い」

「デカい」

 これが二十歳の語彙力である。ちなみに今も成長はしていない。

 

 両翼95m、センター118m。これだけ聞くと「そこまで広くないのでは?」と思ってしまうが、プロ野球の解説でよく耳にするのは「広い甲子園はホームランが出にくい」ということ。これは左バッターに不利になるアレがライトから吹いてくる*3せいもあるが、

baseball-89.com

 実は左中間・右中間の広さがセンターと同じ118.0mなのだという。これはプロ12球団の本拠地球場では一番広い数値となっている。両翼と中堅は横浜スタジアムに次いで狭い。なのに、プロの選手もここを「広い」と語る。左中間・右中間の深さはホームランの数に影響しやすいらしい。

 

 ちなみに試合では本塁打は出なかった。

なおチーム(てか球審

 何なら、タイムリーヒットも中々でなかった。先発・能見篤史はピンチを招きながらも最少失点で踏みとどまるが、打線が相手の新加入左腕・ハフを攻略できない。6回裏に1番・糸原健斗のタイムリーで同点とするも、後続は続かず。8回に3番手・高橋聡文がつかまり勝ち越し点を献上。

npb.jp

 結果、2対3というスコアで阪神は敗れた。なおこの年の阪神

 あとオープン戦でも野次は凄かった。野次とはいうが、ファンというからにはむしろアウトセーフや勝ち負けにこだわるなんぞ、当たり前だよなあ?とは思ってはいる。やれ劇場だ併殺打だと言って面白がっている場合ではなく、僕も本来、ああいうスタンスで野球を観るべきなんだろうなあ。

 

ロッカーあきまへんでぇ事件と長すぎるバス待ち(この旅2回目)

 さて、メインイベントの甲子園阪神戦は何だかんだ満喫した。

 関西を楽しんだので、帰路に就く。バスは三宮駅前から、確か22時とかに出発することになっている。……ちなみに甲子園は、デーゲーム。試合終了は15:52。だいぶ時間があると誰か教えて欲しい。

 

 たぶん阪神電車で神戸三宮まで移動。鉄オタとしても虎キチとしても、阪神電車の御姿を記録していなかったのは実に失態である。且つ、試合終了後にもお土産屋さんやら何やらで結構ゆっくりしていたとはいえ、まだ日は落ちていなかった。

 とりあえず適当に街並みを眺めて、飯にする。こだわりはなかったので、ガストにした。というより、ファミレスも滅多に行かない。近くになかったわけではないが、微妙な距離があるのだ。

 食事していたら、近くにいた同年代くらいのグループから、こんな会話が聞こえてくる。

「東京ってええよな、ディズニーいつでも行けるんやで」

「あかんわ、標準語に染まってまうで。嫌やわ」

 いやいや、こっちが関西弁に染まってまうわ。

 

 ちなみにガストを選択した理由はもう一つある。良い店が無いかな、と探して、街を歩いていた時の感想。

(柄悪っる!!!!!!!!)

 ここに限った話というよりは、都会の繁華街ならではの光景なのかもしれないが、とにかく酔っ払ってテンションがおかしくなっている人率の高さである。声が大きいし、その内容は理解不能。かと思えば急に具合が悪そうに道端にうずくまったりもする。客引きの兄ちゃん・姉ちゃんもなんだかヤンキーっぽくて、普通に怖かった。

 よくよく考えれば、地元や下宿先では絶対にない光景で、且つ今まで夜に繫華街を歩くような習慣は無かったので、単に都会慣れしていなかっただけかもしれない。ただ、関西出身の友人に後日話を聞くと、やっぱり柄は悪いらしい。僕の目は間違っていない。

 

 ということでバスの時間が近づいて来たので、預けていた荷物を取りに駅に戻る。飯を食うだけなのにわざわざコインロッカーを利用したのかと思ったが、まあスーツケースを引きずってあの混沌を歩くというのも、なんだかなあ、という気はする。

 ……と、僕の上を使っていた女性が、ちょうど荷物を取り出すところだった。が、中々入らないらしく、時間がかかっている。気長に待っていると。

「スーツケースがひっかかって出てこないんですぅ……」

 あきまへんでぇ!

 そんなことある?と思ったが、確かにちょっと無理矢理詰め込んだっぽいスーツケースは中々出てこなかった。よく入ったなあ。二人で悪戦苦闘したのか、はたまた何かの拍子に取れたのか記憶は曖昧だが、結局荷物・ロッカーとも破壊することなく取り出しには成功した、と思う。

 何だったのか分からないまま、僕も荷物を取り出してバス待合所に向かうことにした。旅行にはトラブルが付き物である。ちなみにバス待合所もさっきの酔っ払い&ヤンキー通りのど真ん中みたいなところにあった。おれはもう帰りたいだけなのだ。

 

 22時、やっとのことで東京・新宿行きのバスはやって来た。帰省でも見慣れたピンクのバス。充電も出来るし、頭覆うやつもあるので、存分に寛げ……。

(俺の前座席無いから、ドリンクホルダーとか付いてない)

 うそだろぉ~?

  

 結局充電出来たのか出来なかったのかはわからない。ただ、完全に寛げなかったことは覚えている。先頭ではないのに、何故僕の前だけ座席が無かったのだろうか。不自然なスペースだけがある。足を伸ばせるくらいしかメリットが無いが、居心地が悪いからそれもしなかった。なんということだ。ちなみに通路側なので、壁に頭を預けて眠るということもできない。往復ともこの路線、ほぼ満席である。新潟行きとは全然違う。

 翌朝、新宿に着いた僕は、7時台の特急スーパーあずさ1号に乗車する。これ、1月の帰省から戻った時にも乗車したのだが、デビューしたばかりのE353が充当されていた。勝った、と思った。これなら間違いなく、充電できるからだ。

 

 

3.まとめ

 

 こうして僕の関西旅行は、終わった。終始、携帯の充電と長すぎるバス待ちに翻弄されたような気がするが、やきうは楽しかったし京都も満喫して、色々と思い出に残る合計4日間になったことは間違いない。

 記録を紛失してしまったことと、駅メモをし損ねた区間があったのはもったいなかった。何より「鉄オタ」として復活する前の話だったので、関西圏の鉄道を何も撮っていないのが悔やまれる。それでも京都の鉄博に行き、上述のような感想になったので、これ以降は鉄分多めの旅を選択するようになっていき、今に至っている……と言える。

 また、片道8~9時間の夜行バス移動がなかなかに応えた。値段の面で選んだ移動手段だが、かえって待ち時間を持て余したりする面もあるし、繁忙期なら料金も割増しになってしまう。前述の理由もあるが、以降は帰省や野球での移動などにおいて「どちらかは鉄道を利用しよう」と思うようになった。

 

 ……というより。

サンライズ乗れば良かったくね???」

 

 つぐづく惜しいことをしたなあ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:桂川渡月橋のことと思われる。

*2:トロッコ列車時刻表 | 嵯峨野観光鉄道 (sagano-kanko.co.jp)

*3:「浜風」のこと。この風がゆえに、ライト側フェンス前に「ラッキーゾーン」なるホームランエリアが設けられていたこともある。