特急「あずさ」と「りょうもう」と、新幹線に乗ってきた。
0.序
前の晩のことである。今シーズン最終戦を終えた僕は、甲府駅前のホテルに戻った。
何はともあれ疲れた。ベッドに身体を投げ出すと重い足腰はみるみる沈んでいき、右肩と肘からは「なんていうフォームで投げてんだー!」と、悲痛な叫びがあがった。
鞄に隠れていた相棒の2歳魚を、枕の脇に横たえてやる。途端、
「おやすみぃ……スヤァ……」
目と口は開いたまま、すやすやと眠り始める*1。
よほど疲れていたのだろう。主が間抜けな守備や投球を繰り返し、打つ方では自暴自棄になってセーフティーバントを敢行するなどしても、相棒は良い子に見守ってくれた。
ただでさえ、山梨まで長い距離をついて来てくれたのだ。小さな頬をちょこん、と指を置いてなぞってやる。
「そういえば、新幹線もあずさも初めてだったな……」
ぴくり、と提燈が動く。
この子は県外の鉄道に乗ったことがなかった。新幹線も今回の往路で初めて乗り、240キロの世界を味わった。東京の過密ダイヤや長い通勤電車なども未経験。新幹線・在来線合わせて20もの番線がある大規模な駅にも、魚は大興奮したようだ。
「都会の電車すご~い、いっぱい乗れてたのしい~」
喜んでもらえて嬉しい。
普段良い子にしてくれているお礼もしたい。復路も濃ゆい思い出を作ってあげよう。
- 0.序
- 1.甲府(9:47発)→東京(11:32着)/特急あずさ14号
- 2.東京ー大井町ー中延ー浅草/京浜東北線、東急大井町線、都営浅草線
- 3.浅草(13:50発)~赤城(15:44着)/特急りょうもう19号
- 4.赤城(16:28発)→中央前橋(17:08着)→前橋→高崎/上毛電鉄
- 5.高崎(18:31発)→新潟(19:43着)/上越新幹線 とき337号 &後書
1.甲府(9:47発)→東京(11:32着)/特急あずさ14号
昨日は朝早すぎて食べられなかったが、朝食がメニュー豊富でどれも美味しかった。気分の良い一日の始まりだ。
夏にもお世話になったホテルを後にする。甲府駅までは歩いて5分もかからない。痛い脚と大荷物を引きずっても近くて便利だ。
見慣れた広場やエレベーターを通り抜け、4番線から列車に乗ろう。
と思ったら上りの「あずさ」は遅れているようだ。
向こう岸のホームにやってきたE353系に手を振りながら、乗車口で待つ。CELEOの文字、発車メロディ、全てに安心する。
もう少しだけここにいたい……という願いをよそに、あずさ14号は定刻の10分遅れでやってきた。
よく晴れた甲府盆地が後方へ流れていく。あれが僕の第二の故郷*2だよー見慣れた大好きな車窓を指さして、相棒に教えてあげる。
「あずさ速~い」
まるで興味がない。それでいいさ。
E353系は山岳地帯をかまわず飛ばす。携帯の充電は減るどころか、100%に近づいていく。これが神の御加護か、車内も快適に寛ぐことができる。さっき甲府で「遅れまして申し訳ありません」と聞いたはずの列車は、あっという間に東京のビル群に辿り着いた。
2.東京ー大井町ー中延ー浅草/京浜東北線、東急大井町線、都営浅草線
名残惜しいが、E353とはまたしばしのお別れ。
しかし泣いている暇はない。東京に出てやることといったら赤新駅回収だ。階段をきびきびと上り下りし乗り換え、京浜東北線で大井町へ向かう。
都心で駅メモをプレイしていると、一度も乗ったこともない路線でも気づくと(コンプリートまで)「もうちょい!」になっていることは多いのではないだろうか。特に1駅だけ残っているとなんとももどかしいものである。
大井町からは東急大井町線の各駅停車に乗りかえて、お目当ての駅・中延を目指す。赤い新駅にでんこも魚もご満悦。まあ、路線制覇となったのは次に乗りかえる都営浅草線なのだが。
初めての地下鉄に相棒もわくわく。
時々強く吹き抜けてくる風、線路の向こう側の闇。この上下に何層も、何本も線路が通っていることを想像すると、本当によく造ったものだと感心せずにはいられない。ただやってきた電車が混んでおり、相棒にはカバンに避難してもらった。
「ほんとに地下にホームがあるのすご~い」
魚が楽しいので何より。しかし地下鉄を架空の存在だと勘違いしていたのだろうか。
やがて浅草に到着する。
戻ってきた人混みを潜り抜け、東武鉄道の改札口へ。東武浅草駅は行き止まり式のホームなので、戻ってきた列車を正面から見ることができる。
東武100系ことスペーシアも見つけた。いやあホンモノ!出発していくときの音も生で聞けて嬉しい。
とはいえ感動するのはこれからだ。十数分後、お目当ての列車が隣のホームへやってきた。
3.浅草(13:50発)~赤城(15:44着)/特急りょうもう19号
スペーシアのことを東武100系と呼ぶのに対し、こちらは東武200系という。
一つの形式が複数の列車名・種別に就くJRと違い、私鉄特急を車両形式の数字で呼ぶと全くしっくりこない。私鉄の場合、正式な列車名ではなく車両の愛称として名前が付いていることも多い*3ので、それに近い感覚かもしれない。
