むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

【虎仁朗が行く】苦学生、上越国境に立ち往生す -2018.12.30 【回顧録】

 帰省の道中、僕は上越の国境で「ふへへ」と笑いながら凍えていた。

 

0.まえがき

 

 Twitter上で「旅程崩壊ビンゴ」なるものを目にしたのはちょうど一年位前だったか。例えば、お金が足りない、寝坊、天候や寒暖の急変、方向を間違える、運休や通行止め……等々。旅という旅になればなるほど、トラブル(というかやらかし?)はつきまとうものである。

 こういう「ビンゴ」をやると、野球速報でいう「好機を活かせず拙攻が響いた」的な結果に終わりがちで、今回も「計14項目のチェックで1ビンゴ」であった。だが、僕も「旅程崩壊」と聞けば必ず思い出すエピソードがある。

 仕方のないトラブル?いや、その前の阿呆すぎる経緯からするに、これは「やらかし」という言葉が相応しい。

 

 当時はまだマスコロが家族に加わる前。きみを連れてこんなやらかしをしないように、との意を込めて、あの12月30日を振り返ってみたい。

僕は水上で「ふへへ」と笑っていた……

 ※ダイヤ等は当時のものを覚えていない為適当です。ご了承くださいm(__)m

 

 

 

 

 

1.都留(4:00?出発)→大月(5:45?着)/徒歩

 

 というわけで時は遡って今は大学三年の年末。

 正直帰りたくない*1が、かといってバイトもしたくない*2し、というより何もしたくなかった。三年続けた軽音部を退部し、両親からのプレッシャーはだんだんきつくなってきて、研究や授業も全然捗らず、メンタルはズタボロである。一人でいるよりましか、と思い、新潟に帰省することにした。

 

 早朝4時。都留市の下宿を出発、深夜の国道139号を一路東へ進もう。

 年の瀬の都留は今年も例に漏れず強烈な寒気が街を覆い、突き刺すような冷たさが僕の歩みを阻む。まして夜明け前。人や日なたのぬくもりのなく、ただ静かな闇を、方向感覚と道路標識、勾配が下るほうへと歩いていく。ふと、対岸の歩道に気温の表示が見えた

「マイナス5度wwwwwwwwwwwwwwww」

 おかしいのは気温の電光掲示ではなく、僕の頭である。

 大月から都留・富士吉田にかけては勾配を富士山へ向けて登っていく形になるから、その逆―ひたすらに下りだ。少し楽である。

 それにしても寒い。耳が冷たく、痛い。再確認するが、今の気温はマイナス5度である。だが、大月には6時前に着いておきたいことを考えると、少し急がねばならない。

 ……超今更であるが、思ったことがひとつある。

寒い

 何故電車に乗らないのだろうか。

 

 冷静に考えて、都留市内から東京、あるいは甲府へ移動する際の、もっとも合理的な手段はやはり富士急行での大月乗換だろう。マイカー所有勢に送ってもらうというチート技ができないのなら、大月駅までは短区間でも電車に乗った方*3がいい。

 ただし、富士急行の難点はその料金。距離的には11~12kmの移動で、550円くらいの値段になってしまう。それならば、歩ける距離は歩き、料金の節約と運動不足やストレスの解消をしよう―というのが、僕や友人たちの攻略法(?)であった。

 

 ……それで、まあ、

「大月(=全区間)まで歩けば0円じゃね?」

 という発想となった。やはり頭がおかしかったといえる。

 

 徐々に東の山の端が染まり始め、この谷間の町にも朝が来ようとしていた。だが、後述する背景と、1時間と45分近く歩いた疲労で、これを「趣」とは呼べなかった。清少納言には申し訳ないが、これは「つとめて」の範疇よりも大きく外にある何かである。

 

 

2.大月(6:00発)→八王子(6:45前後?着)/中央本線

 

 前項の阿呆な徒歩修行について補足。

 富士急行の大月方面の始発は設定が遅めで、八王子や東京への移動の際は始発に乗っても7時台後半~8時前後の到着となる。大月以東のJR中央線は5時台から走っているため、例えば「18きっぷでなるべく1日で遠くまで移動したい」という旅行者にとってはむしろ合理的な手段ともいえる*4かもしれない。18きっぷ富士急行線内では使えないため、なおのことである。

 

 ということで、ともあれ料金も節約できたことだし、ひとまず乗換駅の八王子を目指そう。駅の自動放送が、まだ明けない夜のうちから旅に出る客に「おはようございます」と挨拶してくる。おはよう世界!全然眠くなんてないさ!

