むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

汗と疲れの上手な流し方

 いちおうは「ドライブ」といえるであろう外出をするのも、ずいぶんご無沙汰な気がした。

 

 自分が元来飽き性なのか、前提として熱が入るものがないのか、あるいは別の要因なのか……。どちらにせよ中々「あのお肩」に飛び乗って魚と出かけることも、以前よりはまったくしなくなった。そもそも休日にやっていたことや、したいこともいまいち思い出せない、……いざ休んでみるとそんな感じである。

 ただ自分のバロメーター(?)として、休日を「何かしなければ!と義務感に駆られて何時間も思案した結果、スマホをいじって疲労をためる」だけで終えることが増えた場合は、調子がすこぶる悪い時である。特に、外出時のプランをGoogleであれこれ調べながら練るパターンは、最も健康に悪い。店の営業時間やメニュー、現地までの移動手段を、検索窓に打ち込む語句を五、六度と変えながら、駅メモの地図と照らし合わせ、あれこれとイメージをしていく。愚直に赤新駅を乗りながら潰してまわっていたときは、メモリールート、接続の利便性……いま思えば、盛り込みすぎである。荷物といい、スケジューリングといい、欲張りすぎて重くなるのがキズだよなあ。

 

 それで、今日も「旧PCを売る」と「温泉でゆっくりする」を両立させようとした。成長はない。

 悲しいが、周辺機器も併せて丁寧に査定してもらった末、思いのほか高額で買ってもらえたのは幸運だった。あの動作ではジャンク行きだろうなあ……と予想していたが、それとも相場的にそんなもんなのか?英世博士や一葉氏を差し置いて、諭吉様が出てくるとは。

 お金になったのはうれしいが、まあ謙虚に、大事に使わねばならない。それはそうとして時間も気持ち的にも余裕があったから、少し遠回りして温泉へ行こう、となった。

 

 規制がないぶん夜間に飛ばす車なんかも多いけれど、基本的に403号線は走りやすい道路だ。信越本線とともに三条へ上っていく途中では田園に挟まれ、左手の護摩堂山が生命力に漲っている姿に見とれすぎないよう、しかし時折窓を開けてはそよ風を肌に感じる。

 やがて加茂川に架かる千代橋を渡ると、今度は左折して加茂市街を通り抜ける。市街から五泉方面へ向かう道はことごとく狭く、一通もあるうえに路駐が多いので、運転は慎重にならざるを得ない。上流方面へ遡るにつれ「渓流」と呼ぶに相応しくなる加茂川と雑木林をもっと堪能したいのだが、心なしか車間が詰められまくっている気がするので真面目に走った。そうはいってもここ、40キロ規制だぞ。時世関係なく、感覚をあけてお走りください!

 T字路を左折して290号線に入る。6月には逆方面の村松から冬鳥越へと降りてきて、加茂へは行かずもう一方向の下田方面へ折れた。助手席の魚に「きれいだね~」と話しかけると、嬉しそうにビーズが揺れる音がする。と、また50キロ規制区間を真面目に走っているだけなのに、中型のバンにくっ付かれた。実は覆面で、僕が逃げようとアクセルを踏んだ瞬間を捉えようとしているのだな!……などといらない想像をたくましくさせてみたりした。次の買い物はドラレコだな、うむ。

 

 近くにあったスーパーで食料調達したのち、温泉の近所に良さげな公園があったから車を止めて、魚を連れて散歩したりした。

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2021.8.20 水芭蕉公園(五泉市)にて

 公園名に惹かれて寄ってみたが、ミズバショウらしきものは見当たらなかった。ゴツめの虫に追い掛け回されたり、沼(?)と草とベンチがあるだけで例えばトイレや自販はなかったので、思ったような寛ぎ方はかなわなかった。しかしひぐらしは鳴いていた。カナカナ……を聞かないと夏は始まらない。なのに、あの音色は何かの終わりを想起させるようで、この矛盾が切ない。

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公園近くの神社 -2021.8.20

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注意書きの札 -2021.8.20

 こういう小さな鳥居と神社、階段が、切なく歌うひぐらし達の中で橙の光に染まっていく風景が、いつの夏にもあってほしいものだ。まあ注意書きの札は立てずともよくなるよう、治安の改善を願おう。……棚から取ってポケットに忍ばせられるほど、タケノコが簡単に盗まれていく光景は想像もつかないけれど。

 

