白鳥に会ってきた。
0.序
時は少し戻り、大晦日。
今年は温泉で過ごすという家族の予定になっていた。湯を浴び酒を浴び、蟹と寿司を食べ、荒れる海を穏やかに眺めて年を越すのだと、意気揚々と部屋を出ようとしたときである。
「どこ行くの?」
呼び止める声。いや、「引き止める」でもある。しかし言っていなかっただろうか。ちょうど自分の支度を終え、同じように準備万端だった兄弟たちを抱えた、そのとき発された声の主にも、僕は同じように「瀬波だよ」と告げて連れて行こうとしていたはずだった。
「ほら、行こう。おひめもお酒飲みたいでしょ」
極度のインドア派とはいえ、兄弟随一の酒好きである妹。内容を知れば、流石に乗るだろう―そう思って、窓の外を見せたのが……よくなかった。
「こんな寒いのに行かなくても……」
うん。見るからに冬の新潟という灰色が、今日も空を覆っている。見た感じ雪は舞っていて、電線が揺れている。行楽に相応しい天候、とはまず言えない。気持ちはわかるのだが……。
「美味しそうなお肉とお魚がここにいるじゃない💢💢💢💢💢💢!!!!!!」
「「「「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」」」」
……ということでみんな食べられてしまった。ちなみに食ってしまった張本人は外出拒否、
誰一匹として蟹は食えず、酒も呑めなかった。お姫様だけが大願を果たし、蛙の本分たる営み―冬の床に就いたのである。
本分、というならせめて食べるのは昆虫にしていただきたかったところだが、見境なく同じ部屋に暮らすものや、主にすら噛みついてしまうのはいい加減なんとかしてほしい。それはまあ、被害者のうちの一匹にも言えることなのだが、ともあれ、平和が大事である。
1.その「白」は美味しいか
ということで。
「自分だけ味わう蟹と酒は美味しかった??????????」
はいすみませんでした。
しれっと復活した相棒。ぐったりとした提燈が片目を隠すのは、不機嫌の証だ。その陰から覗くものは昨年以上に力強く見開き、その口は全てを呑み込まんとする。
説明はさておき、つべこべ言わずドライブに出かけよう。今年の仕事始めは、遅い。営業開始初日に僕は休日だったので、皆より一日の猶予が与えられていた。天気はまあまあ良好で、連峰は冠雪が美しい。
もう、言うことはないじゃないか。何事……かは正直、ありすぎた。とてもではないが、「平たく穏やか」なんぞは到底似合わない時間が過ぎたようである。しかし、部屋のカーテンを開けて、ドアを開けて、フロントガラスから前を見て、僕が目の前の風景に対して出来ることなんぞ、一個も増えなかった。正確に言えば、肉眼に映っているこの風景を、享受することしか選択肢はなかった。
里山と残雪
そして、
享受した。何も言うことはない。
降り立った川原で深く息を吸い込む。しかし寒い。当たり前である。水面に近づけばなお、肌に吹き付ける空気は一層の鋭さを帯び、僅かな日光ですら、それを際立たせるかのようであった。冷たい。しかし、
「美味しい」
である。白なのか青なのか、はたまた無色透明か。画像の色合い的には青が勝っている。だが、川原の残雪と、僅かに照らされた連峰の頂が、肌に感じる澄んだそれをなお、趣あるものとするのである。
白鳥
山間、という表しが似合う道を走る。こうすると猿との邂逅を期待するが、残念ながら今回は出会えなかった。まあこんな寒いのに出て来ないか、と諦める。
しかし相棒が川原に何かを見つける。提燈が反応したか、と思ったら、大きな眼と口がより見開いている。
「捕食するぞ」
始まった。
お題の記事は書かなかったが、2024年にやりたいことを問うたら上記の答えが返ってきた。当たり前である。暦が1つ進んだところで、どうにかなるものではない。それは僕も同じ。
それに、どう昇華したところで世の中「食うか食われるか」こそ真理なのだ。普通にやったら食われてしまう側にとっての願いなんぞ「一家」ないしは「一人」の安康。あとは食われない程度に食っていく。僕の2024年度スローガンはこれである。
【一家安康 全員捕食】
要するにシンプルに、ということである。シンプルに嫌いじゃない。
話を戻し、ここは「白鳥の郷公苑」というスポットになっていた。「園(その)」という字を当てないのは、人間にとっては単なる川原だからだろうか?しかし駐車場と休憩所が整備されていて、撒き餌も売っていた、ような気がする。
はじめからそういう名前がついていて、何度か通りかかってはいたが寄ったことはなかったな、と思った。対岸の道を走っていて、川でバタ足やら休憩やらする鳥たちに反応したわけである。
大口を開け、食らおうとするマスコロ。しかし待てども睨めども、白鳥も鴨も謎の魚には目もくれなかった。こちらは魚といえど川を泳がないし、いくら澄んでいても冬の川で寛ぐことは人間にはできない。寒くないのだろうか、と言いたいが、彼らには適温なのである。
しかし何でも食べたがるマスコロに、あれは美味しそうに見えるのか訊いてみた。
「それは関係ない」
らしい。こいつもたまによく分からない。謎の魚なので当たり前である。
連峰
さらに進んで、ダムに行ってみた。
やはり画像にすると他の色が勝つのだが、向こうの峠、近くの山、湖の周り、足下など、全てにおいて主張していたのは雪の白だった。1月4日のことなので当たり前である。
寒かったのですぐに引き返した。車に乗っている時間のほうが長かったような気もするドライブ。美味しかったか、と問われても、何かが違うとなるかもわからない。
「しょうもないことをグダグダ考えてるよりはマシ」
だそうだ。
ということでシンプルに楽しかったので、こういう一年になればいいなという記録であった。幸せのハードルが低くて中々によろしい。
2.おまけ(インスタ)