係員が待ち構える特急用改札を潜り、赤いラインが特徴的な電車に乗ろう。こちらは「りょうもう19号」という列車名。一方の「スペーシア」とは東武100系の車両愛称なので、なんともややこしい。
浅草を出るとすぐに隅田川の鉄橋だ。しかし実にゆっくりと渡る。
駅のすぐ後に大きなカーブがあるのと、すぐに停車駅・とうきょうスカイツリーだからか。一瞬だけでもその巨大な塔を確認できて嬉しいが、只でさえ痛い首を酷使して見上げることはしなかった。
2号車にはとうきょうスカイツリー駅から多くの客が乗り込んできた。前の座席には小さい子供のいる家族連れ。稚魚がそわそわとし始める。しかし前座席の乗客は、残念なことに振り返ってはこない。
「お腹すいた~、ごはんまだ?」
そうだね、そろそろやろうか。
こちらは24歳と、そもそも法律何それ?な魚である。キャッキャとはしゃぐ前の子どもたちに「こんな大人になっちゃだめよ」と念を送り、缶ビールの蓋を開けた。
多くの客が途中の東武動物公園や久喜で降りていく。それなりに混んでいたはずの2号車は、館林あたりでは空気輸送に変わっていった。
しかしこのりょうもう号、実に座り心地が良い。
美味しそうな赤ワインにお菓子をちりばめたみたいな色*4のシートは大変ふかふかだ。且つ、この車両は適度に揺れるし、適度にモーターの音がする。……ううむ、気持ちよくなってきた。ビールと弁当を味わっただけでこうはならない。
気づくと赤城の山々が近づいていた。太田の手前くらいから寝ていたようである。これが魔法だろうか。列車はスピードを抑え、小さな住宅街の隙間を抜けていく。
静かオブ静かで大して揺れない、青き神・E353系とは対照的だった。しかし白地に鮮やかな赤をまとい唸りを上げるりょうもう号も、崇め拝むには相応しい列車に思えた。
4.赤城(16:28発)→中央前橋(17:08着)→前橋→高崎/上毛電鉄
赤き神・東武200系はすぐに浅草へ戻っていくようだった。
のんびり別れを告げていたら、りょうもうだけでなく一本前の中央前橋行きまで見送るという羽目になった。幸いなことに僕は待つのには慣れているし、45分くらいならちょうどいい。高崎から帰りの新幹線に接続できるかどうかが心配だが。
2両編成の電車がやってきた。元東京の私鉄で走っていたと思われる車両*5は、短くなっても逞しく単線区間を走る。まばらな街灯や住宅があるのみの車窓、前橋に近づくにつれて真っ暗になっていく。
赤い新駅を拾い上げながら、モーターとジョイント音をゆったりと楽しみ寛いでいると、まもなく終点という自動アナウンスが入った。
中央前橋に到着すると、JRの前橋駅までシャトルバスが出ているようだ。無事に乗り逃し、17分程度の道のりを歩いて前橋駅へ向かった。
5.高崎(18:31発)→新潟(19:43着)/上越新幹線 とき337号 &後書
どうにか痛い脚と大荷物を引きずって、無事高崎駅に着く。お土産や車内での食料を調達する余裕もあり、心配は杞憂に終わった。
E7系が滑り込んでくる。予約の際に狙った。コンセントが完備され、シートも気品のある車内。心なしか窓は小さく感じるが、構わず買っておいた缶ビールの蓋を開ける。
定刻通りに発車した新幹線は、北陸新幹線と分岐し加速していく。飛行機の離陸みたいな感覚に、
「速~い」
魚も嬉しそうだ。
この旅では新幹線に、往路の「しらゆき」を含めた3つの特急列車、10両以上の長い列車から2両のワンマンカーまで、いろいろなタイプの電車・路線に乗ってきた。
「いっぱい知らない電車に乗った~、楽しかったね~」
「そうだね!何が一番良かった?」
「あずさ~」
お前もE353に魅せられたか。わかってくれて嬉しい。しかし。
「それとりょうもう~、しらゆき~、E2系~、E7系~、あとね~」
ほぼ全部じゃねえか。
相棒は心の底から満喫してくれたようで何よりだ。ビールが空になったので、車内販売でりんごジュースを買った。ワゴンを呼び止めるのは僕も初めての経験だった。
「美味しい~、本当に車内販売ってあるんだね」
架空の存在だと思っていたようだ。なるほど、ワゴンや売店の取り扱いもない列車は増えている*6。かつて栄華を築いた「食堂車」の存在を2歳魚に教えたら、どんな顔をするのだろう……まあ、僕も乗ったことはないのだけれど。
大清水トンネルを潜り抜ける。仮にそこが雪国でも、夜なので何も見えなかった。それでもりんごジュースは美味しいし、新幹線は速い。これが夢の超特急、240キロで流れる車窓は何度見ても見飽きない。……その一方で、現実へ引き戻してしまう無慈悲さも感じる。
新幹線は不思議な乗り物だ。
E7系「とき」は越後路を走り切り、終点・新潟に定刻通り到着した。
やはり改札に切符を入れる瞬間と、列車で呑むビールや食べる弁当はご褒美だ。……ううむ、しかし高崎からの乗車ではあっという間すぎた。1時間がこんなに早く過ぎるものとは思うまい。
いつ乗っても降車時は名残惜しい。新幹線と、戦いを見守り旅についてきてくれた相棒に感謝をこめて、先頭車両でツーショットを撮った。