むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ5歳魚と27歳児の気ままな放浪記とか落書き 

【虎仁朗が行く】夢と芸術のプレイボール -2009.7.8 広島対阪神(ハードオフ新潟)【阪神タイガース】

 我が地元・新潟県プロ野球が、阪神タイガースがやってきた!

HARD OFF ECOスタジアム新潟 ※写真はイメージ(ってか今年のアルビBC戦)

 

 

 

「やきうの時間だああああああああああああああああああああああ」

 …………。

 あれ? 

 

 

1.野球場ができたぞ

 

 そうか、今は2009年7月。

 そら「ツイ廃やきう民うるさいよ」というツッコミは飛んでこないわけである。主の愚行に腹を立てては「捕食するぞ」などと言う凶暴な魚はおらず、そもそも「謎の魚」すら誕生していない*1

 シラユキコジローは「しらゆき」より「北越」の方が馴染みがあった*2あの日々。ツイ廃やきう民より、野球少年と呼んでもらった方が合っていた、あの日々。XどころかTwitterですらない、そもそもスマートフォンすら持っていない、あの日々。

 何より。

 阪神左翼手金本知憲だった、あの時代。

 ついでにいうとシラユキコジローも16番という投手ではなく「2番という左翼手」だった、あの時代。

 そんな、プロ野球阪神と都会は「テレビの中の存在」且つ「憧れの象徴」でしかなかった時代に、

新潟に新球場ができた ※イメージ(てか2022年)

新潟市内に新しい野球場を作ります」

「2009年の7月に杮落としとしてプロ野球開催します」

「対戦カードは広島対阪神です」

 ;、。「@ー0うえyw7t9f2-34い¥rf-kpqjぇえええ!?

 

だから僕たちみんな野球場へ行こう

 脳味噌の情報処理が追いつかない。だが、少年の心は高揚していたに違いあるまい。前年に「Vやねん!」*3を達成し、今と違って真面目に意気消沈していたところに、こんなニュースが飛び込んできたのだ。言葉を選ばずに申し訳ないが、スマートフォンすらなければそもそも義務教育中で金も時間も娯楽もない少年にとってみれば、地元・越後平野は現実と凡庸と「無」の象徴でしかなく、つまり田舎でしかなかったのである。

 新潟県プロ野球が開催された実例そのものはある*4が、それも何十年も前のこと。もっとも県民は一概に「野球よりサッカー」というわけではなく*5、それなりに野球好きはいて、当時のチームメイトはみんなこぞって巨人を応援していた。今考えると、あの日三塁側はおろか球場の6~7割を埋めて、この前の5月末でもやっぱり6割強を占めていた虎キチは、どこから現れたのだろう?それはそれとしても、新球場の完成は、少年だけでなく、県民の心―野球熱を昂らせたに違いない。

 

 そして何だかんだあって、

目の前にプロ野球選手がいる ※イメージ(てか今年のアルビBC戦)

 親「チケット取れたから行くぞ」

 僕「\パンッ/ヨッシャアアアアアアアアアアアアwwwwwwwwwwwwww(高い声で)キタァwwwwwwwwwwウワァヤッタアアアwwwwwwwwwwwwwwwww」

 てなわけで、実現してしまったのである。

 野球場で阪神戦を、金本を観ることが!

 

 

2.阪神が来たぞ

 

嗚呼、この鳥屋野潟(?)(微妙な立地)

 ちなみにエコスタもビックスワンもそうなのだが、

maps.app.goo.gl

 駅からは地味に距離がある。今振り返れば、一時囁かれていたプロ球団の本拠地新潟移転が実現しなかったのは、ひとえにアクセスの悪さだろう。確かにイベント開催時はシャトルバスを出しているし、そうでなくてもバスは割とある方だ。が、前提として公共交通の本数=利便性は、首都圏とは比べ物にならない。

 いくら中央区でも、鳥屋野潟付近という豊かな土地(訳;スーパー微妙な立地)にサッカースタジアムも野球場もある。ただでさえ圧倒的な車社会・新潟県ならそれはみんなマイカーで行くわけだが、駐車場はイベント開催時は有料、且つ激混み。というか、

(こんな人いっぱい、普段どこにいるの……?)

