むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

労働は不条理に満ちている

 再び無職になりました。よってお題に応募します。

 

0.序

 

 どうか悲しそうな面持ちをせず、むしろ盛大に祝っていただきたい。

 無事終わってよかった。どう考えても「夏限定の短期バイト」としては長すぎる雇用だったが、それなりに満喫しつつお金を稼ぐことができた。退職記念の写真にはプリクラ並みの加工がされて、何度見返しても「普通に草」である*1

 さて問題がある。収入がゼロに、ということではない。

 大量に借りていた制服を返却してきた。制服、といっても職業柄ジャージで、夏用のTシャツ&短パンと冬用の長袖が、必要に応じて支給される*2。冬場に使用する上下の長袖は、濃紺色に白のラインがある程度のデザインで「大して目立たない」という理由から気に入っていた*3。適度に暖かく、肌に違和感を与えることもない。職場での作業以外にも、自身の運動、普段着、部屋着……汎用性は非常に高い。サイズにもゆとりがあり、着心地は抜群だ。

 1年をほぼジャージだけで生きているジャージ厨(?)の欲望も、あの制服は十分満たしてくれた。サンキューベストオブジャージ。

 つまりこうである。

「服が足りない!!!!!!」

 

 ところで「労働」という単語で思い出すのは前職のことではない。何なら学生時代のアルバイトでもない。お金を稼ぐ習慣すら無かった当時まで、記憶は遡る。

 

 

 

1.日陰の落ち零れも委員長になりたい!~無謀の「高校デビュー」~

 

 それは高校時代である。

 入学後から1年半以上は、我ながら「イキっていた」というに相応しい期間であった。悪い意味での高校デビューである。中学では最終盤の不登校を経験するなど典型的日陰の落ちこぼれだったのが、環境が変わった瞬間に、

「クラス委員長やります」

 なので、そう評せざるを得ない。くじを引いたとか、押し付けられたのであれば理解できるが、こいつはあろうことか立候補したのである*4。倍率ゼロのところに挙がった手は無事に採用され、まるで貫禄も風格もない委員長がここに誕生することとなった。

 これでは飽き足らなかった僕は、体育祭の選手決めではリレーのメンバーに立候補*5、その次の週には生徒会に入った。やはり高校デビュー。小・中で築き上げられたコミュニティが一新されて、新しい関係性では中心になっていく!とか、できなかったことをやる!という、三割決意、七割欲望である。部活動選択の用紙に、

【生 徒 会 執 行 部】

 と記入した時の快感・達成感は忘れられない。

 

2.下請け業者 ~イメージや募集内容と違うこともあるよね(半ギレ)~

 

 話を戻そう。

 執行部とかわざわざ余計な文字をつけなくても希望すれば入れる生徒会に念願かなって入った僕は、体育祭、オープンキャンパス、年末の献血イベントボランティア、卒業式や入学式……という学校及び関連行事のたびに、イメージとは真逆の下請け業者的雑務をひたすらこなしていった。感想としては、

「思ってるんと違う」

 案の定である。

 流石に他生徒に正義の鉄槌を下すような真似はしないだろう、とはわかっていた。しかし、まともに壇上で存在感を放っているのは生徒会長と、文化祭を取り仕切る文化部長だけ。他の組閣としては、何もPRさせてもらえない広報部長、何も風紀を取り締まらせてもらえない風紀部長、そして何も各部の予算を知らない会計と経理部長(僕)。他にもいくつか部署があった気はするが、どうせ「おかざり」なので誰も自身の役職を覚えていない、という有様であった。

 生徒総会では予算報告などを壇上で読み上げるわけで、僕がその役を担うことになった。開会の数分前に教師に呼び止められ、何か紙を手渡される。

「はい原稿。これそのまま読んでくれたらいいから」

 只のカンペーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!

