むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

カップの湯気は微妙に熱く -2023.10.11

 今日も起きたら昼であった。

 

 土日祝にかかる遅番五連勤を終え、束の間の休日を謳歌した。といっても、例の如く微妙な腹痛の処理をして、二度寝・三度寝を繰り返し、昨夜は億劫だったシャワーをいつ浴びようかと迷い、まあ折角乾燥しているしなあ、と諦める。午後一時に目覚めたら、日が沈むまでのせいぜい4~5時間なんて、あっという間に過ぎる。仕事の時とは全く違う流れ方に、溜息も出ない。

 

 先の祝日がどういうものであったかは、配信(という名の虚空一人語り)でお話し、またストーリーズに投稿した通りである。何一つ、祝える要素はなかった。何も双方の境遇の違いを主張したいのではなく、むしろ「誰もがハッピーである」ことを掲げる団体の理念を考慮すれば、ハッピーどころかストレスフルだったのではないか、と言うことなのだ。果たして、一銭を払ったわけではなくとも、待機に2時間を消費して得た対価は、幸福であったのだろうか。そうであってほしい。そうであるならよいのだが。

 

 昨日、帰りの車に乗り込んだ時にあったのは、労働からの一時的な解放による脱力感や、達成感ではなかった。あったかもしれないが、それ以上に、モヤモヤとし、あるいは細胞が微妙な煮立ち方をしていた。

 確かに無料開放だったが、では無料でなかったら来なかったのか?

 先行する軽トラを無理やりにでも追い抜いていたら、80キロではなく100キロで走っていたら、パッシングなんかされずに済んだのだろうか?

 1打席でも熱くなり、1安打でも喜びを爆発させることができたあの感覚を、これからも誰かと共有することはできるだろうか?

 我ながら、そんなことを考えて、虚空でもいいからぶつけたかった。空気が反応し、冷たくなったり、暖かくなったり、ざわめいたり、ぴたりと静かになったりする。これは紛れもない秋の気候だ。どこいっちゃったんだよ、なんて嘆いているけれど、秋はちゃんとここにあった。もう少し穏やかな一面も知っているので、そちらの姿を見たかったのだが。

 

 

 また夜になった。できれば穏やかな日差しの下を歩きたかったが、次の機を待とう。

 次、とやらがあるかは分からない。鉄道旅も、野球も、記念すべき第1回で賞をとったコンテストも、その機会でさえ保障はされていない。だが、備えることはしたい。

 ホットカフェラテの湯気が、微妙に熱い。「温もり」というにはまだ早いのだ。