 群衆に圧倒される。きっと甲子園や東京ドームならもっと凄いのだ。あちらは逆にマイカーNGだったりするのだろうから違った様相になるのだろうが、どのみち試合開始1時間半前の球場周辺は、既にとんでもない賑わいである。これがNPB本拠地の各所では、日常的に繰り返されるのだ。

 

 エコスタは飲み物の持ち込みにも異様に厳しい。なんか水筒も駄目だったような記憶がある。水分補給用に詰めていったポカリスエットだかアクエリアスだかは、手荷物検査場にて紙カップに移し替えられた。ちなみに今2024年の横浜DeNA対巨人戦でもビン・カンは持ち込み不可、ペットボトルは蓋を取るように要求されるが、これは野球場ルールというよりも主催球団・組織による違いだと思われる。方やアルビBC戦ではオイシックス球団となった今でも、特に何にもない*6

 

1回表;夢、プレイボール(の前に応援歌が分からない現実)

 ということで色々あったが、

≪1回表、タイガースの攻撃は、一番・センター、平野≫

 18時ちょうど。

「プレイボール!!」

 懸念されていた雨は霧のような粒を落とす中、試合が始まった。

 

グラウンドを裂く一打の美学

 さてシラユキはどこで観ているのかというと、

虎キチで埋まるレフトスタンドだ ※イメージです(これは2019年の神宮)

 レフトスタンドである。

 今考えるとよくぞチケットが取れたものだが、それ以上に……。

「「そーれっ、かっ飛ばせー、かっ飛ばせー、ひーらーの!!」」

「「白球捉えて、突撃だ平野!期待応えるガッツで挑めー」」

(えっ、応援歌って歌詞あるんすか……????)

 

 歌詞が、分からなかったのだ。

 何これー!?!?である。ナニコレ珍百景である。僕は絶句した。てっきり応援歌って、あの応援団がトランペットだけ吹いて、「かっ飛ばせ」だけファンが自主的にコールしているものだと思っていた。何で応援団でもなんでもない両隣の一般市民がそんなにスラスラと歌えるのだ。これに関してはまあ貴重過ぎる絶句の機会と言えるだろうけれど、そこは「金本の凄いホームラン」とかで絶句したいのに、「平野恵一の応援歌が分からなさ過ぎて絶句」であるから、当時から一応「虎キチ」を名乗っていたものとしては非常に情けない。

 

 絶句していると、

≪カキーン!!≫

「抜けたー!!破ったーーーーーーーー!!!!」

 先頭の平野、二遊間を華麗に抜けるヒットで出塁。あの独特な打撃フォームもテレビで見た通りで、感動しっぱなしである。ちなみに本来の平野恵一二塁手で、打順も2番が多いのだが、シラユキにとっては「人生初の現地で見たヒット」となったあのセンター前ヒットと、試合中盤のセンターフライの捕球により、赤星憲広以上に「1番センター」として記憶されることになったのである。

 

 続く打者は2番セカンド・関本賢太郎

≪コツッ!!≫

「うまい!!」

 確か応援歌を歌う前に、一球でバント成功。当時はまだ初回無死一塁で初球送りバントが「脳死」ではなく「自己犠牲」として日本野球界では称賛されていた時代である。ちなみにプレイヤーの立場から言うと、一球でベンチに帰れるうえに英雄扱いされるので好きだ。ただし応援歌は歌われない。そんなことはどうでもいいが、とにかく関本はバントの名手、ここもテレビで見た通り一球で決めてきた。

 

 ここから中軸に回っていく。今日は3番に葛城育郎を入れてきた。

「「グラウンドを裂く一打の美学 葛城育郎 男意気」」

(わかんね~!!)

 やっぱり応援歌が全然分からない。ついでに言うと、葛城に関してはフルネームも何だっけな、だった。だがメロディーだけは分かる。テレビの前の常連の意地、応援バットだけは負けじと叩く。

≪カキーン!!≫

「抜けたー!!破ったーーーーーーーー!!!!」(2回目)

 葛城、鮮やかにレフト線へ流し打ち。応援歌通りの、ピカピカの人工芝を切り裂く一打。

 これで俊足の2塁走者・平野は一気にホームイン、タイガースが見事先制点をもぎ取った。

 

「歌っていいんだよ?」(煽り)

六甲颪に颯爽とー!!蒼天翔けるー日輪のー!!青春の覇気麗しくー!!輝く我が名ぞ阪神タイガース!!」

「オーオーオオー、はーんしーんタイガース、フレーフレーフレフレー!!バンザーイ!!」

 流石にこれだけは歌える。学校で習っていなくても、君が代より先に覚えたのだ。同時にこれが1回も歌えない展開だったらちょっと悲しかった。

 

