むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

【マロが行く】ただ信ぜよ、E653 -2024.1.23 特急しらゆき

 今日は特急しらゆきに乗ることにした。

崇め拝み奉る

 

 

 

 

0.序

 

 二連休。

 文字にしても、音にしても美しい語句である。

 

 こういうことを言っていると「おまえさんの職場はかくも長時間労働・休みのないブラックな環境なのか」とたまに訊かれるのだが、それは嘘である。年間休日は数えていないが、完全週休二日が守られている。現職に就いて1年半になるが、残業はどう考えても30分未満。帰宅が日付を跨いだりするのは出勤時間が遅いから&それでいてまっすぐ帰らないからだし、連休がないのは連勤が(少)ないからだ。何と1月、5連勤が一度もなかったのである。

 ……ということで、この月・火と発生した連休を謳歌することとした。唯一決めていることは、

「電車に乗る」

 これだけである。

 

 だったのだが、

www.jiji.com「うわ、何をするくぁwせdrftgyふじこlp;@:!」

 〇んじまったじゃねーか△△野郎。

もうすぐなくなるアレ(新潟駅万代口のバスターミナル)

「こっちも空腹で〇んじまったぞこの無計画ク〇引きこもり寝坊野郎」

 はい。

 

 ......なんか多くない??

 

 

1.新津(13:19発)→上越妙高(15:06着)/特急しらゆき6号

 

 ということで、今日も元気に空腹で御立腹な相棒・マスコロを引き連れて、昼下がりの新津駅から旅を始めよう。この前に「とりあえず新潟駅行けばなんかあるやろ」とか思って意気揚々と下りのE129系快速に乗りこみ、バスターミナルの写真だけ撮って引き返し、12時半くらいに戻ってきたという背景があったりする。それもまた、人生である。

 ちなみに本日の起床は10時前後。乗り鉄としては言うまでもなく失格だが、僕にしてはだいぶ無理矢理起きたほうだ。一見、これは日本のことわざが敗北した瞬間なように思える。だが、駅メモの駅数と、もうすぐ現在の姿ではなくなる新潟駅万代口のバスターミナルを撮影したこと、そして新幹線改札口にカメラを向けるテレビ局の真後ろを通り抜けたこと、この三つは得をしたと言える。……目の前を通ればテレビに抜かれたかもしれないのに惜しいことをしたが、今日の僕の立場ではあまり影響がない。ゼロ、といってもいいのだ。

 

 新幹線には乗れない。

 だが僕らには、

これがいる -新津駅

 崇め奉るべき唯一神がいる。

 もう、何も理由は要らない。これがツーデーパス等フリー切符の類の期間外で料金が割増しになろうが知ったことではない。ただこの分厚い薄灰色の空から僅かに届く光に照らされ、神々しく輝くアイボリーホワイトと、純粋な赤と青から覗くヘッドライトの光線が近づいて来るのが見えたとき。だいぶ年季の入った音を立ててドアが開いたとき。手元の青い切符に書かれた〈新津→上越妙高〉の文字と、車体側面の電光掲示板の〈しらゆき 上越妙高〉の表示。何をしに行くのか?という目的も、理由も必要はない。僕らはこれを信仰と呼び、あるいは休日と呼び、あるいは趣味と呼び、あるいは旅と呼ぶのだ。

 もう何も理由は要らない。

「高速信仰!!」

「寒い」

 はい。

 

 とりあえずお腹が空いたとうるさいので、

E653の車内だからこそ美味い

 おやつを与える。酒もいいが、コーヒーとパンもいい。居酒屋もいいが、喫茶店も素敵である。ちなみにブラックは飲めない。こういうときはお子様になるのだ。

 

 喫茶店しらゆき6号は進路を南へと進む。それにしても、自由席3号車は(当列車比で)結構混んでいる。新幹線から流れてきたのだろう。

信越本線を南へ

 新津より南へ行くことだけは確定だった。予報では新潟基準でもあまりよくないらしく、明日からはもっと酷いのだという。

 

 どうせなら、とこの広すぎる鉛色からの脱出を試みたが、あんなことになってしまったのだから仕方がない。我牢獄*1、ってなもんである。……卒論で取り上げたくせに、作品内のそれがどんな様相を呈していたか、それを自分の卒論でどう取り上げどう結論したのか忘れてしまった。よく卒業できたな、と改めて思う。それが4年も前?おお、大学8年生の終焉!卒業できていなかったとしてもどちらにしろ除籍になる。

 まあ、あの牢獄の囚人は、こんな風に脱出を試みることも、牢獄の中で遊ぶこともなかったのだ。執筆当初の透谷の心情なんぞ本人に聞いてもらうほかはないが、少なくとも稚魚に怒られながらヘラヘラと笑い、ひたちチャイムや電子4打音にキャッキャとはしゃいでいる僕とは、違う顔をしていると思う。

 ところで透谷は25歳で自らこの世を去ったが、『我牢獄』はその2年前に雑誌に初出している=23歳にしてあの実に精神年齢の高そうな文章を世へ送り出したわけである。やっぱり頭と心の出来が、僕と透谷では全然違ったらしい。対照的に26歳児という自己紹介の似合う僕の幼さが心配になるが、まあ、改善しないだろう!

