この週末、山梨は実によく晴れた。
朝靄の向こうには、逆光がかえって神々しい富士山。約2年ぶりに乗る211系の窓越しにも、澄んだ空気のおかげで南アルプスと八ヶ岳が美しい。僕が現チームに加入してからというもの、活動当日は悉くが曇りか小雨だった。
幸運に感謝し、球場に到着する。心も晴れ晴れと気持ちのいい土曜日。さあ、楽しいやきうのじかんだー。
……とは、実はまだいかない。問題はまだあったのだ。
いきなりだが、駅の自動放送で「まもなく一番線に普通高尾行きがまいります」と告げるアレがあるだろう。大学の4年間ですっかり耳慣れた、首都圏特有のメロディと共に、
「あぶないですから、黄色い線の内側へおさがりください」
いまいち危険を感じていなさそうに列車の到着を告げる声だが、実際に危ないので1歩、2歩と後ずさりする。ところで律儀なことにこの自動放送は英語も喋るのだが、放送を翻訳すると以下のようになる。
「For your safety,please stand behind the yellow line.」
日本人に対して危険を促す部分は、英語では「あなたの安全のため」と言われる。どちらが良いのかは知らないが「ビコーズ、イットイズ デンジャラス」ではなく「フォー、ユア セーフティ」と言う……これが文化の違いというやつだろう。
さて話を戻そう。この「安全」を示すsafetyという言葉は野球でもしばしば用いられる。セーフティーバント、セーフティースクイズ……ん?
「これ何が安全なんだ?」
野球はある意味、語法を無視したスポーツと言えると僕は勝手に思っている。その代表格が「敬遠」。まあ単なる故意四球に過ぎないわけだが、これが作戦として用いられるのは走者2塁、3塁、あるいは2・3塁の時ー「一塁が空いている」場合にそれを理由として行われやすい。強打者との勝負を避ける意味合いもあるかもしれないにせよ、この行為自体は打者をそんなに敬っていないのだ。
同様に打者走者が一塁セーフになることを狙うバントも、あまり「セーフティー」という単語には適さないように思う。内野ゴロでもヒットにしてしまうような選手は確かにいるし、足の速い左バッターが出塁を目的に行うシーンは目立つ*1。
しかしこの「バント」という打撃手法、当然だが外野には飛ばせない。どう頑張ってもマウンドに届くか届かないか程度の飛距離しか出ないし、飛距離を出してしまったら内野フライである。もし走者ありで、ダブルプレーになったら……この世の終わりを感じる。
つまりバントそのものは安全でもなんでもない。
何がそうかって、仮に上手く転がすことができても所詮は内野ゴロに過ぎない点で、どのみち走者ありならみすみす「ダブルプレーをとってください!」と言っているようなものだ。野球の場合は面白いことに「堅実」にアウトになりに行く送りバントと、リスクを承知でセーフになりに行く「セーフティー」バントという、よく分からなさすぎる単語が存在するのだが……どのみち「危険」であることは確かである。
ところで、自らダブルプレーの危険性だけを高めにいった「セーフティー」スクイズが、プロ野球にもあった気がするが……。
にもかかわらず、僕はこの「バント」とかいう自殺行為を、あろうことかfor my safetyの為に敢行することになった。
2試合目のことだ。僕は8番・センターで先発出場した。
前の打席で1球も掠らず三振を喫した僕*2に、無死1塁で打席が巡ってきた。
「コンパクトに行けよ!」
「繋げ繋げー!」
ベンチが最高潮に盛り上がる。一人走者を出すだけで、まるで得点したかのようなムードになれるこのチーム大好き。だが、打席に歩いていく次打者の表情は冷え切っていた。
(振らずに立ってようかなあ……)
何せバッティングセンターの100キロにも当たらないので、何もしようがないのだ。勿論フォアボールやデッドボールなどで出塁できる可能性もあり、いっそ「立っているだけ」というのも作戦としてはある。しかし、その2球目であった*3。
ヒッティングの構えから、僕は投球モーションと一緒にバントの構えをとった。
「えっ……」
刹那、相手守備陣・味方ベンチを問わず困惑の声が聞こえてくる。しかし後には引けない。
高めの直球を、僕はバントした。
「えええ…………」
刹那、再び困惑の声が360度から僕に浴びせられる。
約半年ぶりにバットにボールが当たったというのに誰も感動してくれない。それもそのはず、よりによって打球はピッチャー前に転がったのだ*4。完全なるピッチャーゴロ、1-6-3のダブルプレーコースー。
とはならない自信があった。
「うわっ!?」
力なく転がった打球は、しかしバランスを崩した投手の横をすり抜けていった。カバーに入った三塁手が拾い上げるのを、僕は一塁を駆け抜けた後に確認した。
「……ま、まあ結果オーライだな!」
ベンチが戸惑いの色を隠せないまま盛り上がろうとしている。一応これでも内野安打=ヒットだというのに、誰も何も感動してくれない。酷いではないか、出塁しただけでまるで8点差を追いついたかのような盛り上がりを見せていた、あのチームカラーはどこへ行ったのだ!
……などと反発している本人にも、久しぶりに自身のバットとボールとの接触音を間近で聞いた感動は皆無といってよかった。何せこれは只の「自暴自棄」。この後僕は三塁まで進むも、無死から浅いセンターフライでタッチアップ、あえなく本塁で憤死するのだった。
【おまけ その他試合のおもいで】
・1試合目:深めに守りすぎてセンターフライを悉くヒットにする。この日は計3度の決死のダイブがチームの傷口と、自分の右腕の擦り傷を悪化させまくる。
・1試合目:深く守りすぎた反省から少し浅めに守るもあっさり頭上を破られランニングホームランを献上。小・中学生時代より「考えて守った」守備シフトは大体裏目に出る。
・1試合目:5回裏の2死1・2塁より継投。センターから走ってマウンドへ向かう高校野球みたいな経験をする。
・1試合目:6回裏にイニング跨いで続投。2人目のバッターを1-2と追い込み、内のスライダーで見逃し三振。これが24年の生涯トータルでも初めて奪った三振となった*5。なおその直後から魔法が解けたようにタイムリー2本を浴びるなど炎上。とどめに特大の右越え2ラン*6を献上し、これも24年の生涯で浴びた初の本塁打となった。
・2試合目:6回裏から継投。魔法など最初から無かったかのように炎上(というか自爆)。数字で見ると1回1失点だが、1と1/3回で4失点した1試合目よりイニングが長く感じた。
・2試合目:自暴自棄バントの後はなんとか……というか一度もバットを振らずに2四球で出塁。もっと早くそうしろ。野球には我慢も大切である。
・2試合目:結果は7対7で引き分け。僕が入団して以後、出場した試合でチームが負けなかったのは初。
・試合後:一刻も早く風呂に入りたくて宿に帰るも、右足の皮が剥けお湯が染みるなど満足に浸かれないまま上がることに。
なお、この試合で仲間が一人引退となった。圧倒的飛距離やキレキレの直球・変化球には何度も驚愕させられ、投球指導やらその他諸々やらお世話になりまくった。打席に立った彼に初めてボールを投げた時の「(ボールが)来ない」というコメント、その次の内角シュートを軽々ライトの向こうへ吹っ飛ばされたことー。
濃密な思い出に感謝しつつ、彼に宿まで乗せてもらって帰った。