むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ5歳魚と27歳児の気ままな放浪記とか落書き 

【マロが行く】九月と破間川とちょっとした奇跡 -2021.9.13 只見線新潟口

 まるで観光列車を見送るかのような笑顔を向けてくれた只見線沿線の皆様、ありがとう。これは「乗って楽しい列車」に他ならなかった。

 

 いかにも「農作業を中断して見に来た」といういで立ち(偏見)の人々が、改札機もなければ係員もいない、何なら駅舎らしいものすらないホームの隅で、停車した列車を出迎える。乗客は誰も下りず、1分後にドアを閉めた列車に向かい、今度は大きく手を振り始めた。

 昨年11月末の最終戦の帰り、こちらも今シーズンが終わるからと遠回りをしてSLに乗って新津へ帰った。かの33-4を凌駕する大敗を喫し、自身も合計6のタコ&3回6失点という投打に渡る悲惨な成績を手土産に、まるで「そんなものはなかった」とオハ12のボックス席に乗り込んだ。随分お気楽なことだが、その時も会津若松や沿線で同じような見送り方をされて、キャッキャしながら僕も手を振り返したのだった。

 SLや海里、雪月花などの観光列車に向かって、ホームや沿線から手を振るのは見るものとしても楽しみな点だ。住民によっては恒例行事みたいになっている、なんてこともあるだろう。しかし今回搭乗したのはSLではないし、塗装もいたって普段通りの、平日ダイヤの通りに動いているキハ110形なのだ。

 

 乗って楽しい普通列車、なんてすばらしいことだろうか。

 

 

 

1.新津 11:27発→長岡 12:21着/信越本線

 

 そういえば新津駅三番線に置かれているオコジロウ‘sカップルも、乗客を楽しませるものには違いないのだった。

f:id:tomo16change_up:20210914164234j:plain

2021.9.13 新津駅三番線ホームにて

 魚を遊ばせていたら、背後から「わあ~かわいい!!なにこれ~!」と声がする。五十代くらい?の女性だったけれど、どうも僕に話しかけたのではなさそうだ。魚を抱いて撤退しようとするが、たぶん視界から僕が消えるのを待たずにシャッターを押された。

 さて、出発しよう……というときに、対岸の一番線ホームにも列車が滑り込む。

f:id:tomo16change_up:20210914164241j:plain

81がきたよ!-2021.9.13 

 重厚なモーターの音を立てて、EF81が現れる。もうすっかり見慣れてしまった、橙と黒のラインを引かれた……209?E231?だめだ何度見ても判別がつかん。魚もこの辺は察しがよくて利口だから聞いてこない。助かる。武蔵野線を走っている電車だよ、と教えたら、いつかは東京にも連れて行ってあげねばならない。ダイヤを見たら驚くだろうなあ。

 

 かくして我々は数分後の定刻に滑り込んできた、新津より先は1時間に1本の信越E129系に乗り込んだ。いつだったか、20~30分に一本だけという普通列車のダイヤを見て愕然とした!という本を読んだのを思い出す。その当時の読書感想としてはこうだ。「自分の主観だけで、人や世間に”普通”を押し付けるのは慎んでいこう」。

 

 

2.長岡 12:34発→小出 13:08着/上越線

 

 何しろその本を返してしまったから電車の中で読む本も特にない。しかし、駅メモでチェックインしながら魚の機嫌を取っていると、ただでさえ車窓を追うので忙しい電車の時間は全く退屈と無縁である。少なくとも休日の行楽で乗る電車では、僕は読書をすることもめったになく、イヤホンもほとんどしない。

 先の信越線内で、帯織を出発し直後に踏切のトラブルによって列車が停止しても、特にそれは変わらなかった。むしろ踏切が長時間開かないと見るや、その手前で回れ右で引き返していく車がいたり、反対側を見てみたら遮断機がベコッと折れていたりして、飽きはしなかった。しかし経年劣化というのは無理がありそうだったが……。

 

 何だかんだ遅れは5分程度で済んだため、長岡から問題なく上越線に乗り換えることができた。

 どうにもダイヤは気を利かせてくれていて、遅延しなければ長岡では13分、次の小出では7分の乗り換え時間となっている。利便性をはかってくれているところ大変申し訳ないけど、僕的にはトイレ休憩や飲み物の買いなおし等を考慮して、一定の時間がある方がいい。

 

 2両のワンマンカーになった上越線は、それには明らかに長すぎて広すぎる駅たちに停車していく。使っているかどうかはさておき、計4つの番線がある駅に誰もいないのはどうにも異様な気がする。

tomo16change-up.hatenablog.jp

 ただ、いつぞや自分で書いたように、関東と新潟をつなぐ大動脈であったことを考えれば、文字通りの「遺構」として捉えると浪漫が満ち溢れる。

 