長閑(?)な田園を走る

 ……なんてことを考えていたら結構進んできた。

 新津の時点では「南に真っ黒い雲があるなあ」なんて見ていたが、三条を過ぎたあたりで窓枠を叩く粒は強さを増していき、

長閑(?)な田園風景part2 -確か北条駅付近

 安田~北条間では真っ白になった。真っ黒い雲に突っ込んでいったら真っ白になったので、なんとも面白い。心の綺麗な人には、長閑な里山の田園風景が広がっているだろう。僕には何も見えない。

 

 柏崎を出る。ここからは里山を離れ、海岸線をゆく。

冬の日本海 -青海川駅付近

 これぞ日本海である。冬のそれは、荒れ狂い、ここへは近づいてはならぬ、と訴えてくる。吹き荒れる暴風とともに、民を長い冬へと閉じ込める、その象徴。だが、列車は何事もなかったかのように、青海川笠島、米山と、海岸線を通過していく。

 

 直江津を過ぎたあたりで、列車は再び日の光に照らされた。僕らは乗っているから分からないが、おそらくはスカートに雪をたくわえて、さぞ良い感じに車体を光らせているだろう。

 ということで、

上越妙高に到着

 直前で急停車があったものの、2~3分延ほどで列車は終点・上越妙高に到着。

 

 ここは新潟県。つまり2時間走っても、我が牢獄たる越後国から脱出はできなかったわけだ。しかし相棒を抱きかかえて車内をあとにした囚人は、実に満足げな顔をしている。

 我先にと降りて行った他の乗客が、これより先更に険しい道へと分け入っていくのか、はたまた別方面なので動いていると安堵するか、はたまたここが最初から目的地だったのかはわからない。彼らがどんな顔をしていたのかも、呑気に記念撮影に興じていたキモオタには、見えない。どちらにしても、同じように塀の中―片道約150kmの道のりを往復しては楽しんでいる奇妙な囚人は、見た感じ僕だけだった。

回送として直江津へ折り返すようだ

 それでもE653はやはり神で、しらゆきは幸福で、故に推し、崇め、讃えるべきである。故に、筆名で白い幸という字を当てたのだ*2。毎日走っている定期列車に向かって申し訳ないが、神を信じては貢ぎ、その恩恵を享受する。これが休日で、これが幸福なのだ。

 

 

2.上越妙高駅

 

 前述したように、乗客の多くはここ・上越妙高駅で新幹線に乗り換えるらしい。「しらゆき」は先代の「北越」の代替である(と言われている)という特性上、北陸方面への接続には利便性が図られているようだ。一方で反対の長野方面への乗り換えはさほど考慮されていないのか、わりと待ち時間が発生するのだ、と指摘するyoutube動画もある。

 僕も過去の訪問ではすべて、当駅より新幹線か在来線に乗り換えている。待ち時間に散策することはあれど、目的地としたことはなかった。本当は今回もこれより先、北新井で下車し、おやつを食べて折り返そうかと思っていたのだが、気になっていた店が定休日だったため、列車の終着である当駅をそのまま行先としたのだ。

 

 ということで遊ぶ。

 どこで何して、といえば、

こういうことである

 新幹線ホームである。

 ……勿論だが、ここで走り回ったり、ボールを投げたりするわけではない。この真ん中で深く息を吸い込んで、吐き出してみれば、もう楽しい。冬は一層寒く、夏は一層暑く、人気のないホームにはせいぜい高圧電流の走る音と自動放送が聞こえてくるだけである。もう一度深呼吸をしてみても、無味無臭、ただ冷たいだけの空気が鼻をつくわけだが、やはり楽しい。

 

 ところで冒頭で述べたように、東の新幹線は事故により、ほぼ動いていない。にも関わらず、当駅には新幹線が入線してくる。長野・高崎・東京方面の11・12番ホームには、次の列車を待つ案内表示がされていた。

上りの「はくたか」長野行き 滅多に見られない行先だ

 上越新幹線は全区間が運休だったのに対し、北陸新幹線は長野ー金沢間のみ通常運転をしていた。はくたか568号も、行先を長野とした以外は定刻通りにやってくる。東京発の下り「あさま」ならば終着は長野だが、北陸からやってくる「はくたか」の行先としては通常では見られない。

 