 そして次の打者は、

≪4番レフト・金本≫

 一段と大きな拍手。からの、

「「ほりこめ、ほりこめ!!かーねもと!!」

「「鍛えたその身体、溢れる気迫、そーれ向こうへぶち込め!ライトスタンドへー」」

「(全然わかんないけど)かっ飛ばせー、かーねもと!!」

 絶句している暇なんぞない。二週目以降は意地で「ライトスタンドへ」だけは覚える。

 隣にいる母から、

「歌っていいんだよ?」

 とか言われるが、分からないものは歌えない。

 

1回裏;一瞬に撃破

 タイガースは昨日の敗戦から一夜明け、今日は是が非でも勝ちたい二戦目。幸先よく初回先制できた。このあとは、先発・杉山直久にバシッと締めて貰

 カキーン「赤松がセンター前ヒット!」

 コンッ「東出送りバント!」

 これまた、初回先頭打者の1番センターが安打出塁からの2番セカンドが脳死送りバントというテンプレートのような攻撃で、気が付けば同点のピンチ。ここで迎える打者は……、

≪4番ファースト・栗原≫

 当時の広島カープの主砲・栗原健太。言うまでもない、球界屈指のスラッガーが新潟に上陸だ。

 ライトスタンドも応援歌を奏でる。これまたテレビと同じような、聞き慣れたメロディーがエコスタに響く。

「「鍛え上げたパワーで 敵を一瞬に撃破 今日も明日も頼むぞ そう我らの栗原」」

≪カキーン!!≫

「えっ」

 乾いた音が響く。

 打球が粒から点に、点から丸になる。

 フォロースルーをとった栗原と、何だか目が合ったような?

 というか、打球に反応した左翼手金本知憲と、目が合ったような……?

「あっ……(絶句)」

 

 赤いライトスタンドからの歓声が起こる。

 正直なところ7割近くが黄色の球場の四方八方から、溜息が漏れる。

 カープの主砲・栗原健太の、ホームランがレフトスタンドに吸い込まれたのだ。

 11号2ランで、カープ逆転。本当に一瞬で撃破されてしまった。

 

2回表;美しい芸術

辛くないです、と思います

 なんか印象ではもっとカープが猛攻をしていた印象だが、結局2点で攻撃は終わり、2回表。なに、1点のビハインドである。まだ試合は分からない。それもそう、この回の先頭バッターは、

≪6番サード・新井。背番号25≫

(新井さん……!!!)

 25番という選手こと、新井貴浩である。

 やはり応援歌が始まる。

「「一振りに懸ける 男新井 熱きその思い スタンドへ」」

 ギリ新井だけは聞き取れるが、他はまるで知らない。一振りに懸けていたのか。あと正直「マジ打てよホンマに」だと思っていた。

「(わかんねえ……けど)かっ飛ばせー、あ・ら・い!!」

≪カキーン≫

「抜けたー!!破ったーーー!!!」(3回目)

 祈りは通じた。綺麗に二遊間を破るヒットで出塁。辛くないです。

 

 こうなれば、逆転したい。先頭打者の出塁は流れを呼び込む。続くバッターは、

≪7番ショート・鳥谷≫

 ショートの鳥谷である。

 

いや、辛いです

 当時のシラユキ少年にとって、まだ「背番号1を付けている、足が速くてチャンスメーカーを持っている左打ちの遊撃手」という印象しかなかった、あの鳥谷敬。ついでに、なぜかずっと「とりたにあつし」だと勘違いしていた、鳥谷敬(たかし)。そして……。

「「夢乗せて羽ばたけよ 鋭いスイング見せてくれ さあ君がヒーローだ 鳥谷敬」」

 やっぱり全然歌詞は分からない。だが、僕はまだそれ以上に知らなかった。

 この打席で起こること。

 そして彼が本当に虎キチ達の、そしてシラユキ少年にとってのヒーローになることを。

 

≪カーン≫

≪ボテ……≫

 

 何球目だったかを打った。

 木の音はする。だが、「乾いた音」ではなかった。

 硬いボールが人工芝を転がる音。失速せずに転がるから、捉えたと勘違いするけれど、実際には力のない打球をショート・梵英心が処理し、セカンド・東出にトス。ファーストの栗原に転送……。

 

「あっ……(絶句)」

ダブルプレー……(絶句)」

 6-4-3の併殺打である。

 

 ただのショートゴロではない。一塁ランナーの新井さんも、二塁できっちりフォースアウト。ツライディングは及ばなかった。今考えると「新井さんが二つのアウトに絡むこと」が条件なら、これは立派なツラゲである。何が辛くないですだよ。辛いです。新井さんが好きだから。

