野球場で観戦をするの、実に3年ぶりではないか?
今2022年は、Baseballというスポーツが日本列島に伝来して、150周年を迎えるようだ。
そういえば鉄道も同じく150周年記念で、新幹線の塗装やチャイムなどを国鉄時代のものに変えて盛り上げている。どちらも海の向こうから伝わり、維新?デモクラシー?高度成長?……まあともあれ日本の歩みとともに独自の発展を遂げ、かたや鉄道はもちろん安全で正確な交通インフラとしての機能も持っているものの、どちらも「日本文化」において欠かせない要素になった。
さて、ベースボールは日本に伝わると「野球」と呼称された。これは単なる翻訳のみならず、主に戦術面において本場との違いから、もはや別なスポーツ、独自の文化であることを意味されたともいえるかもしれない。
ただ、翻訳した先生が市内のどこそこの中学のボスを歴任されたので功績を讃えます!と言って、セレモニーに呼び出されて挨拶までさせられる現職の先生を見ていると、あまり澄んだ目で見ることができなくなった。僕は良くも悪くも野球を見ていて、日本で暮らしている。良くも悪くもだ。
試合にはプロのOBが集結。つい最近引退したばかりで、よく名前を知っている人物たちもいる。中にはこの日のプレーを観ていても「まだ現役でやれるのでは……?」と思うような選手もいたが、一緒に観戦した友達に、
「心技体が揃っていないと現役は続けられない」
と、妙に重みのあるコメントを頂戴した。彼の推しは、ライトポールのフェンス際から二塁まで軽くダイレクト返球し、また快速を飛ばして二盗を成功させてもいたが、「心」が伴わなかったのだろう……というのだ。
試合前には野球教室が開催され、OB達は未来の野球少年たちの健全な育成の為に尽力していたようだ。羨ましいことである。友人に、
「俺らも野球教室でプロに教わった時、やっぱり誰に教わるよりも説得力あったなあ」
と言われたが、正直なところ僕は何も覚えていない。それより、フィールドでプレーするあのちびっ子たちがいま、どのくらい楽しんでプレーし、どのくらい興奮してその場を過ごし、どのくらい全身の細胞を震わせることができているか……それだけが気がかりである。
心が伴わないと、技・体があっても戦えない……。なるほど、「やる気が無いならやめろ」と僕も散々言われてきたなあ。あの時は「技」と「体」の問題まで「心」にひとまとめにされていた節も多分あるけれど、どのみちあんな思いは二度としたくないなあ、と思いながら、僕は試合開始前の野球教室をスタンドで眺めるのだった。さて、何人が将来タテジマを着てくれるかな~?でもこんなヨコシマな人間になるんじゃないぞ!
さて、試合はプロらしいスピード・パワーのある白熱した好ゲーム……に「後半からは」なった*1と思う。
まあボールは軟球*2だし、現役引退して身体も動かしていないだろうし、多少はね?……と思ったが、中盤以降に出てくる投手は軟球でも130キロ台後半を続け、守備も広い守備範囲でヒット性の打球をアウトにする。だが打者もスピードボールの方がむしろ慣れているのか、それまでは力ないゴロやフライばかりだったものが、痛烈なライナーを飛ばしていく。
途中までは「何を見せられてるんだ?」と言う感じではあったが、ともあれスタンドで野球の試合を観ることも、何だかんだで3年ぶりくらいのことになるのか。確か2019年11月にプレミア12の韓国対メキシコを観て、その次の日に高校神宮大会の仙台育英対天理を観たんだっけ。
ううむ、気持ちいい!声出せないしそもそも応援歌ないけど*3!何だかんだタイミングのがしてビール飲まなかったけど!でもなんか、あれ、他人同士がチーム組んでボール投げたり走ったりしているのをスタンドで観るだけで、なんでこんなに興奮しているんだろう!
……いや、本来観るだけだろうが自分でプレーしようが、敢えて言葉を選ばなければ、これは身体と球を使う「遊戯」に過ぎない。この球遊びが少し発展して、戦いだ、争いだ……といっても、まあ職業になってしまえばそれも仕方あるまい。ただ、これらが自分を苦しめるものとなってはならない。何もこのスポーツは修行僧の鍛錬を指すものではない。純粋な「興味」の対象として、その沸くままに奥深さを追いかけ、求めることができるものであってほしい―。
何が言いたいのかって?小・中学生向けの野球教室って結構あるけど、こと野球において一般市民が「追求」できる機会というのはまだまだ限られていると感じる。門戸拡大・底辺拡大を唱えるのなら、その為の活動を「未来のプロ選手」育成の一点張りにしてしまうのはもったいない。シンプルに上手くなりたい、勉強の機会が欲しい!という「まだまだ追いかけたい大人」だっているんじゃないか。こう例えば、社会人向けの野球教室・練習会なんかもあればいいんじゃないだろうか。
そんなことを考えて、なおも勢いよく(時には力なく?)飛び交う球の行方を追いかける、少し冷え始めた10月の昼下がりであった。