 4分程度停車して、はくたか568号は出発していった。元々こういうダイヤだったのかは分からない。通過待ちでもするのかと期待したが、今日は「かがやき」の通過にはお目にかかれなかった。新幹線や特急列車の高速通過からしか得られない栄養素があるのだが、今日は摂取できなかった。

 まあ、

下りのE7系はくたか」 これも信仰です

 これも信仰である。

 E7系はかっこいい。新幹線なのだから、それはそうである。

 

 一通り新幹線を見物した。まだ帰りの電車まで一時間程度ある。

 そういえば、今日はなんとなくケーキが食べたいなと思っていた。というわけで、

新幹線改札真向かいの「わきのだ亭」にて ケーキセット(¥700)

 食べた。かなりうまかった。

 カフェでコーヒーとケーキだなんて、何とも優雅過ぎて貴族にでもなった気分である。ちなみにブラックでは飲めない。

 かなり意図してゆっくり食べたつもりだった。しかしお腹はそんなに膨れず、時間もあまり潰せなかった。帰りの電車でのおつまみに悩む時間には十分すぎる。

 

 というわけで周辺を歩いてみた。

 西口には大手のホテルが2つ睨みあっていて、日帰り温泉と、御土産屋とコメダ大戸屋があって、遺跡があって、あとはぱっと見コンテナみたいな建物に飲食店が軒を連ねるエリア、そして住宅地。しかし反対側の西口も含め、最も存在を主張しているのはレンタカー屋である気がする。スペースをとっているわけではないのに、駅に戻ってみればどちらの正面から見ても、レンタカーどうすか!とアピールしている。トヨタオリックスニッポンレンタカー……。

 ちなみにコンビニやスーパーらしきものは見当たらない。後々地図を見返すとあるにはあるのだが、少なくとも西口周辺をなんとなく歩いていて、歩きながら入ってくる視界には、なかった。街並みそのものは新幹線開業後に再整備したとは思われるが、その時に誘致をしなかったのか、あるいは誰も出店しなかったのか。買い物するにいちいち踏切を跨ぐとなると面倒だなあ、なんて想像するのは、余計ななんとやら、であろう。

 

 

3.上越妙高(17:23発)→新津(19:25着)/特急しらゆき7号

 

 駅に戻って来た。普通にお腹が空いた。先ほどおやつにケーキを食べたばかりだというのに、燃費が悪い。リッター1km以下である。

 

 ホームに下りると列車が止まっている。

しらゆき7号に乗車

 割と買い物で悩んでいたらちょうどいい時間になっていた。暮れる背景もまた、この車体の白を引き立ててくれる。

 行きは喫茶店だったので、帰りは居酒屋を開こうと思った。何なら空腹だったし、駅弁でも買おうと思った。ところが手に入らなかったので、軽食を探す。どうせなら、酒に合うものをつまみたい。

 

 というわけで、おにぎり2個とおつまみ塩タンをビールで頂く。

マスコロ「えっこれだけ???」僕「あとでラーメンあげるから」

 もう、うまい。

 

 列車の旅は至福であり、この唯一神たるE653で味わうからこそ云々かんぬん……

新津に到着 夜闇に雪が舞う

「御託は良いからもう一本」

 すいません一本しか買いませんでした。

 

 案の定噛みつかれた。

 水は買っておいたし、水筒にも残っていたのでそれは困らなかったのだが、何だかんだ新津までは2時間ある。途中の柏崎~長岡くらいまでは爆睡していたが、それでも350ml一缶では少々物足りなかった。酔いすぎるかな、と思って1缶だけにしたけれど、酒と果汁と食料がもう少し欲しいかもしれない

 何しろ、全区間で車内販売がないのだ。途中ホームに降りて買えるような暇もないので、予め買っておく必要はある。今後利用するよ、って人には参考になれば幸いである。

 ちなみに以前は「列車旅でビール以外も楽しんでみたい」とか言った気もするが、普通にビールが美味いのであまり追求しないことにする。それよりも、おつまみである。何かおすすめあったら紹介してください。

 

〆はいつもの一杯で  -「だるまや」で味玉だるまラーメン(¥1000)

 まあ、おかげで新津到着後に死ぬほどお腹が空いたので、「〆」に食べたいつものだるまや(ラーメン)が一層美味しく感じたのであった。

 

 

4.おまけ

 

行程

 

料金

  • 新津⇄上越妙高 乗車券+特急自由席(往復) 9,580円
  • カフェ 700円
  • 上越妙高駅 入場券 150円
  • その他食事代 幾許か円

 

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*1:北村透谷/初出;「女學雜誌 三二〇號」女學雜誌社/1892年6月4日 北村透谷 我牢獄 (aozora.gr.jp)

*2:「などと渾身のドヤ顔で言っております同志マスコロ」「なるほど、捕食だ」