むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

遠くの日々は嘘をつく

 夜中にどうしてもスマートフォンが見たくなったら、インスタグラムに飛んでもストーリーズのアーカイブだけは開かないことだ。

 

 こういう禁止をされて、やらずに済むのであれば人間苦労はしない。ましてや「やらないほうがいい」「~なのであればしないことだ」みたいに言われると、もはや効果はないだろう。こうやって自律神経は制御を失っていく。

 しかしアーカイブを振り返るのは面白い。Twitterを遡るのでもいい。勿論、僕自身の投稿が面白いわけではない。……ちなみに1年前の昨日(3.17)は、行きつけだった定食屋でかつ丼を食べて「学生ラスト」と言って投稿している。あの頃は山梨に残る気満々だったなあ。

 話を戻そう。何がそうかというと、辿ってきた歴史は黒かグレーが殆どなはずなのに、少なくともストーリーズに乗せられているそれの大半は昇華・美化された「思い出」か、もしくは全く関係ないごはんの写真と全く関係ない一言だからである。且つ、それでいて「でもこの日の前後はこんな嫌なことがあったなあ」と、写真を見て振り返れるからだ。こんなことを言っているがあまり関係はないのかもしれない。だって、過去のシフトボードやスケジュール帳でも同じことができるじゃないか。やっぱり関係なかった。忘れてください。

 

 何故こんな話をしたのかというと、つい先日「3.11」を迎え「あの日から1年」という話が至る所で出ていた気がするからだ。職場でも、当時組んでいた正社員とその話になって、当時は何の授業だったとかどうやって帰ったとかいう記憶を振り返ったような気がする。……10年か。これを「3.11」から、と考えると何とも言えない。だけど、当時中1だった僕の主観を起点にするのなら、長い。途方もなく昔である。もう少し時間が経過していてもいいと思ったのに、10年か。不謹慎かもしれないけれど、終わりが見えないというのもつらいのだ。

 10年前の3月11日に事実として何があったのか、どの事実が記録に、歴史になったかは「わかりません」「忘れました」とは言えない。そしてつい先日に職場で振り返って「あの日はこの授業でした、忘れもしません」みたいな話をした。そのあとで、そういえば○年前の○月×日はこうでした、その翌年の○月×日はこうでした、みたいな話で盛り上がった。その日組んでいた職員(年は僕の1つ上)にとってはあっという間だったようである。

 ……そこから気が付いたらアーカイブTwitterの話になっていたんだったかな。こっちはつい先日の事なのにうろ覚えである。

 

 ここまでの文章を、昼間の太陽ですら白く眩しくて、未だに僕自身を取り戻せない脳味噌と身体で練ってきた。これですら20パーセントくらいは歴史が思い出に、そして妄想に変わったうえで言葉になったような、そんな気がしている。いや、これもナンバーガールに影響されて、思い出や妄想という単語を使いたいあまり妄想しているのかもしれない。

 

 時間が経過して「記録」あるいは「記憶」となった事実は程なくして「思い出」に変わる。しかし面白いことに、それが語られて持ち出されるときというのは大抵「妄想」が半分になっていると思う。いくら実際にあった思い出を語っても、それを昇華や美化、逆にあえて卑下してみるとか、誇張して人生の転機になったように語るとか、逆にカラスが群れをなして帰っていくような日常の一端に縮小することは、まあ多少はあるんじゃなかろうか。それこそ大学時代に3年間続けたサークルをトラブルによって脱退したことだって、めちゃくちゃ思い悩んだ末の決断だったとも、嫌すぎてスパッとやめてやったとも、何とでも言うことができる。できてしまう。

 先の「10年前の3.11」の話を職員としたときもそうである。確かに、木工室のような教室で小さな本棚のようなものを作っていた時で、程なくして授業終了→即帰宅が命じられたことまではとりあえず事実だ。さて話はこう続く。「僕は即帰宅=部活も何もない!やった!と大喜びして、当時の(数少ない)友人と他愛もない話をして、のんびり歩きながら帰宅した。幸い家に誰もいなかったので、1Fのリビングでゲームでもしようかと思い、とりあえずテレビを付けた。そこから電源のついた画面を見て、これはやばいと思った。そこからはよくわからないなりの緊張感があって、ただいまいちピンときていない自分もいた」。

