むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

【虎仁朗が行く】気動車、11月、明ける東の山へ -磐越西線

 未だ「月夜」の風景である暗闇の中、僕は新津駅のホームに辿り着いた。

 

 

 

1.新津~津川/磐越西線

 

 つんと冷たい空気が、眠い眼にはよい刺激となった。早すぎたかな、と思って、今日は相棒・マスコロを連れていない。そもそも、正確には旅ではないのだ。

 

 晩秋の早朝とあってそれなりに寒かったが、厚手のコートを着ているおかげでそこまで肌には堪えない。20分の道のりを、daybreak frontlineを聴きながら勇み足で歩いて来たあとでは、むしろこの上着は邪魔なくらいだった。今から列車に乗り込むのでは、車内の暖房が効いているとすれば、なおのことである。

 今日の目的地はSuica圏外にあった。感覚でいえばそんなに遠くなく、料金は片道680円である。だが、ICカードは使えない。この事実はちょっとした距離の感覚を与えるが、同時に旅情もかき立ててくる。近距離切符に表示があったのに、わざわざ水色の券に【新津→津川 経由:磐越西】と書かれたものを買ったのだって、つまりはそういうことだ。

 

 4番ホームでは既にエンジンが声を上げ、隣のGV-E400と張り合っているようだった。ホームにはまばらな乗客の姿。始発としては遅い時刻だが、新津の夜はまだまだ明けない。闇の中にもかかわらず、今日も街は動き出すのだ。

始発列車

 6時丁度の定刻に合わせ、キハ110は新津を出発。分岐器を通り、単線・非電化の磐越西線を、わずかに色を灯し始める東の空へと進んでいく。

 

 実際には地域によって差異があるのかもしれないが、西=日本海側に位置する新潟は、東=太平洋側よりも遅れて朝日を拝むことになる。東京のビル群に光が乱反射をはじめ、足音や機械音・鉄の音が入り混じるころに、ようやくこの郷の夜闇は明ける。

 これを「まあ、それは仕方のないことだ」と受け入れられるようになったのは、「他に選択肢が無くなったから」という半ば諦めの境地であることも、否定はしない。だが、無人駅に停車して、少しずつ姿を現す平野に電信柱、橙色によって浮かび上がる五頭のシルエットを眺めていると、なんだかまあ、どうでもよくなった。

 

 どのみちこれら四季、そして朝・昼・夜……といった風景の中にあるのは、世界と自然と人の醜くて美しき営みである。

 とりあえず朝焼けは綺麗で、この気動車のエンジンやジョイント音は心地よい。隣の乗客も少し優雅な朝飯を楽しんでいるようで、かと思えばジャージを着た高校生がイヤホンから流れる音に神経を集中させている。

 で、僕は今日も、まあまあ楽しいが大して意味を感じない「仕事」に向かう。何かに仕えている気も役立っている実感もないのにこんな表現は正直、使いたくないが、他に単語が思いつかない。まあ、いいか。

新関に到着

新関、北五泉五泉……と過ぎたあたりで、車窓は光と色を確かに持ち始めた。もうそれは「冬」を示しているのもわかった。

 

 五泉馬下にかけて、山が迫り標高が上がり、空気はより澄んだものになる。

猿和田馬下

 

 既にオフシーズンを迎えた田園には濃い霧が立ち込めて、その視界を閉ざしている。乗っているだけの僕には気楽なもので、幻想的だなあ、と見惚れていればよかった。運転しているときはそうもいかない。

 馬下を出ると、トンネルをくぐり、阿賀野川に沿って走る、まさに「森と水と浪漫」を体現する車窓風景となった。

咲花~東下条 道の駅「阿賀の里」も一瞬だけ見える

 ところで、眠い。

 

 さっきの霧に誘われたのだろうか、とても眠くなった。それとも高山や中央西線のときのように、川が迫ると眠くなるのだろうか。 同じカフェインとはいえ、マウントレーニアでは目覚めにはならないのだろうか?美味しいから良く飲んでいるが、確かに飲むシチュエーションとしては「昼寝・仮眠の前」である。

 ……いいや。どう考えても原因は「2時就寝、4時50分起床」である。こういうスケジュールを強行した理由が「列車通勤したかったから」なので、何も言うことはあるまい。やっぱりこいつは阿呆である。