 乗換駅の小出も、一本通過線を挟んでの5つの番線は多く感じられた。幸い(?)、ここは有人である。

 

 

3.小出13:15発→大白川13:59着/只見線

 

 乗り換え時間は十分以下、このことで必要以上に慌ててしまうからよくない。自販機のある一番線まで渡り、ジュースを買ってから反対側の四・五番線に行く。良い運動である。長らく登録抹消されているからといって、休んでばかりではいけない。

f:id:tomo16change_up:20210914164244j:plain

小出から未知の領域へしゅっぱつ -2021.9.13

 そう言って、待機していたキハ110の二両目に乗り込んだ。説得力のない絵面である。

 しばらくして車掌さんらしき人がやってきた。だいたいどんな線区か想像に難くないから、ワンマン運転ではないことに少し驚いてしまう。まあICカードで乗っていないかとかのチェックだろう、と甘すぎる予知をして、あらかじめ用意した「新津→只見」の青い乗車券を提示する。……ん、違うのか?

「実はトンネル工事の為、この列車大白川止まりとなるんです……」

 草。

 何がそうかって、大白川ー只見という徒歩では代用できないラスト一駅間を完遂できないにもかかわらず、乗客はヘラヘラ笑っているだけなのである。この後の「只見まで行かれますよね?小出で夕方まで待たれたほうが......」*1と不安そうに問う声を聞いて、むしろこちらが申し訳なくなる。

 

 車掌さんに気を遣わせてしまった申し訳なさはいったんカバンにしまい、気動車は定刻通りに小出を出発する。すぐに右手へ大きくカーブして魚野川を渡るのだが、無事に見逃した。

f:id:tomo16change_up:20210914164251j:plain

f:id:tomo16change_up:20210914164257j:plain

田園から山へ向かっていくよ -2021.9.13

 少なくとも二両目には僕一人しか乗っていなかった。それでも先の車掌さんによる丁寧なアナウンスがつづき、列車は定刻通りに薮神越後広瀬魚沼田中……と停車していく。

 魚野川は見逃してしまったが、この先は破間川に沿って走る。残暑というに相応しい太陽の下、反射する水面を鉄橋の下に眺めては「 きれいだね~、すごいね~」と言いながら魚とはしゃぐ。やっぱり保護者はどっちなのだ。しかし赤新駅となる上条にチェックインしたあたりから、開けた田園風景は一転し、森の中を慎重に縫うような航路になっていく。美しい、まさに日本の原風景という表現がしっくりくる。

 

 入広瀬駅ではボランティア?で駅の清掃をしていた地域の方々が出迎えてくれた。乗り降りした人はいなかったようだ。すぐにキハ110が力強くエンジンを吹かし動き出す。と、清掃していた人の手が止まり、やはりいっせいに手を振り始めた。

 鉄道に限った話ではないかもしれないが、旅を魅力に感じる瞬間の一つはこれである。いくつになっても新幹線や特急に手を振ってキャッキャしていた、あの頃を忘れずにいたいものだ。ばたばた、と手びれと提燈を揺らして必死に応える魚を抱きかかえてやって、つくづくとそう思った。……直後に現れたユニークな案山子には、ぎょっとしてしまったけれど。

 

 列車はやはり定刻通り、終点の大白川に辿り着いた。

f:id:tomo16change_up:20210914215435j:plain

到着!-2021.9.13

 列車の終点であると同時に、只見線新潟県区間としては最も端である。

 列車交換が可能、とはなっているが、他に何かが入ってきそうな雰囲気はなかった。それでも列車の運転終了とともに「今日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございました」という車掌さんの放送が流れる。なんともあたたかい。

f:id:tomo16change_up:20210914164401j:plain

ここから先は福島県だね -2021.9.13

 プラットホームというよりは文字通り「乗降場」や「停留所」という表現が相応しいように思うそれを進み、線路を渡って駅舎へ。無人駅ならではの回収箱に切符を突っ込むと、廊下を伝って外へ出るだけである。

 駅前は県道が東西へ走っているだけで、すぐ山である。ロータリー?にバイクのツーリング集団が屯していたのに驚きながら、勢いで右方向へ進んでみる。分岐を折れて少し行ったところに、駅が見下ろせる場所を見つけた。立ち止まるには都合がいい。

 