 そういう話をしたが、実際に当時の自分がそう思っていたかは正確には違うんじゃないだろうか。こればっかりは10年前のトモユキコジローに聞くしかなく、しかし10年前の僕はまだこのペンネームで呼ばれたって「?」な顔をすると思う*1

 

 ううむ、こうして考えてみると少なくとも「思い出」と呼称する僕の記憶に関してはどうも信用がならない。まあ前提として大して記憶力はよくなく、かと思えば死ぬほどどうでもいいことをはっきり思い出して疑わなかったり、嫌なことは嫌なように記憶していたりするのだが……。

 それこそ、少年野球をしていてコーチはおろかチームメイトや保護者からも浴びせられた罵声や野次*2とか、先述のようにサークルで揉めた時の同期から言われた一言とか。しかしこれも「そりゃああんなエラーをしたらこうなるよな」とか「まあ僕が無能なのでいけなかったんだ」というふうに、書き換えられる部分はあってしまうわけだ。

 ううむ、人間は矛盾が多ければ、記憶も100%は信用ならないときた。やはり難しい。

 

 まあ思い出が語られるときというのは、そのほとんどが主観なので致し方あるまい。主観が8割以上の思い出を互いにぶつけ合っているだけのことである。それはどこかしらが「妄想」に変わるのも無理もないだろう。もっとも僕の場合、その主観ですら何を言っているのかわからないのが残念なところだが。

 

 しかし仮に妄想の類にしても、思い出話をしていて「あの時実はこう思ってました」と言われるのは楽しい。

 友人とリモート飲みをやったときも、当時の思い出の中で、僕が知らなかった友人の真意みたいなものを知れた。仲は良かったのだが、何かの折に彼の僕に対する言動に対し、僕が不満を垂らしてしまったことがあった。

 その当時のことを振り返ったわけだ。彼としては僕に不満があったわけでもなんでもなく、むしろ「安心感ゆえに言葉少なになった」ということだった。おお、僕はなんてことを。あの時は申し訳ない。当時めちゃくちゃ申し訳なさそうにし、そして数年越しに笑って許してくれた彼のなんと紳士なことか。実際イケメンである。

 もちろん逆に「よくない」且つそこそこ重大なことであれば嫌だが、時を経て新事実が発見・発覚する面白さは、なんだか研究のようである。ただし論文でもなんでもないので、いくら妄想によって装飾されていてもそれはそれでいい。リアルタイムでなく、「今考えるとこうだった」というのでもいい。完全なる嘘だとちょっと嫌かもしれないが……。

 

 というわけで、日付を跨いだら下書きの裏の真意も頭から飛んでしまう。だから最終的にはこれも妄想に変わった思い出によって着飾られる。ああ、いつもすみません。それでも許すか諦めてほしい。どのみちポケットに手を突っ込んだって、どこを歩いていて、何を言っているのか自分では理解ができないのだ。

 先日後輩*3が卒業ライブでコピーしていたOmoide in my head、動画でも熱さが伝わってきて、彼らの過ごした時間を想像しながら見させていただいた。機会があれば彼らとも、たった一瞬の共有できた時間をできる限り振り返って、また話をしたいなと思う。もちろんそれはいくらでも、妄想にかわってしまってもかまわない。できなければ、それもそれでいい。

 

 

 

 

 

 

*1:この2年後にネトゲを始め、本名と全然違う人生初のユーザーネームを設定し、同時期にド底辺時代を迎えることはまた別の話。

*2:捕手未経験ながら突然公式戦でキャッチャーをやらされて、多少の失点はあったとはいえリードを保って交代した僕に「3イニングしか持たないのか!」と怒るなんて理不尽じゃないか?こういうものは元巨人・木村拓哉氏がいかにすごかったかを称賛するにとどめたほうが良い。ちなみに怒った当の本人はこの事実を忘れている。

*3:先述のトラブって脱退したサークルだが、その中でもバンドを組んで楽しい思い出も作った先輩・後輩もいた。余談だが、そのサークルのOBで作った野球チームに入ることになるなんて人生分からないものである。