起きたら14時半だった。
という感じの公休日を消化した。今年だけでたぶん4回目くらいだろう。
勤務の日はむしろ「これから一日頑張りましょう」的な時間なのに、休日では「もう一日終わっちまった」的な時間になる。つまりどちらでも半端ない絶望感が漂う、そんな昼下がりである。昼も下がっていて、カフェのランチ営業も終わっていて、だけど今から僕が食べるのは果たして何飯になるのだろうか?そんな時刻である。
インスタ等で「10時間睡眠を続けるとどうなるか?」的な豆知識投稿を見る。確か寿命が縮まるよとか、幸福度が下がるよとか書いてあったけれど、総じて回答としては「出来たら苦労しないよ」に尽きる。アラームで無理矢理起きれば解決するのか?鳴らしても物理的に起きないか、今日は休みだったじゃないかとまた寝るか、どちらかだ。カーテンを全開にして、日の光で起きられないものか思案してみたが、それも無理だった。
どのみち今日は天候が悪すぎる。空を覆う分厚い鉛色と、住宅の隙間を吹き抜ける轟音、カーポートを乱暴に叩く轟音、全てが此の地の冬らしい。今日は無理に外へ出るべきではなかったのだ。ううむ、外へ出たい。
そういえば手帳を買ってみた。
自チームのカラーで大変すこである。正確には少し違うのだが、細かいことを気にしてはいけない。
高2~一昨年まで、この年間スケジュール帳的なものは毎年買っていた。高校時代に担任からスケジュール管理の癖を付けろと言われていて、以降も予定を書き入れる楽しみのために活用していた……のだが、昨(2023)年は買わなかった。どうせ予定は未定で、予定通りになんぞ何も事が進まなくて、2022年のものは真っ白だったからである。
とはいえ、次の休みに何をして遊ぶかをこれを眺めて考える楽しみが欲しいので、買った。どうせ緻密なスケジュールのもとで動いてなんぞいないのだし、壁掛けカレンダーもあるし、何よりスマホで管理すればよいではないか、と言われそうだが、知らない。虚無い余暇の活用としては、あまりにちょうどよいだろう。
先の日曜日、早番だったが、前の晩に例の如く変な時間の気絶からの覚醒をしてしまったので、いっそ眠らずに行こうと思った。凍った道を、ガタガタ、と振動しながら歩くように走る通勤路にあったのは、スリルでも浪漫でもなく単なる虚無と疲労である。冬きらい。雪きらい。だが、
夜と朝の間の、光、街灯、静寂、始発?電車。全てエモの塊だったので良かった。
起きて迎えたわけではなく、何なら今から眠れるとすら思えるような眼を、無理矢理アドレナリンを分泌し、カフェインを摂取し、冷たい空気に当てて叩き起こす。起きて迎えたわけではなく、普通に眠いのだが、あの東の空から夜は明けていき、一日は始まる。
朝は嫌いだ。眠いし、通勤ラッシュは嫌だし、ここから始まるのは長い長い虚無でしかないし、時には絶望する瞬間である。だが、こうして東の地平線(に頓挫する雲の向こう)から光が昇るのを眺めていると、不思議とこう思うのである。
「希望の朝だ」
喜びに大空を仰ぎ、この澄んだ空気を呑み込みたい瞬間である。だが寒すぎるので、震えて縮こまりながら車に戻り、暖房の効いたマックで朝飯を食べた。
大学卒業間際~直後、よく赤坂駅前のマックに通っていたことを思い出す。たぶんナントカマフィンとアップルパイを頂くのはその時以来である。
下宿から見てマックは東側だったから、5時半~6時くらいに明ける空を見上げ、冷たい空気を感じながら歩いていくと、やはり今日は少しでも良い日になるような気がした。で、食い終わってやっぱり眠くなって、昼が過ぎて絶望するのだが、それでも惨憺たる日々の中で、あの散歩だけは希望だったのかと、今では思う。
マックは美味い。そして朝の風景は美しい。
でも朝はきらいだし、冬はきらいである。
この時間帯が趣があるのだという、清少納言の主張はよくわかる。
でも努めても勉めても勤めても、全て僕にとってはわろしである。
そして仕事は眠すぎた。何なら事務所で落ちかけた。
「いみじくわろし」
そんな平日であり、休日であった。