 ここでようやく、大白川駅にチェックインだ。右上に赤帯で「新駅」と記された駅名標が表示される。

 直後に通知アイコンが表示され、開くと「称号ログ」に新しいものが追加されている。廃駅の柿ノ木はレーダーで取ることとなったが、これにて駅メモでは悲願の【マスターオブ新潟】を達成した。

f:id:tomo16change_up:20210914164511j:plain

f:id:tomo16change_up:20210914164203j:plain

僕「長かったけど楽しかったね」魚「これはまたスタートだよ」-2021.9.13

 大白川駅に着いた列車を見下ろしてみた。

 山のわずかな隙間に、取り残されたような気動車とホーム。すぐ傍を流れる川の水面に反射する光がまぶしく、しかしどこかはかなく、切なさを感じる。夏が終わるからか。静けさゆえだろうか。……その割には、やっぱり魚に「川も山もきれいだね~、いいお天気でよかったね~」と、言っている主がはしゃいでいた。

f:id:tomo16change_up:20210914164326j:plain

f:id:tomo16change_up:20210914164332j:plain

f:id:tomo16change_up:20210914164338j:plain

f:id:tomo16change_up:20210914164351j:plain

散歩 ①は歩道橋?より -2021.9.13

 だけど本当に、晴れてよかった、と思う。今日見た風景が、決して当たり前にみられるそれじゃないからだ。

 

4.大白川16:09発→小出16:51着/只見線、帰路&おまけ

 

 駅に戻り、乗ってきたキハ110にもう一度乗り、同じ運転士さん・車掌さんの案内のもと大白川駅を出発する。

 乗客はやはり僕と魚しかいない。窓枠に乗っかった唯一の相棒の背を優しく撫でてやりながら、黄昏るついでに考えごとをしてみた。

 

 この「駅メモ!」というゲームは、「でんこ」が見た近未来では鉄道が廃れてしまったから、鉄道文化がまだ盛んな現代において思い出を残し、未来を救おう!というコンセプトで作られている。だが、でんこにとっての過去である現代でも、柿ノ木駅は廃駅になった。大白川駅とて、少なくともその日2424Dを終点で降りた客も、当駅始発で小出へ折り返す2425Dに乗った客も僕らだけであった。

 ただし、只見線やら駅やらのいわば存続的なことを「危惧」しているわけではない。鉄道好きとしては、交通手段及び日常生活からそれがなくなるのは、確かに寂しい気持ちもある。続いてほしい気持ちだってある。

f:id:tomo16change_up:20210914164423j:plain

また乗れるかな 「しばらく」は残るといいな -2021.9.13

 それでも命に限りがあるように、ものやくらしも永遠不変かどうかはわからない。あえて冷たい言い方をすれば「いらなくなった」「取って代わられた」だろうか。自然の驚異だってもちろん、ある。……こういうことは「危惧」しても、あんまりどうにかなるわけではない。

 僕にできることなんか、記録に残すとか語り継ぐとかくらいなものである。そして、それでいいとも思っている。そしてこんなことを言ったって、そうすぐには廃止にもならないだろうし、風化もしないだろう。この日の乗客だった24歳児と2歳魚は、沿線で手を振って見送られて「只見線って楽しいな」と喜んだ。

 あとは、誰かがこの記憶をちょっとだけ辿り、また喜んでくれればうれしい。

f:id:tomo16change_up:20210915003001j:plain

モリールート【只見線 小出~大白川】8駅

 

 この日の夜、長岡に戻ってから一人でラーメンを食べたものだから、カバンで眠っていた魚に埋め合わせをせがまれた。帰りの電車までだいぶ時間もあるので、新幹線でも見に行こうか?と、建前をいつものように並べて入場券を改札へ突っ込む。

 タイミングよく、反対のホームへMaxがやってきた。

f:id:tomo16change_up:20210914164527j:plain

二階建ての新幹線が本当に走っていたんだよ -2021.9.13

 近所で既に「遺産」扱いされてしまっているが、オール二階建てのE4系新幹線は確かに走っていた。かっこいいね、あれに乗ったんだよ。小さい頃はおじいちゃんと見学、家族旅行、大学受験、山梨からの帰省、チーム合流―。

 ……ううむ、魚が「?」という顔をしている。それはそうだろう。ただ、あとにやって来たE7系E2系には、まだ乗れる。この子はまだ新幹線には乗っていないのだった。僕だって「マスターオブ」が二県になったくらいでは全然足りない。次の行先はまだ、たくさん決められそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:大白川ー只見のトンネル工事に影響するものだったが、不通となるのは昼間だけであった。その後の小出17:15発や19:59発の便は只見まで通すようである。