むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

週末は山梨を走ります

「見えないって、あれが?」である。

フッジッサーン -2023.5.27

 

 

 

 

1.夜間高速、紫外線、壊れる窓と腹

 

 かの霊峰も、労働=苦役の象徴であった時期がある。週末にその姿を仰ぎ見、それが実に澄んだ空気の中ではっきりとした輪郭を浮かべていると、嗚呼、この美しい絵の中に、惨め且つ醜い自分の影などなく、あってもならないのだ……なんて思っていたものだが、まあ過去の話。

 何だかんだあって、今「週末は山梨にいます」と言って富士山の写真を撮っている僕は、志摩リンと各務原なでしこのように嬉々として、その神秘性に心打たれているだけである。同時に、空虚でも濃密でもある混沌とした日常をあれこれ考えず(いや、時に考えながら)こなして何とか生きれるようになり、その合間に手にいれた休日の象徴=僕の幸福なのだ。少なくとも、今は。

 

 とはいえ、僕の現チームでのデビュー戦を含めた3試合をこなし、今日の練習会場でもある野球場からは、微妙に見えない。お隣の陸上競技場は少し高さが上がるため、ようやく見える、という感じだ。どうしても中央東線沿線になると、富士山からは距離がある。

 だが、中央道を長野方から走ってきても、下り坂の向こうに霊峰の足元までがあらわになる地点が、一瞬だけあった。あれは幻か、とすら思った。長野との県境付近で、「その形をした」富士山を一瞬だけでも拝めることを、僕は知らなかったのだ。新潟と山梨の往復は幾度となくこなしてきて、その道中すらも何でも知っているようで、実は未知の世界、知らない風景が転がっている。

 

 夜通し移動した上信越道と中央道も、実に空いていて快適だった。

 次第に明るくなる東の空に、輪郭を浮かび上がらせていく山の端。立ち込める霧に突っ込んでいくのは勿論恐怖感を覚える。対向車線を大型のトラックが行く。行先表示を灯したバスを追い抜く。サービスエリアはさらなり、である。

 夜から朝に変わる合間、越後平野という日常を脱し、信州・甲州という親しみのある非日常に移る。「眠れない夜に飛び出す」というにはうってつけの距離数と風景の中を、アクセルを踏み込んでひた走っていく。中々にドキドキしたし、楽しかった。

 

 交感神経が働いていたおかげか、仮眠しようと停車したSAで全然眠れなかった。おかげで練習の集合時刻の一時間以上前に到着し、やや持て余してしまった。

 睡眠時間数は関係なく、練習は疲れたし、紫外線は肌に突き刺さった。本来は黒……というか、小麦色~褐色らへんの「こんがり」とした焼け具合になりたいものだが、どうも高1あたりから「真っ赤」に焼けてしまうようになった。高1の体育祭で真っ赤になり、その肌が剝がれ始めたときのことは忘れられない。言うまでもなく、快感ではなかった。

 

「脱皮」こそせずに済んだものの、肌が痛い。ついでに投球フォームの確認中に謎に股関節を痛め、他の部位ももれなく疲労の鈍い音を立てている。

 何故か腹の調子もすこぶる悪い。先週の試合の時もそうだったが、長距離移動の際には何の反応もしなかった胃腸が、次の月曜や火曜にはあれこれと訴えを起こしている。

 あと、何故か車の窓も壊れた。あと、クソ眠い。後者に関しては案の定であるという感じだが、前者に関しては分からない。車屋に持って行っても「ここが壊れるってあまりないんですが……何かしました?」と言われる始末。どうせ振り回して壊しちゃったんだよ、ってか!違うわい!!

 

 そんな今週のことを、田んぼから聞こえる蛙の合唱を聴きながらまとめている。あの声自体は嫌いではないし、うちにも蛙はいるし、何より「これからのシーズン」を感じられて良いのだが……。

 しかし、どうだろう。夏という季節を、情熱の解放とか、勝負の興奮とかにあてはめるには、近年のそれは少々暑すぎるように思えてならない。気持ちでは昂っているようで、いざプレーし始めたらそれどころではない……なんてことも起こり得るし、二年前にそれを経験している。暑いこと自体は好きなのだが、もう少し「シーズン」というに適した暑さにとどまってもらい、「熱さ」を凌駕する「暑さ」にはならないことを祈る。

 

 

2.おまけ