 

 

3.八王子→高麗川→高崎/八高線 ※時刻省略(たぶん12時少し前着)

 

 深夜テンションの客を迎えた八王子の大都会に、容赦なく朝日が降り注ぐ。茜色はビルに乱反射して、眩しい。年の瀬の早朝で、多少は空いているとはいえ、ぞろぞろと行き交う人混みにおろおろとしながら、ホームの端でやりすごそうとする。やっぱりまだ、眠い。前言撤回である。

 

 ここからは八高線に乗り換える。武蔵野線上野東京ラインを利用するルートもあるが、料金が安く本日中に新潟県・新津駅へ辿り着くルートならオールOKだ。

 何本目かのオレンジ帯のE233系が通り過ぎ、しばらくして薄黄緑とオレンジを帯びた209系がやってくる。京浜東北線で活躍していたのは昔の話。編成を短くしても、関東近郊でまだまだ現役だ。

 八王子を出ると、八高線は中央線と別れ、進路を北に変える。ここからは単線だ。それにしても今日は良く晴れている。眠気には少々堪えるが、まあ心地よい日だまりである。

 

 高麗川から先の八高線は非電化区間となる。川越方面へ進む209系とはここでお別れ。それにしても晴れていて、完全に地平線を離れた太陽がいっぱいに光を注いでいる。冬の澄んだ空気で、ビル群・住宅街・遠くの山々も美しい。富士山ももしかすると頭を覗かせていたかもしれない。

 しばらくして、聞き慣れたエンジンの音が減速して近づいて来た。キハ110系。関東という慣れない土地で、もう何度も乗った車両に乗るのも、新鮮な気分である。

 高麗川を発車すると、都心のそれとは程遠い、のどかな風景が広がって……いたような気がする。このへんから既に記憶がない。この日だまりと、エンジンの音が良い具合のぬくもりになって、寝不足な僕の思考を完全に途絶えさせた。

 

 

4.高崎(12:00前後?発)→水上(13:10くらい?着)/上越線 

 

 高崎に到着。ここでは「正規ルート」と呼称すべき上越新幹線とも合流し、いよいよ越後へ向けて下ろう!というところで、大学3年生の思考は完全に有頂天であった。「なんだかんだ高崎降りたことねえなあ、散策するか」と下車し、そのまま、

高崎駅 近く ラーメン】

 と検索。20分後くらいには、こぢんまりとしているがおしゃれで清潔な店内の中で、香ばしい醤油が香る丼が目の前で湯気を立てているではないか。

「なんか楽しいぞ」

 有頂天のままインスタにそんな投稿をして、確か800円を支払って店を後にした僕は、上越線の211系に乗り込んだ。

 こちらの211系は、東海道線でみられたような「湘南色」をしている。結構混んでいるが、まあいいだろう。快晴の高崎から、上州路・上越国境をのんびりローカル線で行こう!!

 

 ……で、出発して1時間後のこと。確か後閑を過ぎたあたりだったかな。車掌さんの、心なしか弱弱しい声が流れてくる。

「終点の水上よりお乗り換えの、お客様に、えー……ご案内いたします。水上駅より先……大雪の影響により、現在水上ー長岡間で運転を見合わせております。この為、13:40発の長岡行きは運休とさせていただきます。16:20発の長岡行きに関しましても、運転再開の目処は立っておりません……なお、高崎駅から新幹線をご利用されるお客様に関して、代行輸送の手配などはしておりません……」

 

 ファーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 とりあえず脳内にはこれしか思い浮かばなかった。とりあえず目的地をはるか先の新津に設定している僕としては、本日中に帰宅できるのか、下手をすれば駅で野宿なのか?みたいに考えるのである。ちなみにこれまた調子に乗って、「駅メモの赤新駅だ~」なんてアプリを起動していたものだから、

「携帯充電1%wwwwwwwwwww」

 なにわろとんねんである。ところでこの211系はとりあえず水上まで時刻通り到着するようで、徐々にスピードを落として場内信号を通り過ぎていく。ふと車窓を見る。

「驚きの白さ!wwwwwwwwwwwww」

 なにわろとんねん二回目である。暖房が効いているはずなのに、結露の向こうに広がる無限の白を見て、不思議と足首のあたりが冷たくなってきた。沸騰する脳味噌とは対照的に、身体はしっかりと温度を下げていく。思考が現実的になったのは、

うわあ雪!!