 なんということだ。お飾り経理部長の手元には、本来「○○円」と示されるべき数字やグラフは一切なかったのである。困惑しながらも僕は、只「配布した用紙の通りです。承認お願いします」を原稿通りに読み上げ、そそくさと降壇した。異議申し立てが来なくてよかったな、と心底ほっとしたものだ*6

 

 とにかく「奉仕部」か何かへの改名を幾度願ったかわからない。しかし生徒会としてほぼ唯一「らしい」活動ができたことがあった。

 それが新聞である。

 

3.編集長剥奪 ~窓際部署への異動ってやつ?あるよね(ガチギレ)~

 

 ある日の放課後、同じ生徒会の同級生が声をかけてくる。

「今から新聞の活動行くけど来る?」

「行く」

 即答した。

 新聞、とは不定期で発行する生徒会新聞のことである。公の組閣ではなく、生徒会内の有志を募ってこれは編集・発行がなされていた。存在は知っていて、どうにか関われないかと隙を伺っていた矢先である。ちなみに、当時から文章制作や広報などの作業に興味はあった。故に「イキり」目的のみでないことは断じて言っておく。

 程なくして編集メンバーに迎えられ、完全下校の18時半まで居残る日々も多くなった。時には教師や他生徒に原稿やインタビューの依頼をしたり、文化祭パンフレット制作時には製本業者と打ち合わせやスケジュールを管理したり……。ハードではあったが、これぞ生徒会でやりたかった仕事だよなあ、と感じる充実した日々であった。

 さて文化祭も終わり、パンフレットも無事発行し、先輩が引退した。いよいよ我々の代である。

 前述の新聞係は同級生が僕ともう一人(Sさんとしよう)。さて問題は、

「編集長どっちにする?」

「私嫌だ。コジローお前やって」

「よっしゃまかせろ」

 もっと泥沼の争いになるかと思った。

 かくして【生徒会新聞編集長】という、これ以上ない肩書を手に入れた僕は、この代最初の発行に向けて意気揚々と制作に取り組んでいった。発行予定は10月頭。同時期に大会を控えていた運動部もあるから、題は「スポーツの秋」で注目部活に取材するのがいいだろう。ついでに何か堅苦しいので新聞のタイトルを変えよう。出来の良い後輩にも恵まれて、これまた楽しく製作、無事発刊を迎えたー。

 

 数日後、争いを譲ってくれたSさんに、再び呼び止められた。

「なんか先輩に言われて……とりあえず次の刊、私が編集長やるね」

 !?

 Sさん自身の困惑と「次の刊」というフレーズにより、争いは再び数秒で決着した。しかしあれ以降お飾りの「副編集長」に成り下がってから、何度か活動時に聞いてみたことがある。

「僕、なんで降格になったんだ?」

「知らない~、先輩も理由教えてくれなくて~」

 !!!!!!!?????????!!!!!!!!!!!???????????!!!!?????!?

 

 この時にようやく、ハッキリと思った。

 労働とはあらゆる理不尽や不条理に満ちていること。労働条件や内容は平気で嘘をつくこと。そして身の丈に合わない仕事や組織には初めから応募するべきではないこと。以降の僕はクラス内では当然委員長からは辞退、生徒会でも言われた雑務を無難にこなし、極力目立たず波風を立てず、陰キャとして生き延びることを決意するのだった。

 

4.後書

 

 ロクでもない思い出をお題にかこつけて連ねてしまったことをどうかお許しいただきたい。

 あの時は無条件の降格と、降格以後全く仕事も振られることのない待遇に憤っていたものである。しかし、もし編集長の交代を命じた「先輩」*7がこれを見てくださっていたら、当時のあなたの目は正しかったですよ、とは伝えたい。

 兎角社会は不条理だらけである。どういう働き方をしても解消しきることはできないだろう。少しでも皆さんが不条理をネタにできるような暮らしを実現できることを切に願う。

 

*1:曰く僕の勤務中の口癖を書いたとのことで、他は「シンプルに嫌いじゃない」「マジっすか!」「おわりました~」。只の業務連絡すら混じっている気がする。

*2:ただし冬はジャージなら何でもいいらしい。

*3:とはいえ「御洒落」とも言えず、一部のスタッフからは「ダサい」と不評である。

*4:案の定壊滅的な人望の無さと微妙な成績で、程なくネタキャラに落ち着いた。楽しくかけがえのない時間は送ったが、やはり級長である必要はなかっただろう……。

*5:その結果チームは無事に僕の順番で逆転負け、どころか最下位となった。

*6:「噛みすぎだろう」というツッコミは来た。

*7:先輩といっても誰なのか、Sさんからは知らされなかった。