 しかし当時の心境はそうではなかった。

 隣の親父が「最悪~~~~~!!」などと言う中で、ベンチに戻っていく鳥谷敬や、さっきの打球に抱いた率直な感想は、

「美しい……」

 自称併殺打マニアこと、シラユキコジローが誕生した瞬間であった。

 

この頃から貴方がヒーローでした

 というのは嘘になり、併殺打を面白がり始めたのは言うまでもなくツライディングでアウトになった方の選手がきっかけなのだが、その度に思い起こされるのがこの「元祖」となったショートゴロゲッツー。只のゲッツーでツラゲではなかったはずなのに、である。

 少年野球なら、そもそも滅多なことではこういう内野ゴロの併殺打が成立しない。内野手の肩の強さや、塁間距離の違い、打球速度や転がり具合などにも影響されるのだが、一番は簡単にアウトを2つ取ってしまう内野手の技だろう。確かに東出・梵の二遊間は美しかった。

 しかし、それ以上に、あの足を大きく上げるフォームからの、シャープなスイングから繰り出される、打球。スイングからインパクト、走り出して、帰っていくまでの、いっさいに無駄がない、流れるような動作。元々のフォルムもあるのだろうが、こんなに「只の内野ゴロ」が絵になる選手がいるのか……??

美しい選手だった ※イメージ(これは2019年9月)

「美しい……(2回目)」

 今になって思えば、全てが美しくて絵になる野球選手だった。ちなみに凡退した記憶が一番濃いのがとても申し訳ないのだが、2017年~2019年では僕の観戦した試合でよく安打や出塁を果たしている。特に2019年9月の東京ドームで観た、菅野から打った代打2点タイムリーは忘れられない。

 

3回以降;どないなっとんねん

 と、二回表の2死までで5800字も使ってしまったのだが、以降は

「もう一本ホームラン打たれたwwwwwwwwwwww」

「謎にリリーフでノウミサン出てきた」

「やっぱりルイスすげえ」

 非常にサクサクと進んでいった。

 

アイライクノウミサン(何故か敗戦処理で登場)

 阪神の先発・杉山直久は広島・マクレーンにも被弾し3失点。とはいえ、記憶ではもっと打たれているような気がするし、記録でも7安打されたことになっているから、つまり「よくぞ本塁打2本の失点に留めた」と言うべきだろうか。

 その後を受けた2番手・筒井和也が5回裏を三人で切ると、6回からは能見篤史がマウンドへ上がる。当時は既に僕の中で先発のイメージが定着していたから、何で出てきたのか不思議でしょうがない。

 そのノウミサンは、140キロ台の直球で広島打線を封じ込めていく。エコスタのスピードガンが辛口なんじゃないかと思うのは後の話だけど、杉山や筒井の球速が軒並み130前後だったのを見ると、

「貫禄……」

 というが、能見がローテに定着し始めたのは実際この辺りからだった気がする。既に貫禄投球だったのである。球速表示はともかく、ボールの勢いが全然違ったのだ。ストライクをポンポンと取っていき、打たれる気配がない、と言えた。今なら「うるさい、球速が全てちゃうわ」と反論の一つでもかましたいところだが、それ以上に当時の能見がまとっていたのは「オーラ」とか「雰囲気」とか、そういう類のものだったのではないだろうか。

 それは能見以上に、

「やっぱりルイスすげえ」(二回目)

 広島先発のコルビー・ルイスに言えたことなのだが。

 

 ルイスから初回に幸先よく先制した阪神打線は、結局2回表の新井以降無安打に抑えられる。何ならみんな、初球を打って帰っていく。記憶じゃあ、

「3球で3アウトwwwwwwwwww」

 みたいな早さで終わった気もしたが、真偽は不明である。隣で観る母親(普段は巨人ファン)が呆れてて草であった。ホンマ何がVやねん。前年度は一時「強すぎてたまりません」などと評されていたチームとは大違いである。考えてみれば、主に2番を打っていた平野恵一は打順・守備位置ともに変わり、赤星憲広は故障がち。正捕手だった矢野輝弘も、狩野恵輔清水誉に出番を譲るようになっていた。

 

ホンマに負けてどないすんねん

 こんな展開でも、

「赤松御粗末~!!」*7

「川藤出せー!!!!」*8

「wwwwwwwwwwwww」

 レフトスタンドは元気である。イメージ通りの光景だった。いや、もっと柄の悪い光景すら想像したのだが……。

 

