むしょくとうめいのらくがき

鉄道と酒と野球ではしゃぐ4歳魚と26歳児の気ままな放浪記とか落書き 

それでも「気楽なくらい」のがいいエッセンス

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にころハッピーバースデー 2021.3.13

 誠意は言葉ではなく……というやつか。恐ろしい子

 

 

 にころとおとめのハッピーバースデー。しかし奪取er協会もよく、でんこのネタを思いつくというものである。まあ、そもそも現代でも新型車両や新駅・新線ができているわけで、すなわちでんこの元ネタ要素もどんどんできるということである。

 新潟県内にも新たに駅が設けられた。

 

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日本海ひすいラインにも新駅が加わった。

 駅の新設とは地元住民や観光客の利便性向上、そしてステーションマスターへの試練である。

 

 ……別に各鉄道会社や奪取er協会を恨む気はない(むしろいつもお世話になっておりますありがとうございます!)のだが、やはり命からがらコンプした後に新駅がついかされて「こんぷ!」が「もうちょい」に変わると凹む。

 

tomo16change-up.hatenablog.jp

 懐かしい。秋の海を見てボーっとするのは実に心地よかったが、何ならもっと「ボーっとしただけ」で終わればよかった。

 懐古をして思い出したが、一部記事を非公開へ戻した。理由は特にない。どこからもクレームは来ていないが、強いて言うなら僕自身が気に入らなくて蔵に入れた。理由は特にない。

 

 新駅が追加されてコンプ路線がなくなる……山手線の高輪ゲートウェイに関しては多くのマスターも同じ状況になったと思う。あとは東武線のみなみ寄居か。ただでさえ「あと1駅だけぽつんと取り損ねている」というのは、ステーションマスターには実に歯がゆい事実なのだ(知らんけど)。*1そしてこんなことを言って「凹む」とか抜かしておきながら、その一方で僕は「これで行く大義名分ができたな」とニヤついている。ドМなのだろうか。

 さて、チームから今季初練習*2の連絡が来た。やっと捕手を座らせてボールを投げられるから楽しみだし、同時に電車や新幹線に乗ることができる。ああ、楽しみで仕方ない。月末が待ち遠しいな。

 

 

 楽しみなのは実はどっちなのだ。呑気なことこの上ない。

 そして時々「こんなにお気楽に趣味に臨んでしまっていいのだろうか?」と思うこともある。

 ここから書きなぐります。

 

 

 

 

 ものごとに対し、気軽に、気楽に臨んでいることは良いと思う。それで幸福な時間を過ごせ、それを分かち合うことだってできるとずっと考えてきた。この考え方がたたって、仲間となるはずだった人々と衝突したこともあった。そういうことを経て「地獄」に落ちた後でも、その考えは変わっていない。趣味を気楽にやって何がいけないのだ!……こう思ってきたが、先日の仕事中にそれが揺らぐ出来事があった。

 

 体育館の管理をしていて、相手にするのは何もスポ少や中学・高校の部活だけではない。まあデイサービスのレクリェーションや民間の運動教室だったりすることもあるが、それこそ僕の入っている草野球チームのように「時間が空いてメンバーがそろったから趣味のスポーツをしに来た」という体の利用者だって多い。指導者や保護者のいる部活などとは違う、趣味のサークルに近い雰囲気を持った団体もたくさんある。

 しかし、雰囲気は大学生・社会人の趣味サークルや友人同士のそれでありながら、いかにも強豪クラブチームのような練習をしている団体も時々ある。そして、そういう団体が僕から見れば実は一番「楽しそう」にうつるのだ。例えば平日夜間にバレーボールサークルのような団体がやってきて、おしゃべりをしながら体育館へ入っていき、和気藹々としたムードのままネットを張り、そのままチームに分かれてゲームをする。しかしゲームになってみれば、準備の時までしていたおしゃべりからは全く想像のつかない、派手なジャンプサーブにスピード感溢れるスパイク、連携の取れたディフェンス、切れていくボールを見送る「アウトー!」の掛け声……。その中でも何よりに残るのは、受付にやってきた時までは仲良くお喋りをしていたチームメイトでも時には派手に煽ってみたり、逆に「あ、どうも……」程度な人が味方になっても「いいねえ!」「さすが!」みたいに互いに励まし合っていたりすることである。

 これは皮肉でも何でもなく、純粋にバレーボールが楽しそうだったり、バレーじゃなくバスケやテニスでも、球技でゲーム形式の活動をしている人はとても楽しそうに見える。それが羨ましいのか、それともそのような「ガチめ」で多少の煽り合いがあることが羨ましいのかは、自分でもよく分からなかった。後者に関しては、練習中やゲーム中でそういう「楽しそう」な感じが果たして自チームにあるのか?そして僕はそういう「”割とガチめな”楽しさ」を求めているのか?……この部分で引っ掛かるところができてしまった。