 

 僅かな眠りから覚めると、列車は三川を出発。

 既に風景は山に囲まれ、河に沿って走る。車窓右に、幹線道路を快走する乗用車が次々と列車を追い抜いていくのが見える。国道49号もトンネルや曲線などは例外なくあるが、三川駅前~津川IC付近にかけての線形は非常によく、「運次第では」スピードを出すことが出来る。

 ……ドライバーは安全第一であり、規則の順守は当然のこと、車間距離の確保、スムーズな交通の流れには最大限努めなくてはならない。だが、いや、だからこそ、必要以上の減速はかえってよくないのでは?とも思う。制限速度にしても、単に速度を守るべきにはあらず、例えば住宅街、繁華街、曲線区間……など、どこにどういった危険性が潜んでいるか?を考慮のうえで、運転はするべきではないだろうか。

 普段は隣の49号で通勤していて、特にこの三川~津川のトンネル区間において、50km~60kmで走行する車の後ろで距離の確保に苦心していると、ついそんなことを考えてしまう。今回の列車通勤には、まあなんだ、ちょっと運転をやめて頭を冷やそうか、みたいなところもあった。

 

 朝日が山の端を離れ、逆光となって降り注ぐ頃、気動車は津川に到着。

津川駅に到着 下りGV-E400系と交換

 津川はSL用の給水設備を持つ重要な駅で、現在でも普通列車はここを終点・始発とするものも多くなっている。110はこれより先、西会津の野沢を終点とし、反対に福島県境を越えてきたGV-E400と列車交換を行う。津川での純粋な列車交換というのも、なかなか希少なのではないだろうか。

もう空気は「ふゆびより」

 凍てつくような11月の早朝だが、天気は良く、額に感じる空気が心地よい。すっかり希少になってしまった、この駅を東へ向かう気動車の音が、朝の光の中へ消えていく。それを見送って、僕は再び勇み足で、勤務の会場へと進んでいった。

 

 11月中旬となると、17時を過ぎての復路は完全なる暗闇であった。正確に言うと、17時で退勤しても、一番早い列車は18時14分(?)まで待たなくてはならなかった。

18時にはもう完全な闇に

 近年、特にここより先―福島県境の区間をはじめ、磐越西線は「利用状況に合わせたダイヤの見直し」という名目で減便傾向にある。追い打ちをかけるように今年夏の豪雨災害を受け、現在新津発の列車は野沢止まりとなっている。だが、多くはここ津川や馬下五泉で引き返すものが多く、野沢まで通ずる列車は一日4本に限られている*1

 美しい風景の中、気動車の音が響き、またSLも走る、まさに浪漫あふれる路線である。だが、そうでなくたって鉄道という交通の不通、あるいは廃止は、ファンとして悲しいのは勿論、沿線の衰退は危惧される。

 衰退しているから廃止なのか、廃止したら衰退してしまうのか。難しい問題だが、地方に住んでいるものとしては「車社会だからいいじゃない」で済ませて欲しくはないところだ。

110に乾杯

 この郷にも暮らしがある。人の営みがあり、物の流れがある。仕事でお世話になって、そんな当たり前といえば当たり前なことを実感した。

 復路、車のライトに次々と抜かれながら、キハ110は新津に向けて西へ下る。優しく力強いエンジン音を肴に、誰もいない車内でビールを傾ける。寝るのが勿体なく、しっかり味わっておきたかったが、眠気に抗うのも今は無粋かと思うのだった。

 

 

2.行程とおまけ

 

行程

行き:新津(6:00発)→津川(7:02着) ¥680 ※R4/12/20更新

www.jreast-timetable.jp

 

帰り:津川(18:14発)→新津(19:14着) ¥680 ※R4/12/20更新

www.jreast-timetable.jp

 

 

おまけ1

 同区間についてはこちら↓もよろしければご覧ください。

tomo16change-up.hatenablog.jp

 

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おまけ2

 帰宅後。

新津到着 ㊧信越線長岡行E129系 ㊨乗車した磐越西線キハ110系 地元らしい並び

「一人で乗るキハ110は楽しかった??」

 はいごめんなさい。

 

 謝罪を待たずに噛みつかれたのは、いうまでもない。