 ほんで結局、

「「この一打に懸けろ 気合で振り抜けよ 誰もお前を止められぬ 桧山よ突っ走れ」」

「(全然わかんないし何そのダンスって感じだけど~)かっ飛ばせー、ひ・や・ま!!」

≪カキーン≫

「ああ~(クソデカ溜息)」

 9回2アウト、代打の切り札・桧山進次郎が凡退。

 コルビー・ルイスに1失点完投勝利で5勝目を献上、阪神は1対3で敗れた。永川勝浩どこ行った。

 

npb.jp

「試合終わったの8時20分wwwwwwwww」

 本当に一瞬で撃破されてしまった。プロ野球の試合って大体9時くらいまでかかるのに。

 勝った広島の主砲・栗原のコメントを聞いていくか、と思っていたが、なんとヒーローインタビューは実施されず。早々に球場は御開きムードとなり、ファンは帰路に就いた。

 

 それでもシラユキ少年の脳裏には、「これぞプロ!」の凄いプレー、「これぞプロ野球!」の熱い雰囲気が焼き付いた。当時、まだ将来の夢を問われれば「プロ野球選手です」と回答していた頃である。そういう憧れは、フィールドを駆けるスーパースターのプレーを目の当たりにして、もっと熱を帯びるのだった。

 栗原健太の豪快な、レフトへの逆転2ランホームラン。

 コルビー・ルイスの、相手打線を巧みにかわし、リズムを与えるピッチング。

 阪神ファンのユーモアのある野次。

 そして何より、鳥谷敬が見せてくれた、最高の芸術ー。

 

 ……と言いたいが、野球少年としての純粋な憧れより勝ったのは、3回以降0安打に抑えられて普通に負けた贔屓球団に対する、

「どないなっとんねん!!」

 という思いであった。この年の阪神は最終的に何位だったのか*9忘れてしまったが、久しぶりにBクラスに転落。ぶっちぎりで連覇を飾った宿敵・巨人に大きく差を付けられて、屈辱以外の何物でもない感想が残る一年だった。今になって思えば、いくら劇場だ併殺打だと言ったところで、負ければちゃんと悔しいのである。そして、

「二度と応援せんわこんな〇ソ球団」

「で、明日の試合何時から?」

 とか言うのだ。やっぱりおれも立派な虎キチである。

 

 その傍ら、純粋無垢(?)な野球少年としてのシラユキはすっかり相手主砲・栗原に魅せられたのか、「凄い打撃から学んだ」と言ってフォームを改造。

 案の定、打率は急降下。春先だけ絶好調だったのが大失速するのはまさにタイガースのようだなあ、と、何故か嬉しそうである。以降、復調することはないまま、体重だけが無駄に増えてシーズンを終えるのだった。

 

 

3.あとがきのようなもの

 

  などとしみじみ語っている十数年後の未来だが、当時の僕に

「今の阪神監督は岡田彰布です」

 と言ったらなんて反応するんだろうな。

 ついでに、

「今おまえ野球に現役復帰して、ピッチャーやってるよ」

 って言ってあげたいけど、こっちは信用されないだろうな。

 

 全然関係ないけど授業で書いた自分史のデータ久しぶりに引っ張り出したくなった。機会があったら編集して載せてみるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:ちなみにおひめなどの「かえる三兄弟」は既に共に暮らしていたが、今ほど凶暴ではなかった。

*2:なお乗車機会。

*3:Vやねん! - 新・なんJ用語集 Wiki* (wikiwiki.jp)

*4:イチローオリックス時代の1993年6月12日、近鉄戦で野茂英雄から右中間スタンドへプロ初本塁打を放った。長岡市悠久山野球場|聖地・名所150選|野球伝来150年特設サイト (npb.jp)

*5:サッカーは「新潟アルビレックス」が存在。本拠地のビックスワンスタジアムはエコスタのお隣である。

*6:何なら手荷物検査すらない。

*7:カープ中堅手である元阪神赤松真人に対する野次。赤松は移籍後にレギュラーに定着し、この日は古巣相手に4安打の「恩返し」の活躍であった。ちなみに移籍理由は他でもない、新井貴浩人的補償野次りたいのはむしろカープファンである。

*8:1985年の日本一メンバーでもある阪神OB・川藤幸三の登場を期待したもの。当時の川藤は代打要員だったが、出したら出したで「ホンマに出してどないすんねん」と言われるのだろうか?

*9:4位。2009年度 セントラル・リーグ 公式戦成績 | NPB.jp 日本野球機構