 211系を降ろされて、結露だらけの窓と車体に積もる雪を見た瞬間である。ホームの先をふと見やる。

「YU☆KI☆KA☆BE」

 星マークなんかつけている場合ちゃうぞ!である。

 

 水上駅を一歩出ると、山間の温泉街らしい雰囲気がどことなく漂っていてよかった。白くて冷たい壁の間を、よいしょ、よいしょと歩いていても、向こう側にそびえる山の端、坂をのぼったり下ったりする感じである。晴れていればもっといい。

 そう、晴れていれば。

 この時は視覚どころか五感を奪われていた。雪の壁と白い闇のなかをなおもすすむ。とてもではないが「散歩」とはいえない、逃避行のようなそれを続けながら、なんとか僕はファミリーマートに辿り着く。

 

 この悪天候のなか、そこそこ距離のあるコンビニに何をしに行ったのか?

 答えは「ATMで2000円をおろす」であった。

 

 

5.水上(16:40?発)→長岡(?着)/上越線

 

 つまりこうである。

 

 お金がなかったのだ。

 

 そもそも在来線で帰りたいだけなのであれば、ただでさえ一日の移動可能ギリギリな行程を組む必要はない。どこかで一泊するもよし。山梨在住だった僕にとって、新潟帰省の際の主要にして最も合理的なルートは「中央東→新宿→埼京→大宮→新幹線」であるが、熊谷や高崎から乗りとおすのもありだ。乗り換える必要がないからである。

 にしても、彼らは随分長い距離を走る。逆に高崎駅で行先表示に「熱海」なんか出ていると、震える。18きっぷ勢なら、これも乗り換えなしで移動出来るから重宝されるのだろうか。

 

 ところで今回の僕のケースだが、スケジュールはそこまで厳しくない。どうせ大月から始発に乗ることは無理だったし、富士急の上り始発は確か中央線直通だったから、乗り換え駅を多少遠くに設定してもじゅうぶん行程は成立する。あのマイナス5度の暗闇の中を、何も見えないし耳は冷たいしやだ~なんて泣きながら歩く必要はなかったのだ。

 だが富士急には乗れない。高いからである。

 新幹線にも乗れない。高いからである。

 バス移動も今回は選択肢から外す。年末料金で高いからである。

 

 ではどうするか。

 歩けるところを歩いて、他は在来線。

 

 ……凍えながら僕は16:40?発の長岡行きに乗り込んだ。E129系がまだぴっかぴかのニューフェイスだったころ*5である。スキー客がいっぱいいるが、スキーをするにも流石に降りすぎなのではないだろうか。

 しかし外の気温と、僕の懐事情、果たしてどちらが冷えていただろう。少なくとも全財産足して4桁だったあの日、生きた心地がしなかったことは確かである。ならなんでラーメンなんか食ったんだ、っていうツッコミを、4年経過する今盛大に行いたい。

 

 上越国境の長いトンネルを潜り抜けると、何も見えなかった。トンネルを抜ける前から既に雪国オブ雪国~!イェ~イ!だったので、今残っている感慨が特にない。既に辺りは真っ暗闇である。

 

 

6.長岡→新津(たぶん22時くらい着)/信越本線 &あとがき

 

 なんとか長岡で信越線に乗り換えて、僕は新津に辿り着くことができた。

 意外なことに、水上で1%になって同じように震えていたスマートフォンくんは、その後の夜闇の旅程を1%で耐えきったのである。えらい!……親からの到着を心配するLINEを表示している彼を見て、正直こちらとしては「金が無いから在来線で帰省してきた」という色んな意味での阿呆さを叱責されないか心配であった。

 まあありがたいことに、年始に挨拶に伺った祖父母からお恵みを頂戴し、休み明けは悠々とバスで戻……ったのはよかったのだが、普通に腹を壊して泣きそうになった。なんで高速バスで腹を壊すとあんなに絶望感が半端ないんだろう。

 

 とりあえず当時の僕を言い表せる言葉としては、阿呆だ。これは十分「阿呆列車」といえるだろうから、是非ともC57の牽引でオハ12を引っ張っていただき、内田百閒先生を乗せて旅に出ていただきたい。

 だが僕の場合、「原因が単なる金欠」「スケジュールが無理矢理」「金欠の原因も詳細省くけど馬鹿」だったことを見ると、シンプルに情けない話になる。もう少し「ローカル線浪漫を感じる旅」として、あたたかみを持たせたかったエピソードなのだが、まあ良い子のみなさんは絶対真似しないでください。

 

 少なくとも当の本人は、もうあんな思いは懲り懲りである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:まず大前提として、選択肢に「帰省しない」があるべきである。翌年はこれを実行できてよかった。

*2:繁忙期なので気持ちは分かるが、これも金欠の原因であることは間違いない。

*3:バスもあるが、運行経路はバラバラで直通便は極めて少ないことと、料金や時間も変動があることには注意したい。

*4:実際、都留~大月を徒歩移動し、大月以東の始発に間に合わせた猛者もいた。「乗り鉄」としてリスペクトするべきである。

*5:デビューから数年は経過していたはずだが。