 こう書いておいてなんだが、自チームでの活動はとても楽しい。楽しいからみんなも入ろう。自チームに入って、またその前に大学で友人とキャッチボールをしたり球技大会に出たりして、謎の固定観念や風習・プレッシャーから解放されて、純粋に「野球というスポーツを楽しんでいる」という気持ちになった。

 ただ一方で、折角楽しいのに、なんか静かなのである。練習中でもお互い「あ、どうも……」みたいな感じで、それは試合になってもそうだった。御通夜、とまではいかない。静かさが重圧になったりしたわけでもなく、プレー自体はとてもしやすい。だが、守備中でも攻撃時にもどう声をかけたらいいか分からない。とりあえずボールに集中はできるのだが、ショートでノックを受けている時に隣で守っているセカンドと会話できないし、攻撃中に前後を打つバッターとやりとりが交わせない。……流石にバッテリーを組むキャッチャーとはできる。いやなんだろう、走者無死で打者アウト優先でいきましょうとか、カーブは捨ててストレートに絞りましょうとか、そういう会話はできる。あとはお決まりの「いこうぜ~」「いいよ~!」「ナイスボール!」「ナイスバッティング!」。……うん、流石にこれすら出てこなければいよいよ御通夜である。

 声は出ているのだが、いまいち盛り上がっている気がしない、というのが正直なところだろうか。プロ野球福岡ソフトバンクホークス松田宣浩選手は、よく「ムードメーカー」としてチームの盛り上げ役も買って出ている印象を受ける。そして実際、松田選手のいるホークスベンチは明るいし、強い。選手だけじゃなくどうにも監督自ら盛り上がりまくっているチームもあるようだが、実際にそのチームが最下位脱出はおろか2年連続Aクラスになってしまったのだからわからないものである。他にもBC栃木の西岡・川崎選手が隠しマイクで「試合中の会話」を聞き取る企画もあったが、2人とも守備中には常にコミュニケーションを取り、また投手を常に盛り立てる声を出している。……やはり理想はあんな感じなのだ。しかしむしろプレッシャーのある環境なはずなのに、なぜあんなに明るくて、楽しそうに見えるんだろう。裏では血反吐を吐くような生存競争と、自分との闘いなはず。

 職場に来る利用者も、やはり声が出ているだけでなく「盛り上がり」がある気がする。隣の芝生理論なんだろうか、とも思うけれど、僕は純粋にもっと「楽しいこと・好きなことを、もっと楽しく」やりたいだけなのだ。そうでなくても、好きなことを好きなもの同士で集まっているのに、テンプレートと業務連絡オンリーな関係では悲しい。今のチームはともかく、かつての部活動やサークルではそうした悩みが悲しい結果にもなった。そんな感じだったので、一緒にいた職員に聞いてみた。「どうすればあんな風に、盛り上がってできるんでしょうか」―先にまず学ぶべきは、質問の仕方からだろうか。

 しかし職場では人に恵まれた。退職と中途採用で入れ替わりは起きたが、実に良くしてもらっていると思う。こんな質問にも、かなり深い答えが返ってくる。

 

「目標があると没頭できる。没頭できると声は出る」

 

 

 中学の部活で何が嫌だったかといえば、宗教じみた固定観念*3と休みのないスケジュール、そして無駄に長くて無駄に厳しい練習。楽しさはおろか、今やっているのが野球というスポーツであることすら忘れる。そういう風になるのは「○○大会出場・優勝」という、一定の高さにある目標ゆえであろう。そして行き過ぎて、実力が伴わなければその人格すら否定するかのように容赦なく叩き、排除する。……しかしいくら険悪になっても、最後の大会だけはベンチの雰囲気はめちゃくちゃ良く感じた。あの時は声もよく出ていて、それも「盛り上がり」があって、手を伸ばせばハイタッチだって返してくれた。

 あの一瞬だけは確かに楽しかった。そして、あのラストシーズンの公式戦のような雰囲気が理想なのだということも、それがある程度の目標があって、その為の「このゲームにはどうしたって勝つ!」という目標があったからだということも、その一言を言われてようやくピンときた。あの時は確かに、我を忘れて没頭していたなあ……帰ったら何しようとか、明日はどこの電車をコンプして帰ろうとか、何か隣のグラウンドでやってるなあとか、当然考えるわけもなかった。僕も、その場にいたメンバーもそうだし、相手チームもお互いが「このゲームには勝つ!」という目標と、そのために今の状況をどう進めるか、それしか見ていなかった。

 球技の試合はほとんど「ゲーム」と呼称すると思う。そして遊びでゲームをしていても、大体の人は「勝敗」にこだわるはずだ。時としては「ぎりぎりまで接戦を演じながら負けよう」とかにもなってくるかもしれないが、多くの場合は対戦相手に「勝つ」ことに必死になると思う。少なくとも僕はそういう傾向があるらしい。*4