 ということで、良い感じにひぐらしが鳴いて日も落ち始めたので、温泉に入って汗を流した。

 マイカーを持ってから何度か足を運んでいる日帰り温泉施設で、料金は割増にこそなるがタオルの貸し出しもあり、何より熱すぎず比較的長湯できるので気に入っている。浴室は特段大きいわけでもないが、混雑するわけでもなくストレスは感じない。洗い場が取り合いになることもそんなに心配はいらなかった。結構重要なのだが、シャワーの出と備え付けのシャンプー・ボディソープの出が良いのも魅力だ(ここを侮るなかれ、わりと当たりはずれはあると思う……)。

 浸かり方には全くのこだわりはなく、その時の欲望に忠実になる。むしろ浴室に入ってからは洗い場でゴシゴシしている時間の方が長く、やっとのことでお湯に体を沈めても熱かったり混雑が気になったりで、とっとと出ることも多い。

 推奨されている「足湯→半身→肩まで→涼む」の流れを知ったのは大学4年秋。ただし、それ以降もざぶん!と肩まで浸かったり、長湯して手首や肘・首のストレッチをしたり、何か違うことを考えたり、何も考えなかったり。……本当に気分次第である。それはそうとも、敵は選んで戦うし、戦った後の体が何を欲しているかもその時々によるのだから。

 この時期はお湯を低めの温度に設定しているとのことで、程よく温くリラックスしながらつかることができた。露天もあるのだが何故かいつも誰もいないので、ゆったり足を伸ばして遠くの山を眺めながらぼんやり……していると、ちょうど虹がかかった。 なんと幸運なことだなあ、と思いつつ、今回は再度体を温めるために少し熱めの内湯に入り直してから上がることにした。

 入浴後の楽しみと言えば、湯上り処でコーヒー牛乳を飲みつつ、まったりする時間である。一応簡単に腿裏や首をほぐしたりもするが、それよりも心のくつろぎが大事なので意識はド底辺に保っておく。

 この日も休憩所の自販機でコーヒー牛乳の瓶を買い、あとは時間の限り寛ぐぞ。良かった良かった、休日を無駄にせず、しかし欲望には忠実に、無理なく気ままに終えられそうだ……と思っていた。蓋を開けるまでは。

 

 夏場に限らず、大抵は汗をかくのに備えて着替えのTシャツを予備にもっておく。行きは部屋着同然のグレーのTシャツ。入浴後は白地に、胸元の黒背景と白い文字のプリントがあるものに変えた。その白いTシャツは至ってシンプルなデザインだから、例えば筆でわざとインクを垂らしたような、コーヒー色の模様なんかないのである。

 瓶牛乳の蓋も、紙タイプとそうじゃないプラスチックみたいな蓋の2パターンがあると思う。この紙の蓋、注意しても開封時に中身を何滴か掬い上げてしまうのだが、今回はそれを豪快にやりすぎてしまったようだ。

 退館までなんとかその模様()を隠すことには成功し、帰りの車でも黒いタンクトップを下に着ていたおかげで上裸になることは回避した。しかし、疲れを取りに行ったはずが、かえって変な汗をかいてしまったのは残念と認めるしかあるまい。荒っぽい口調で電話する客が斜め前の椅子に腰かけたことも影響した。これ以上はここで休めない。

 流しきれなかったか、あるいはさらにかいてしまったか。ともあれ車に戻ってみたら汗がひどいので、制汗シートとタオルでぬぐった。

 

 季節柄と言えば仕方あるまいが、もっといい汗のかき方はなかろうか。

 最近は体内に大荷物を抱えてしまっていて、吐き出そうとしても捨てられない。かと思えばこちらの意図に反して出てくることもあって、まあこれらのおかげでいつも以上に胃腸とのコミュニケーションに苦労している。冬でも夏でもお腹は痛く、コーヒーの飲みすぎもあってか常にトイレは近い。

 我が家で一番酷暑になるのはどこか。トイレなのである。胃腸の調子に冷や汗をかいて、解消しようとして大粒の汗をかく。いくら全館冷房を実施しても、トイレの個室だけは冷暖房の送風も、Wi-Fiの電波もシャットアウトするのだ。ここでは問題解決のためにも大量の汗を流し、孤独に戦うしかない。ちなみに今日は解決しなかっただけでなく、戦闘のたびに服を着替える羽目になった。損害は甚大である。

 ああ、なんて爽やかさの一ミリもない絵面だろうか。こういう話をしてしまい申し訳ない。しかしこの時間にもかかわらず、また大荷物が勝手にぐるぐる、ごろごろと腸を這い、脳に訴えかけてくるのだ……。