 そうやって「ではどうやって勝つための道筋を立てていくか」ということを必死で思案していると、あっという間に時間は過ぎるし、隣の知らない人が数多の苦楽を共にしてきた親友に見える。普段仲の良い友人を打席に迎えた時は、その全員が白地に黒帽子とオレンジラインのユニフォームを着ているように見える。そうするとタテジマの血が騒ぐのだ。一度も着た事がないくせに何を言っているのだろうか。しかし、文字通り夢中になって必死で戦って、あっという間に時間が過ぎたときの充実感といったらない。

 

 話を戻そう。先の職員のいう事には、ある程度の勝敗へのこだわりと、それがあることによる一定の真剣さ、さらにそれが生み出す集中力が、結果としては傍から見ると「明るくて楽しそう」にうつるのだろう。そして印象的だったのは、そういう多少の「情熱」「真剣さ」を失うと「それは温泉に浸かっているようなものでは?」と言われたことだ。

 なるほど、僕も好きで温泉や銭湯に行くことが多いから、的確な例えが胸にグサッと来る。温泉では逆に、誰が勝ったり負けたりするわけでもない。そんな必要はない。スポーツの楽しさが夢中になって交感神経を優位にしまくるところにあるとするなら、その逆が温泉である。極度のリラックスで集中を緩め、疲れをいやし、逆の意味で時間を忘れて「のんびりする」ことができる。交感神経と副交感神経を、適度に入れ替えることで人間は均衡を保っている。僕はここ数年、できていないような気もするけれど。

 しかし交感神経の働きすぎは心身疲弊につながるが、むしろ試合中は「めちゃくちゃ働いてほしい」。そういう「あえて交感神経を優位にしたい」ところで満足に働いてくれないと、それは「虚無」というものなのかもしれない。日頃「のんびりしたい」「静かな場所へ行きたい」とか言っているから、自分でも実は先述のような「極度の集中と胃液」とか「ゲームにおける勝利の追求」とかを求める一面があるとは思わなかった。

 

 もっとも僕はそれでも、軍隊の訓練のような練習や宗教じみた固定観念のもとで野球をやるのは二度と御免だし、勝利至上主義には賛同しかねる。そして僕は言ってしまうと「野球の話ができる友達が欲しいだけ」なので、あとは集まって温泉に行ってご飯を食べるだけのコミュニティになったとしても、それはそれでいいかなと思っている。気楽なくらいがいいエッセンス、うむ賑やかである*5

 それに僕自身が野球への向き合い方以前に問題なのは、夢中になれるとかよりもいかにコミュニティ内で良好な関係を築いていくかの方な気がする。先のバレーやバスケのサークルを見ていて疑問に思うのは試合中の掛け声よりも、コート外で「チームメイトと会話できるコツ」かもしれない。23年と11ヶ月生きてきて、未だに満足にできず、悩み続けているところである。

 

 

 

 

 こんな長いブログになるはずではなかった。突然の書き殴りで申し訳ないです。いずれにせよ、ようやく始動する「今シーズン」がとても楽しみだ。

 しかし気が付いたらにころではなく、メイとひめとしおりのハッピーバースデーになっているではないか。ハッピーバースデー、ハッピーホワイトデー。珍しく二日連続で飲酒なんかしてしまったので、明日は一日遅れてでもお返しを持って出勤しなくてはいけない。忘れる自信しかない。

 先週は職場でも結構深い話ができて楽しかった。そのことをもっと書きたいが、これ以上は長すぎるのでやめる。最初から「いずれ山梨に帰るので出ていきます」と宣言して入ったところであったが、もうしばらく続けようかなとか思い始めている。こうやってすぐ、依存や安住をしてしまうところは直したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:他にも高山本線岐阜~高山間のうち古井駅と飛騨宮田駅だけ取れなかったとか、そもそも乗ったのに駅メモするのをド忘れした嵯峨野観光鉄道とか。

*2:本当はこの土日や先週も予定はあったが辞退させてもらった。言わずもがな、無愛想に流行り続ける「アレ」のせいである。

*3:公式戦の前に全員が頭皮を0.1ミリで「素刈り」にしてくるだなんて、修行僧もびっくりじゃないんだろうか。

*4:大学時代、地域で子供向けのイベントが開催されたときは「警泥」で必死に逃げまくって勝利したり、フットサルのミニゲームではキーパー役で子供が打ったシュートを全て防ぎにいって、別な大人に「少し手を抜いてください」と言われたこともあった。

*5:miwa feat.96猫シャンランラン」。これが主題歌となったTVアニメ『ふらいんぐうぃっち』(2016)が非常に好きだったなあ。